第一章 ~運命の始まり~

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アルヴィス神国 ヴァーレの森 その深い緑に囲まれた湖。2538b697-dcb6-48bb-a6a8-cd4b569e7769 湖面に浮かぶ一艘の小舟。 白いマントのフードを目深かに被ったシグル(18歳)が小舟で釣りをしている。 左手には黒い皮手袋。 湖岸から声がする。 「シグルさまーーー」 全く聞こえてないかのように無反応のシグル。 声が大きくなる。 「シグルさまあーーーっ!」 小舟のシグルは無反応のまま。 湖岸の桟橋から呼んでいるオーガ(19歳)がさらに声を張り上げる。 「シグルさまあああっ!!!」 シグルがやっと顔を上げる。 「皇女様のお邸へすぐにいらしてくださいとのことでーす!」 溜息をつくシグル。 湖岸の桟橋に小舟を付けて、シグルが降りて来る。 見慣れない顔のオーガに訝し気な目を向ける。 「・・・お前は?」 「新入りの森番見習い、オーガです」 「何度も呼ぶな」 「聞こえていらっしゃらないのかと思って」 「聞こえている」 素っ気なくその場を立ち去るシグル。 その後ろ姿をじっと目で追うオーガ。 森の中。 森番の親子、ロド(48歳)とニキ(22歳)が樹木の手入れをしている。 湖から戻って来たオーガに、ロドが声をかける。 「ご苦労だったな  やっぱり湖にいらしたか?」 「はい でも、‘’お前は?‘’って怪しそうに言われました」 ニキがびっくりする。 「話したのか?!」 「お言葉をかけてくださるとは、そりゃ珍しいな」 ロドも意外そう。 オーガが首をひねる。 「お言葉? そんなありがたい感じじゃなかったけど」 「何言ってんだ オレなんか一度もお声すら聞いたことないぞ」 森をぶらつく次期神帝に呼び出しがあると、探しに行くのはニキの役目だったが、新入りのオーガがその役目を買って出た。 「次期神帝様は誰ともまともに話さないって、ほんとなのか?」 「お館の使用人はみんなそう言ってるよ  なあ? 親父」 噂話はけっしてしないロド。でも昔話は時々口にする。 「お父上の先帝様は、ワシらにもようお声をかけてくださったがな」 作業をしながら何気なさそうに「へえ・・・」と相槌を返すオーガ。 ヴァーレ 邸区 ヴェルマイヤの邸。 侍女のアグネス(46歳)が扉を開けてシグルを迎える。 「皇女様がお待ちです」 きらびやかな家具や装飾の居間。 長椅子にもたれてお茶を飲んでいるヴェルマイヤ(24歳)。 「待っていたわよ お茶はどう?」 戸口に立ったまま動かないシグル。 「・・・・」 無言。 「あなたが私の誘いに応じるのは三度に一度?  いえ五度に一度かしら?  もっと一緒に過ごす時間を持ちたいと思っているのに  あなたは一日中森にいるか、東館の私室にこもっているか  二人きりの姉弟なのに、寂しいわ」 「・・・・」 返事をしないシグル。 かまわず話し続けるヴェルマイヤ。 「今日は大事な話があるの  本当は神族会議から伝えるのが筋だけれど、  あなたは出席したがらないし  それで姉の私から伝えるのがいいだろうと、バルグ卿が」 ちらっと隣室の扉に目を向ける。 「話というのは、あなたの結婚のことなの」 「(結婚?)」 無表情だったシグルが眉をひそめてヴェルマイヤを見る。 「即位礼の翌月に、あなたはナーダ諸島王国の王女と結婚するのよ」 「?!」 シグルの顔が驚きの表情に変わる。 「バルグ卿が何やら画策していると思っていたけれど  まさか異国との婚姻だなんて、私も驚いたわ」 「勝手に・・・」  言い返そうとしたシグルの言葉を跳ねつけるヴェルマイヤ。 「勝手に決めた? そう言いたいの?  