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男達に案内されたのは、丘を更に登った所にある、岩場だった。大きな岩を幾つか登ると、そこに水溜まりが見えた。よくよく見ると白い湯気を発し、辺りにはむわっとした湿気を感じる。まさかと思って水に手を差し込むと、やはりそれは暖かかった。
「温泉!?」
「そーそー。俺達の秘密の場所」
「ゆっくり浸かって心を癒しな、オネェちゃん」
男達は、近くで待ってるから遠慮なくゆっくりしてきてくれ、と言い残し姿を消した。これはアイーダを喜ばせた。まさかこの世で温泉に浸かれるとは・・秘境の湯を独り占めなど、なんと贅沢な事か。早速彼女は服を脱ぎ、湯へと浸かり始めたのだが、しかしここでも彼女の思考を埋めたのは、改革のアイデアだった。
「この地熱を利用して、香辛料を栽培できないかしら・・」
ハウス栽培に見られる様に、本来栽培できない植物の栽培に成功する事は、お金に繋がる。中世の時代では亜熱帯でしか栽培の難しい香辛料は大変貴重で、胡椒は「黒いダイヤ」と呼ばれる程に高価で取引されているものであった。正に金の成る木なのである。
彼女が思案を巡らしていたそのとき、岩陰の向こうには、怪しい人影が蠢いていた。・・彼女の風呂を覗こうと群がった、手下の男達である。
「どう? 見える?」
「シー! もうちょい」
「おい、早く代われよ!」
湯煙の中で白い肌を露わにした彼女の姿を一目見ようと、男達は競いながら悪戦苦闘していた。しかし。
「何やってんだ、お前ら」
ギクリと肩をすくめた男達。振り返るとそこには案の定、彼等の圧倒的リーダーであるミゲルが、呆れた様に腕を組み睨みを効かせていた。
「こんなこったろうと思ったぜ。こそこそと覗きを働こうとは、情け無いと思わんのか」
白い目で深い溜息をつかれ、男達はすごすごと、肩を落として退散して行った。それを見送ってミゲルは再び溜息を漏らす。
(あの女を一人で寝かせたら、夜這いする奴が出るんだろうな・・)
「なに溜息なんかついてんのよ」
上からした声に気付き、ミゲルは顔をあげた。するとそこには、白い肩を露わにしたアイーダが、岩の上から顔を覗かせている。日焼けの無い滑らかすぎる肌。それを見てミゲルはこう思った。やはりこの娘は・・平民の出ではあり得ないと。
(殺しを依頼されるたぁ、過激思想の賢者か何かと思ってたが・・違うかもしれないな)
しかし次の瞬間、彼は嫌なものを見た。アイーダが手に大きな岩を抱えあげ、それをこちら目掛けて放ったのだ。
「おわっ! 何しやがる、てめぇ!」
「それはこっちのセリフよ! 淑女の風呂を覗こうなんて、見損なったわよ! クールぶってた癖になんて情け無い男なのかしら!」
「はぁ!? 誰がテメェの風呂なんざ覗くかよ、この馬鹿女!」
しかしアイーダは更に両の手に石を握った。
「お、おいバカ、やめろ」
「死ね! このムッツリスケベ野郎!」
飛来する石の礫になす術なく、ミゲルは一目散に逃げ出した。濡れ衣を着せられた彼が、こう苛立つのは当然だと言えるだろう。
「クソ気ぃ強えな、あの女ぁ・・。こっちは心配してやってんのによ。自分が捕まってる身分ての分かってんのかよ?」
そもそも自分は、何故あの女をすぐに殺さないのだろう。今殺してしまえば、こんな気を回す必要もないというのに・・。
(何を考えてる。あの堤防は、俺達だけで作り上げるのは無理だ。俺達だってまずは自分らの食い扶持を確保しなきゃ生きてなんかいけない)
誰かに期待して勝手に落胆して・・そんなのは馬鹿げている。自分の人生を切り開くのは、いつだって自分の力のみ。常に死の間際を綱渡りしてきた彼の人生は、不確定要素を期待して待つような余裕のあるものではなかった。どんなに良い思考であっても、自力で実現出来ない時点で、ミゲルにとってそれは駄策だ。
(妙な女ではあるが・・あんな小娘一人に何ができる。くだらん事を考えるな)
「どうしたんすか兄貴?」
「どうしたもこうしたもねぇ! お前らのせいだろ、この馬鹿野郎!」
「ひぇっ、すいません!」
「あの女は俺の部屋で寝かす。もう妙な気起こすんじゃねぇぞ!?」
「え・・??」
ミゲルは自らの心に対する苛立ちを子分にぶつけると、自室へと歩いて行ってしまった。彼がそう言ったのは単に漢気からであったが、手下の男達はその言葉をこう捉えた。「ミゲルの兄貴が、あのオネェちゃんに惚れた」と。
そして風呂を終えて建物へと戻ってきたアイーダに、男達はこう言ったのであった。
「お帰りなさいませ、姐さん!!」
「・・・・なんだか分かんないけど、即刻おやめなさい、その呼び方・・」
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