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プロローグ
絶対に見つからない自信はあった。決まって最後はいつも鬼が降参してくるから。
蓮の花が生い茂る池のほとり、その中でも一番大きな葉を選んで下に潜り込んだ。側にあるたくさんの葉で足元を隠すのも忘れずに……。
小さな躯体を折りたたみ、蓮の花に身を隠してジッとしていると、聞き馴染んだ音が聞こえてきた。
四本足でかけて来る足音を耳にすると、舌を出して走る姿が目に浮かぶ。
小さな胸を騒つかせながら息を殺し、目の前の葉を押し下げてそっと顔を出した。
見つからないと思っていたのに、鼻が効くからすぐにここがバレてしまった。
ふと、腕を上げて着物の袖を嗅いでみると慣れ親しんだ香りが漂い、荷心香が芳しい薫りを放っていた。体に濃く染み付いているのは、蓮の花の側にいるせいだけじゃない。生まれた瞬間には、もうこの匂いに包まれていたのだからバレるのは仕方がない。見つけられてしまうと覚悟したとき、ふと思い出した。
そうだ……。あそこに行ってみよう。隠れるには最適だもの。
思い立ったと同時に、小さな素足は地面を蹴って蓮の群れから飛び出した。
地上の気配など感じないここは、ひんやりした空気と柔らかな雲にいつも包まれている光の世界。そこへ夜が両手を広げると、薄紫色の空気がひっそりと湧き立ってくる。
生まれかけの夜に染まりながら小さな足を懸命に走らせ、次に隠れる場所にと選んだのは、禁足地と教えられている湖だった。
水面を覗くと、満ちては欠けていく月を日毎に堪能できる。その移り変わりの美しさは、目が眩むほどだと聞かされていた。そして今夜は太陽の光を全身に浴び、ひときわ輝く丸い姿を見ることができる最高の日。
瑠璃紺の水面で揺れる潭月は得も言われぬ美しさだと、大人達から聞かされていてはどうしたって期待に胸が膨らむ。
一度でいいから見てみたい。そして今日は絶好のチャンスだった。いつもは近付くだけで怒られるけど、大人はみんな用事で出かけている。
かくれんぼも忘れ、きらきらと輝く瞳で湖の淵に手をかけ、そっと覗き込む。
深い青に浮かぶ神々しい姿が飛び込んでくると、その美しさに目が眩んだ。
届きそうで届かないもどかしさに、幼い好奇心はくすぐられ、際まで身を乗り出した。
紺碧の中で揺れる丸い月が誘うように白金を放つと、たまらなくなって目を眇める。
月に見惚れていると、後ろから「見ーつけたっ」と声をかけられ、びっくりした。
びっくりして、手が滑ったんだ——。
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