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「神社の湖にいたから、『(せい)』なんだ」  名前の意味を聞かれ、一守が鼻の下を擦りながら自慢げに父親に言った。 「なんで湖で『(せい)』なんだ? それに一文字だと、きよしって思われるぞ。せめて太郎とか、次郎とか下につけりゃいいのに」 「分かってないな、父ちゃん。太郎なんておじいちゃんみたいだろ。それにきよしは俺の学校にもいっぱいいる。でも『せい』はいないんだ。それに清らかな神様の側にいたんだ、綺麗な清にぴったりだ。な、お前は今日から俺の弟で、名前は雪藤(ゆきふじ)(せい)だ」  一守のお下がりの服が体に合わず、首元がダラリとあいたシャツを着ている『清』がにっこりと笑っている。 「分かった分かった。父ちゃんは何も言わない。けど、この子男の子だったんだな。あんまり可愛いから女の子かと思ったよ」 「父ちゃんも? 俺も俺も。初めて見た時、絶対女だと思った。だって、花みたいな匂いがしたもん。でも、俺、男でよかったんだ。男同士の方が遊ぶと楽しいもん」  魚釣りだろ、木登りだろ、缶けりに、川で泳いだりと、一守が指を折りながら嬉しそうに語っている。その横で、清はキョトンとしていた。 「花? この子からそんな匂いなんてしないぞ。それより遊びばっかりじゃなくて勉強も教えてやれよ。読み書きくらい出来ないと清が困る。それに早く話せるようにしてやらないとな。年は分かんねーけど、きっとお前より、三つか四つくらい下だろう」  父親が清の頭を撫でると、一段と豊かな笑顔を見せた。それが面白くなかったのか、一守は教科書やノートを取り出し、ちゃぶ台に並べていった。 「今から勉強する。父ちゃんはあっち行って」  二人の世界を作るよう父親を遠ざけると、一守は鉛筆の握り方から清に教え始めた。 「はいはい。じゃ、父ちゃんは夕飯の支度するから。手伝いもいいから勉強してな」 「いいの、父ちゃん」 「ああ。清にしっかり教えてやんな」 「分かった。明日になったら清、きっと喋れるようになってるよ」 「いやいや、明日はさすがに無理だろ」  そりゃそうかと、自分で言った言葉に一守が大笑いし、父親も一緒になって笑った。  二人の間で不思議そうな顔をしていた清も、笑顔が伝染したように口元を綻ばせている。  隙間風が入り込む、お世辞にも立派だとは言えない家で、笑い声だけが温かく充満していた。  母親が逝き、親子二人の寂しかった会話も、もうすぐ賑やかになる。  どんな声で清は話すのかな。どんな風に名前を呼んでくれるのかな。  逸る気持ちを溢れさせながら、一守は使い古されたノートの上に、二文字のひらがなを書いた。「せ・い」と。
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