逆よ あなたが勝手に決めることはできないのよ  政略結婚は神帝となるあなたの義務よ、シグル」 「・・・望んで神帝になるわけじゃない」 つぶやくように言ったシグルに、ヴェルマイヤが大袈裟な呆れ顔をして見せる。 「何を子どもじみたことを言っているの  その左手を持って生まれたあなたが神帝になる  そうでしょう?」 「・・・・・」 黙り込むシグル。 「ああ・・・シグル  何も心配はいらないわ  後はバルグ卿と神族会議に任せておけばいいのよ  わかったわね?」 ヴェルマイヤの優し気なつくり声。 無言で出て行くシグル。 ヴェルマイヤがイラついた溜息をつく。 「しょうがない子ね!  アグネス! お茶が冷めたわ!」 「はい すぐに代わりを」 隣室の扉が開いて、中からバルグ(27歳)が出て来る。 「俺にはいつもの酒を」 「かしこまりました 議長様」 バルグがヴェルマイヤの隣に座る。 「弟君(おとうとぎみ)は相変わらず姉上に不愛想だな」 「あの子は誰に対してもそうよ  ヴァーレに来た時からずっとね」 「十二年前、北の山岳地帯の古代遺跡付近に巨大な落雷があった後、  その被災地から守衛隊に助け出された子どもが次期神帝だったとは  未だ釈然としないが」 「またその話?  あの子の母親とお父様のことはヴァーレ中が知っていたわよ  お父様は何のためらいもなくあの子を次期神帝と承認したじゃないの」 吐き捨てるように言う。 「ところで、俺が何を画策していると?  ナーダとの婚姻の話は以前にもあったことだ」 「私は政略結婚なんかまっぴらよ  ましてや異国の者とだなんて」 「弟にその役目が代わって良かったな」 バルグの皮肉をヴェルマイヤが「ふん」と受け流す。 「ナーダ王家の末娘  ナーダからの紹介文によると黒髪の可愛らしい王女だそうだ」 「黒髪ですって?!」 ヴェルマイヤが手入れの行き届いた眉を吊り上げる。 白色人種のみのアルヴィスは、一般の民も髪の色は金髪か極薄い茶色だけ。 中でも神族の血統は輝くような金髪が特徴だ。 「ナーダは多民族国家だ  髪の色も目の色も多種多様なのは当然だろ」 「異民族の血を神族に入れるつもり?!」 いきり立つヴェルマイヤに半ば呆れるバルグ。 「おい? 何を今さら言っている  この婚姻にはお前も賛成していたじゃないか」 「黒髪だなんて、知らなかったわよ!」 これ以上機嫌が悪くなるとヴェルマイヤは手に負えなくなる。 「ならさっさとシグルに適当な女を当てがっておけばいい  どうせかたちだけの結婚だ  こちらとしても当分はナーダと蜜月状態になるつもりはない」 「そう・・・ね」 深紅の口紅を塗ったヴェルマイヤの口元に笑みが浮かぶ。 バルグが「ご機嫌は治りましたか、皇女」と、ヴェルマイヤの顔を覗き込む。 アグネスがお茶と酒を運んで来る。 かまわずに濃厚な口づけを交わしているバルグとヴェルマイヤ。 ヴァーレ 東館 シグルの部屋。 小さな水槽の中を泳ぐ淡水魚をじっと見つめているシグル。 侍従のトゥライド(42歳)が 「シグル様  即位礼のお装束の試着をしていただきたいと、仕立て係の者が  申しておりますが」と伝える。 シグルは返事をしない。 「シグル様?」 「任せる」 それだけ言ってバルコニーへ出て行く。 夕暮れの空をぼんやりと見る。 ヴェルマイヤに言われたことが頭によぎる。 『その左手を持って生まれたあなたが神帝になる  そうでしょう?』 黒い皮手袋に覆われた左手を見る。85b268e1-0a28-46d6-a347-a3190f6fdde6 そこにあるものを握り潰すかのように、ぎゅっと拳を握り締めるシグル。
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