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 子供の頃に夏を過ごした別荘地の記憶を元にして、私は小説を書いたのだが、実際に現地を訪れようとは思わなかった。住んでいる街から車で三時間近くかかるので億劫だったし、何より祖父母が不在の別荘に行くのは、なんだか気が進まなかった。子供の頃に楽しい思いをした場所が、がらんとした廃墟のようになってしまっているとしたら、気分が落ち込むだろうという思いがあった。  それが今になって……改稿も校正も完了し、「これにて校了とさせていただきます」との宣言ももらって、手を入れる余地もなくなった今になって……無性に別荘に行きたくなったのだから不思議なものだ。  行きたいというか、行かねばならないという焦燥感のようなものがあった。別荘地での記憶を元に小説を書いて出版にまで至らせてもらったのに、今の別荘に見向きもしないなんて、どこか不義理をしているような感覚があった。祖父母が愛した別荘を荒れるままに放置するのではなく、窓を開けて風を通して、ちょっと掃除でもしてきた方がいいんじゃないか。  たぶん、初めての本の出版を前にした興奮と、ごっちゃになっていたのだと思う。気持ちが落ち着かず、本に関わることを何かしたいという思いがあって、そんなヘンテコな方向に意識が向かってしまった。……と後になって分析すれば思うのだが、その時はただ一刻も早く現地に行きたいという逸る思いに心が占められてしまっていた。  まるで、あの場所が私を呼んでいるかのようだった。休日の土曜日、張り切って朝早く起きて、私は一人現地へと車を走らせた。
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