第一章 ~運命の始まり~

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ヴァーレ 低区 ヴェルマイヤの邸 居間。 「いったい何の真似?! あてつけがましくヴァーレで死ぬなんて アグネス! ちゃんと躾けられなかったお前の責任よ!」 ヴェルマイヤが手にしている扇の先をアグネスの顔面に突き出す。 ヴェルマイヤの癇癪には慣れているアグネスも、今回はどんな仕打ちをされるかとビクついている。 「ほ、本当に申し訳ございません まさか、あのようなことになるとは すぐに他の者を候補に見繕いますので、どうかお許しを」 「他の者? あの偏屈なシグルの気を引ける者が他にいると? は特別だったのよ!」 扇をアグネスに投げつける。 は特別だった、その意味をアグネスもわかっている。 ヴェルマイヤの癇癪が静まるのを頭を下げたままじっと待つアグネス。 苛立ちに眉根を寄せていたヴェルマイヤが、何か考える顔になる。 「・・・そうだわ アグネス お前、帝妃付の使用人頭になりなさい」 「わ、私がですか?」 思わず頭を上げて聞き返したアグネスに、ヴェルマイヤがまた眉根を寄せる。 「側室になれとは言ってないわよ」 「あ、は、はい でも、私が帝妃様付になったら、皇女様のお世話が」 「侍女なんか他にいくらでもいるわ」 二十年以上仕えてきた主からあっけなく言われ、言葉を失くすアグネス。 ヴェルマイヤが「何よ」と冷たく言い放つ。 「私の命令が聞けないの」 「いえ とんでもございません 仰せの通りにいたします」 服従を示すように深くおじぎをする。 「異国の黒髪の娘など シグルに近づけないようになさい いいわね!」 「かしこまりました」 ヴァーレ 南館 神族会議室。 内務卿の怒鳴り声から会議が始まる。 「全くとんでもない不祥事ですぞ! ご帰還の儀の最中にあのような騒ぎになるとは!」 とりあえず、内務卿が第一声を発したので、バルグが会議を進行させる。 「法務卿 事の報告を」 「はい 今のところ溺死についてはおそらく自死ではないかと ただ、それも何かと厄介ですので、事故死ということで処理を」 「そんなことはどうでもよい! 騒ぎを起こしたことが問題なのだ!」内務卿がまた怒鳴る。 「もう一人の者は、一応捕らえて収監していますが・・」と口ごもる法務卿に、「一応、だと?」と睨み返す内務卿。 「では、処罰するのですか」商務卿が遠慮がちに言う。 「その者は救助しようとしただけなのでは・・・」と文部卿も控えめに発言する。 財務卿がようやく口を開く。 「収監者の処遇は、刑罰法で神帝の裁きとなっていたはずです」 法務卿がうなずいて、「しかし・・・」と、中央の空席に目をやる。 神帝のシグルは席にいない。 「どうされます? 議長」 「神帝は十二日間の祈祷と即位礼で大変お疲れのようです しばらくは休養していただくのがよろしいかと 私があの者の事情聴取をしましょう その上で、処遇を検討するということでいかがですか」 議長のバルグの提案に、皆うなずく。 「いてもいなくても変わりはない」 内務卿のブツブツに聞こえないふり他の卿たち。 でも皆異論はない顔をしている。 ヴァーレ 東館 三階・神帝の私室 寝室。 寝台で籠るように毛布にくるまっているシグル。 巻き込ませたくなかった なのに 結局は巻き込んだ 僕が 死なせた 僕が・・・・ 息が苦しくなる。 左手が小刻みに震え出す。 震える左手を抱えてうずくまる。 ヴァーレ 外周 隔離された一画にある収監所 地下牢。35d1204d-1b41-4848-ad92-a1f99a0d4e94 寝床の板の上でオーガが寝ている。 収監されて三日目になる。 エリンは助からなかったと知らされただけで、他は何も言われずここに入れられた。 監視人が来て、警棒で鉄格子の檻を叩く。 「起きろ」 眠そうな目をこすりながら起き上がるオーガ。 「神族会議長様の尋問だ」 神族会議長様が直々に尋問? オーガの眠気が一気に吹き飛ぶ。 