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 最近、一守は夜中に目を覚ますことが増えた。  二組敷いた布団の左隣、そこから発する寝息を聞く度に、勝手に身体が熱くなる。  小さな頃は親子三人、川の字で眠っていた。けれど小さかった子供は日々成長し、背丈も伸びてくると三人一緒の部屋で眠るのは窮屈だろうと、一守が高校生になったタイミングで兄弟は空き部屋をもらった。  二人っきりの夜が新鮮で、夜更かしして戯れあっていると、父親に早く寝ろと何度も叱られた。素直で従順な清を純粋に慈しむ、深く考えず兄弟として日々を過ごしてきた。  それが微妙に変わってきたのを自覚したのは、新しい宮司——杢代が来てからだった。  東京から来た杢代の洗練された身のこなしに豊富な知識は、村の年寄りから絶大な信頼を得ていた。寂れた田舎町しか知らない人々は彼を崇め、もちろん、一守も彼を尊敬してはいた。  ある時、学校で出された数式の宿題に頭を抱えていると、父親に用があって来訪した杢代がいとも簡単に解いてくれた。彼の教え方は明快で、今まで難問に思えていた問題も、風船が弾けたように一瞬で理解することが出来た。  嫌いなわけではない。苦手なわけでもない。寧ろ、羨望の眼差しさえ向けていた。ただ、何かにつけて一守の家に来る彼は、必ずと言っていいほど清に話しかけ、愛くるしい存在に触れてくる。親しみを込めた接触だと、頭では理解していた。けれど、次第に杢代に懐いていく清のことが気になって仕方ない。  何より彼の武器は、最先端の情報を知っていることだった。  当初は清が興味を持ちそうな本を託すだけで、返すのはいつでもいいよと帰って行った。  貸し借りが繰り返されるうち、物語の内容が高度になり、一守にも分からない文字が登場する小説になると、いつの間にか清は杢代に教えを乞うようになっていった。  縁側で寄り添う二人を見ると自然とこぶしに力が入り、手の中に出来た爪痕を眺めて惨めな気分を味わう。  悔しい……。初めて人に対して、汚い感情を抱いてしまった。  狭かった清の世界に、杢代と言う俊傑な存在がするりと入り込み、清を独占してしまうのではと、熾火のような感情がマグマのような熱に変わって噴出しそうだった。  両手をバンザイして無防備に眠る姿を見つめながら、力の抜けた指先を摘んでみる。  小さな面積の温もりを味わうと、それだけじゃ足りないと感情が脳をせっつく。  一守の指は清の手のひらを辿り、窪んだ箇所をくすぐるように軽く引っ掻いてみた。  眠っている清は可愛らしく反応し、艶やかな唇が薄く開かれていく。 「かずちゃ……」  うわ言で呼ばれた瞬間、一守の全身は感電したように痺れた。  ──もうダメだ、この熱を、この感情を解放したい。  歯止めの効かない思いが理性を吹き飛ばすと、白い頬へと手は無意識に導かれていた。  柔らかさと温もりが煽動してくる。  指は自然と唇へ移動し、指の腹で小さな肉片の柔らかさを確かめる。瑞々しい朱色が月明かりを借り、誘うようにむにゃむにゃと動いた。  清の顔を囲むよう両手を布団の上に置き、真上からあどけない寝顔を見下ろす。  堪えろ、堪えろと、頭の中で兄の自分が叫んでいる。清は弟だ。血の繋がりはなくとも、可愛い大切な弟だ。清と名付けた時から自分が一生守っていくと決めたんだ。  ……なのに、雄の顔をした自分が耳元で囁いてくる。あの男に持ってかれるぞと。  杢代の顔がよぎり、欲望を滲ませる自分と兄の顔が対峙した。  錯乱した感情に翻弄されていると、清が寝返りを打った。顔を横に向け、体勢を変えた途端、一守はとどめを刺された。  横向きの体制で清がモゾモゾ動くと、無意識に伸びてきた細い指先が、まるでそこにあるのを知っていたように、一守の腕を掴んできた。日焼けした腕に唇が触れそうで触れない距離。そこに甘い吐息がかかると、小さな火種が導火線を伝って情炎を発火させた。  もう……ダメだ……。  片腕を清に取られたまま、もう片方の手で横を向いている顔をゆっくり正面に戻し、肘を曲げて清の顔まで近づけると鼻先同士をそっと擦り合わせた。  生唾を飲み込む音が異様に大きく聞こえても、一守の中の欲望は止まらない。  一守は顔の角度を傾けると、薄く開いた唇へと自分の唇を重ねた。  微かに触れただけで興奮が高まり、物足りないと再び清の唇を軽く()んでみる。  恐る恐るとった行為は脳が痺れるほど甘く、一守の理性は木っ端微塵に砕け散った。  唇を深く押し付けると、舌が勝手に意思を持って動き、僅かな入り口から侵入するとその中で舌を蠢かせた。目覚めてしまった欲情は、もう自分では制御できない。熱い唇は片割れを見つけると、もっともっとと、清の胸に熱い体を重ね合わせた。  重みを感じたのか、一守の腕を掴む指先がピクリと動き、慌てて唇を離すと五ミリとも開いてない距離で、覚醒した青色の瞳と目が合った。 「か……ずちゃ……何して……」  麻痺した理性は本能に抗えず、寝起きの声を閉じ込めるよう唇を強引に奪い、舌先で口腔内を掻き乱した。  互いの唾液が口の端から溢れ、聞いたことのない淫靡な水音を奏ている。一守は調べに合わせるよう舌を動かし、一滴でも蜜を溢さないよう清の口の周りを舐めまわした。  行為に拍車がかかり、一守のモノは固く燃え激って股の間で唆り勃ってくる。本能のまま体の下で身じろぐ清を無視し、一守の手は清の着物を剥ぎ取ろうとしていた。 「や、やだっ!」  細い腕で押し除けられた瞬間、我に返り、勢いよく清の上から飛び退くと、怯えて枕を胸に抱く姿を見て一気に脳が凍てついた。  月明かりが差し込む部屋に、獣のような息遣いが聞こえる。それが自らが発してると気付いた一守は、自分が恐ろしくなった。 「せ……い」 「……や、やだ。こわいよ、かずちゃん」  怯える目で凝視されると、一守は自分の中から身勝手な熱がスッと引いていくのを自覚した。 「ごめ……、俺……。清、ごめん俺は——」  許しを乞いたくて差し伸ばした手は、鋭く弾かれ、涙で光る青い瞳が鋭く射抜いてきた。 「……俺、父ちゃんのとこで寝る」  言うが早いか、清は枕を抱えたまま廊下に飛び出した。 「清っ」  名前を呼んでも振り返ることなく、ペタペタと小さな足音は遠ざかって行く。  虚しく部屋に残された一守は体を脱力させ、四つん這いになると、布団の上に突っ伏した。 「せ……い、清、ごめ……」  何度も名前を呼びながら、数分前の自分を責めた。ちっぽけな欲望を抑えられず、揺るぎない信頼を自らの手で壊してしまった。  闇に取り残された一守の背中を、月明かりが責めるように光の矢を突き立てていた。
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