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文官達の働く詰所にやって来たエリオットは、視察として中を見学して回っていた。備蓄庫の鍵は、その他の鍵と共に部屋の壁に掛けられていて常に人の目に晒されている。夜間帯も人数は減るが人が常駐していて、勝手に持ち出すことは容易ではない。エリオットは備蓄庫の鍵の貸出簿を確認したが、毎月初めの棚卸しのとき以外に持ち出された記録があるのは、穀物などの購入先であるマーブル商会の納品時のみであった。過去アイリスでは採れた穀物を売りに出す立場であったが、ここ三年は水害の為に小麦がほとんど取れず、税の徴収を見合わせている為に、逆に購入しなければならなくなっている。その事が借財を作った原因であるのだが。
貸出簿にある納品の日付は帳簿の支払日と一致している他、納品された商品の数量が納品予定数と一致しているか検品がなされ、そして入庫までが複数名で行われている為、不正を行う余地は無いように思われた。彼はその後実際に備蓄庫の中へ入り、積み上げられた小麦入りの麻袋を調べてみたが、中身が入れ替えられていたり、底上げされていたりする様なことは無いようだった。
「毎月ここから出庫される物資の数は、いかほどなのだ?」
「それはこちらに記載されております」
文官の差し出した棚卸し簿には、物品名と出庫の数が記載され、そこに確認した人間のサインがなされている。
「穀物は毎月購入数と同数が古いものから出庫され、常に四か月分が備蓄として残る様にされています。その他の蝋燭や油、紙などの物資については毎月定量が払い出され、変更の際には事前に申請がなされ、決済書がこちらに回ってくるかたちです」
彼は帳簿に目を通したが、特に不審な点は見当たらなかった。
(ここから物資を持ち出したりしているのであれば、当然棚卸しの結果と合わなくなる。常に複数名が関わっているようだし、不正の可能性は薄いか・・)
エリオットが次にやって来たのは、備蓄庫から払い出された一か月分の物資が運び込まれるという、城の西棟の倉庫であった。ここには炊事場や洗濯場、ごみ捨て場など家事に関するものが集められ、料理人や、掃除などに従事する下級女官、庭師や大工など下働きの人間たちが多く行き交っており、倉庫にも多く人が出入りしていた。彼等は一か月間、つまりはこの倉庫の物資でやりくりしなければならないので、物資の在庫数についてはそれぞれの担当が常に気を配っていたし、ここから大量の荷を運び出そうとすれば、どうやっても人の目に付いてしまいそうだった。
(ここにも特に不審な点は無い、か・・)
考え込むエリオットの横で、彼に同行していた文官の男が、不安気な視線を寄越してくる。
「あ、あの、侯爵様・・何故突然この様に城内を見回りに・・? 何か我々をお疑いでしょうか・・」
「そうではない。続く災害で大変なときだ。何か出来ることがないか、私も考えなくてはならないと思ってな。こういう機会にお前たちが普段どういう風に仕事をこなしているのか、把握しておくのも良いかと思ったのだ。お陰でお前達が日々、真面目に仕事に当たっているという事が改めて分かったよ」
彼が温和な笑顔を向けると、文官の男はほっとした様な表情を見せた。エリオットはそこでその日の視察を終えたが、念の為にニーナ達へ、倉庫の物が無くなったとか不相当に減ったりだとか、そういう話が出ていないか探りを入れて貰うことにした。
「そうですわね・・そういった話は、特に聞かれませんでしたわ」
報告に訪れたニーナ・エヴァ・リタの三人は、揃ってそう口を開いた。
「毎日細かく在庫を数えてはいないのですが、ここ数年はなるべく切り詰める様に言われており、余裕のあるほど在庫を与えられてはおりません。皆ギリギリのところをやり繰りしております」
「物が足りなくなれば必ず話にあがる筈ですし、例えば蝋燭を数本くすねたところで、大したお金にはなりませんものね」
「そうか・・」
(やはりイリアムの話は倉庫在庫とは無関係か。もともと不正で得た金という確証はどこにも無いしな)
「分かった。三人ともご苦労だったな。恩にきる」
「いいえ。侯爵様のご命令とあらば、いつでも尽力させて頂きますわ」
「たまには是非、奥様のお部屋にもお茶を飲みにいらして下さいませ!」
「・・ああ。考えておくよ」
「それにしても、どこも大変みたいだったわね。先月末は蝋燭がどうしても5本ほど足りなくなって、女官たちの詰所は三日間、蝋燭一本だけで過ごしたらしいですよ」
「暗くて何も見えないって言ってたわね」
「それに調理場も。小麦粉を溢そうものなら、あの温和な料理長が鬼の様になるって笑い話になってましたわ。月末に足りなくならない様に、毎回キッチリ人数分、重さを測って調理してるって」
「支給される小麦の量を減らされてから大変だって、料理長もボヤいていたわよね」
「・・今なんと言った?」
エリオットの鋭い声を聞いて、笑い話に花を咲かせていた三人の侍女は動きを止めた。顔を向けると、彼女達の主君は難しい顔で、こちらに視線を向けていた。
「え・・三年前の水害の後・・小麦は他から買うことになるので、一人分の粉の量を、二割ほど減らす様にと言われていて、やり繰りが大変なのだと・・」
「・・・・」
神妙な面持ちで何かを考え込む主君を、侍女たちは何か不味い事でも言ってしまったのかと思い、固唾をのんで見守った。しばらくの後エリオットは顔を上げると、彼女達に向けて、こう口を開いた。
「お前たちに頼みがあるのだが────」
*****
下働きの使用人達が忙しなく行き交う西棟の脇を、荷車を引いて歩いて行く、一人の男が居る。
彼の名はトムと言う。アイーダによく庭で採った花や果物を差し入れていた、庭師の男であった。彼の引く荷車に乗せられ、庭で採った果物や火を起こす為の藁、高貴な人々の部屋を飾る為の花々が持ち込まれ、代わりに城で出たゴミなどが、庭へと運ばれていた。これらは庭で焼かれたり、肥料になったりするのである。
そして彼は今日も、西棟から荷車を引いて庭へと向かっていた。そのいつも通りの光景を疑問に思う者は、普段なら誰もいなかっただろう。
「ちょっと待ってトム」
そう声をかけられ、彼は動きを止めた。彼が向けた視線の先には、ニーナ達三人の侍女達が立っていた。
「荷車の荷物を見させて頂戴」
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