乗馬用の鞭を手にしたバルグが牢の前に立つ。 「オーガといったな 私は神族会議長バルグだ」 「(こいつか 査察隊長もやってるバルグ卿って)」 バルグが持っている鞭に目をやるオーガ。 「(え・・・まさか鞭打ちの刑とかじゃねえよな)」 一日や二日、牢にいるくらいは平気だ。 臭いけど屋根はあるし不味いけど飯もある。 あの頃に比べたら、全然マシだ。 けど、さすがに鞭打ちは・・・と顔を歪める。 バルグがフッと鼻で笑う。 「心配するな ここへ来るのに馬に乗って来ただけだ そういえば、お前も乗馬が得意だったな」 オーガの顔が強張ってピクッとする。 この尋問の目的はなんだ? この前、査察隊に呼び止められた時、うまくかわしたと思っていたけれど、怪しまれて報告されたのかもしれない。 だとすると、バルグ卿の関心はご帰還の出迎えで騒ぎを起こしたことじゃない。 「(俺の素性だ)」 バルグが監視人の用意した布張りの椅子に腰かけて足を組む。 「お前にはいろいろと聞きたいことがある だが何か言うことがあるなら、先に聞いておくが」 「ありません ご帰還の日のことでのお咎めは受けます」 「見習い使用人にしてはいい度胸だ」 小馬鹿にするように、にやりとするバルグ。 「(うわ・・・感じ悪りぃヤツ)」 頭のてっぺんから足の先まで、一点の染みも一分の隙もないようなバルグの姿。 オーガの中でバルグへの警戒心と併せて嫌悪感も大きくなる。 「七才で両親を亡くし神都の救護院に引き取られたが、数日で逃げ出した 十五才で戻って来るまで行方不明だったそうだな」 「(気取った口調で回りくどいこと言ってんじゃねえよ) それ、行方不明だった間どこで何してたんだって聞いてます?」 「ふむ、なかなか頭も回るようだ」 バルグが鋭い目でオーガを見据える。 「答えろ お前の空白の八年間をな」   空白の八年間・・・ それはオーガが誰にも話したことのない過去だ。 情報屋になる訓練で叩き込まれたことがある。 『ヘタな嘘や作り話で相手を欺こうとするな けっして知られてはいけない事実以外は全て真実を話せ』 その教えの通りにしようと腹を決める。 牢の中に転がっている粗末な木椅子を引き寄せて座ると供述を始める。 「別にたいした身の上話じゃないですよ ある晩、店が火事だと知らせを受けて、両親は俺を家に置いて出て行った そして帰っては来なかった 二人とも死んだと聞かされたけど信じられなくて だから救護院を抜け出して、一日かけて歩いて交易市場へ確かめに行った」 9d486e35-e6e1-42f9-b29b-0915a01c1939 「なぜすぐ救護院に戻らなかった」 バルグの追求にオーガの鼓動が早くなる。 が、深呼吸をして供述を続ける。 「腹減って店先の果物盗んで捕まりそうになったのを助けてくれた奴がいた ところがそいつがヤバい奴で 俺は騙されてセリジアへ連れて行かれたんです」 「セリジア? どうやって入国した」 「子どもの密入国は案外簡単なんですよ」 そう、簡単だった。 二重底の荷箱に押し込められて、荷馬車に積まれて交易市場からセリジア側の検問所を通っただけだった。 「セリジアで何をしていた」 「首都の街でケチな悪党連中の組織に使われてました スリ、万引き、ヤクの運び屋・・・いろいろやらされましたよ 子どもなら保安局の目もごまかしやすいですからね」 「また帰って来た理由は?」 「売られそうになったからですよ、ジジィ相手の男娼として それで生きてるヤツもいたけど、俺はできなかった 組織から逃げるにはセリジアを離れて帰って来るしかなかったんです」 バルグが腕組みをしてオーガをじっと見ている。 どうやって帰ってこれたのか、当然それも聞いてくるだろう。 でも、聞かれるまでは何も言うな。 それも教えられたことだ。 「帰国するのも簡単だったのか」とバルグ。 「荷箱に潜り込むにはデカくなってたんで 男娼やってるヤツの常連客にちょっとしたお偉いさんがいたから それでうまいこと手引きしてもらった」 本当はそうなるように大尉や中尉が何かやっていたみたいだけど、俺は言われた通り、男娼のヤツに金を渡して協力してもらった。 バルグが椅子から立ち上がる。 「なかなかたいした身の上話だ 事実ならば、な」 オーガが自嘲気味な笑いを浮かべる。 「何が可笑しい」 「セリジアじゃ孤児の行き場は路地裏のゴミ捨て場だ」 bcb27478-1686-4774-aa88-e96661a1b567 俺もあのままいたら、きっと生きてはいなかった。 「そんなところで生きるために、どうやってその日の食い物を手に入てたかなんて あなたにはこれっぽっちも想像できませんよね、神族会議長様」 バルグの目に一瞬戸惑いの色が浮かぶ。 が、すぐに元の鋭い目つきに戻る。 「騒動を起こした件については後日処罰を言い渡す」 見下ろすような目線をオーガに投げて、地下牢を出て行く。 牢の檻を掴んで、ふうっと息をつくオーガ。 嘘は一つも言っていない。 ただ言わなかっただけだ。 ナーダの情報屋になったいきさつと、そして"あのこと"も 。 ヴァーレ 東館 三階・神帝の寝室。87c8a867-70ad-49ea-9466-a3a631cb4b35 寝室に引きこもっているシグルに、トゥライドが盆にのせた食事を運んで来る。 「いらない」と顔を背けるシグル。 「せめて一口でも 昨日もほとんど召し上がっておりません」 「食べたくない」 困り果てるトゥライド。 「では、何かお飲み物でも」 「滋養薬草がござりまするよ」 そう言いながら、ユノが小さなやかんを持って部屋に入って来る。 「トゥライド この薬草湯を差し上げるように」 「は、はい、神官様」 独特な匂いに顔をしかめながら茶碗に注ぐ。 シグルもその匂いに思わず顔をしかめて身体を起こす。 「それは・・・やめてくれ」 香草茶も苦手だが、薬草湯はもっと嫌いだ。 「ならばお食事を召し上がりませ」 ユノの厳しい声に、仕方なさそうに盆の料理を口に運ぶシグル。 「ところで、オーガと申すあの者 ご帰還での騒ぎの責めを負って収監されておりまする 神族会議が処罰を検討しておるようですな」 「処罰?」 「罪人として何年か収監された後にヴァーレを追放となりましょうな」 「罪人の処罰は神帝の裁可ではなかったか」 「おや? ご存じで しかし、あなた様はこうして寝台におられる 神帝不在の場合、代わって議長の裁可となりまする それもご存じでしたかの?」 一応、神族会議典範は読んだので知ってはいるシグル。 でも、わざとらしいユノの言い方が気に障る。 「・・・僕に、どうしろと」 「どうしろ、ではありませぬ あなた様がどうしたいのか、にござりまする」 僕がどうしたいのか? 「神帝としてどうしたいのか 考えろ、と?」 ユノが「はて?」という顔をする。 「神帝のあなた様と、そうではないあなた様がおるのですかな?」 そう言い残して寝室を出て行くユノ。 意味ありげなことを言うだけ言って・・・ 子どもの頃もユノは明確な答えは言わずに疑問となることを投げかけてくるだけだった。 『あなた様がどうしたいのか、にござりまする』 『神帝のあなた様と、そうではないあなた様がおるのですかな』 僕が、どうしたいのか・・・・ 「トゥライド」 「はい?」 「着替えを 南館へ行く」 トゥライドがにっこりと目礼を返す。 「かしこまりました 神帝様」 ヴァーレ 森 森番の管理小屋。 朝の仕事を始めるニキとロドが小屋から出てくる。 作業着のオーガが走ってやって来る。 「オーガ?!」 ニキが駆け寄る。 「よ! ニキ」 「捕まったって聞いて心配してたんだぞ」 オーガがロドにぺこんと頭を下げる。 「親方、迷惑かけてすみませんでした」 「気にせんでいい お前こそ大変だったな」 「あの子・・・可哀そうにな」ニキが悲し気な顔をする。 最後に会った時のエリンを思い出すオーガ。 ほっぺと鼻を赤くしたエリンの笑顔・・・ ロドがポンとオーガの肩を叩く。 「さ、仕事だ、仕事」 「はい!」 オーガも気を取り直すように腕まくりする。 「そういや、さっき桟橋で神帝様を見かけた」とニキがぽろっと言う。 「ニキ!」余計なことは言うなとロドが睨む。 今朝、収監所の所長が「神帝様のご裁可で無罪放免だ」と言って、オーガを牢から出した。 なぜ咎めなかったのか、そしてエリンの死をどう思っているのか。 「すみません! 俺、ちょっと用を思い出したんで、すぐ戻ります!」 ロドが返事する間もなく湖へと駆け出して行くオーガ。 湖。 シグルが桟橋に立ち湖面を見つめている。 9323483c-80ed-4e59-ac12-73a557825722 オーガが走って来る。 「シグ・・・神帝様!」 これまでオーガの呼びかけに一度で応えたことのなかったシグルが、その一声で振り向く。 「神帝様が無罪放免にしたと聞きました どうして何もお咎めにならなかったのですか」 「・・・・・」無言のシグル。 「借りを返してくれたってことですか」 「処罰は不要と思っただけだ 借りを返すためではない」 それ以上話すことはないというように、シグルがその場を立ち去ろうとする。 「待ってください」 オーガがシグルの前に立ちはだかる。 「なら、借りを返してください」 「何が望みだ」 「黙って俺の話を聞いてくれればいいです」 「・・・わかった」 「あいつは・・・ エリンは、生まれてすぐに親に捨てられたんです 里親に育てられてたけど、学校にも行かせてもらえなくて、ぶたれることもしょっちゅうだったみたいで、救護院に来た時はボロボロになっていた」 オーガが十五歳で救護院に戻った頃、路上に放り出されて泣いていたエリンを街の人が救助して連れて来た。 服も身体も汚れだらけで、ガリガリに痩せていたエリン。753ccb94-2ab8-4356-944c-01eb8cf43cbc 「いっつも泣いていて、 そのくせ幼い子が泣いてると真っ先に駆け寄って行ってた」 シグルは湖面を見つめたまま黙ってオーガの話を聞いている。 「最後に会った時、あいつ言ってたんです 救護院で働いて、いつか子どもたちに勉強も教えられるようになりたいって だから、学校にも行くんだ、って」 オーガが声をつまらせる。目に涙が浮かぶ。 「あいつの命 ちっぽけな命だったかもしれないけど あいつは一生懸命に生きていた なのに・・・」 ずっと堪えていた気持ちが涙とともに吐き出される。 「あなたのせいだ! あなたがあいつを死なせたんだ!」 湖をぼんやりと見つめているシグル。 その表情からは何の感情も読み取れない。 「(この人には感情がないのか?)」 これじゃエリンは浮かばれないじゃないか。 あいつの想い、何一つ報われないでこの冷たい湖に沈んだままになるなんて・・・ 「・・・僕のせいだ」 シグルがぽつんとつぶやいた。 「そう思うなら、せめて涙の一粒でも流してやってくださいよ」 俺にはこれくらいしか言えない。 エリン、それでいいか? お前のことだから「いいよ」って言うかもな そしたら、あの空の向こうへ、お前は笑顔で旅立っていけるのか? 涙を袖で拭って、空を見上げるオーガ。 青く澄み渡った空。 と、オーガの額に一滴の雫が落ちてくる。 遊歩道。 ニキが作業の手を止める。 ぽつぽつと小雨が降っている。 「あれ? 雨?」 「おお、こりゃ神の涙だな」とロドが空を見る。 「神の涙?」 「昔の人はにわか雨のことをそう言っとったわ」 湖。 唖然として湖を見るオーガ。 キラキラと七色に輝く雫が湖の一面に降り注いでいる。 「・・・なんだよ、これ」76ae15d1-45ec-4b45-9013-7b2165b1140e オーガの横で突然シグルが崩れるように倒れる。 「神帝様?!」 慌ててシグルを覗き込むオーガ。 シグルの頬に一筋の涙の跡がある。
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