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午前の仕事を早めに終わらせてお昼もそこそこに、僕はバラの花束を受け取って自転車に跨がった。カゴにようやく収まるほどのブーケだ。凛とした、たおやかな香りがあふれてくる。
「すごい。こんなに大きな花束は初めてです」
お店のバラの花はすっかり空っぽになってしまった。加えて本来のシーズンにはちょっと早いから、あちこちに声をかけてかき集めたらしい。
それに色合いは深紅や緋色、ルビー、朱など赤がほとんどで、僅かに濃い桃色を覗かせている。まるでプロポーズでもするのにふさわしいような…
「彼女に花束を届けることもだけど、バラの本数も大事だからね」
「そんなに大切なお客様なんですか」
「大切……、そうだな」
オーナーは笑顔を消すと、目を伏せたままバラにそっと触れた。
「彼女は未だに悲しい過去に囚われているんだ」
「過去、ですか」
「ちょっとしたエイプリルフールの悪戯だよ。かわいそうなお姫様だと思って、お茶にも付き合ってあげて。彼女もきっと君を待ってる」
「はい」
何のことかさっぱりわからなかったけど、お得意様なら多少のサービスは必要だ。それに、いつも陽気なオーナーの、こんなに悲しそうな顔を見たくないのもあった。
「気をつけて。彼女によろしく」
オーナーはそう言って、僕を送り出した。
アリッサの店の先で、道は三叉路になる。左に入るとあとは丘まで道なりに行けばいい。
店を通りかかった時に、ひょいと彼女が顔を覗かせた。
「エディ。ちょうどよかった、これ」
紙袋に包んだものを僕に手渡した。ふんわりとバターの匂いが漂ってきて、まだほのかに温かかった。
「今日はレモンを使ってるんだよ。リラのお気に入りだからね」
「ありがとう。お茶にぴったりだ」
僕は彼女にお礼を言って勾配に沿って進んでいった。道の脇に広がる草原には、膝丈ほどに伸びたチモシーやオーチャードグラスが、さわさわと風になびいている。徐々に角度を増す坂道に、自転車のスピードはどんどん落ちて、結局最後は押して歩く羽目になった。息を切らして、僕はやっとのことで薔薇屋敷に辿り着いた。
恐らく、以前はちゃんと門扉があったのだろう。今はアーモンドの若木がかろうじてその役目を果たしていて、煉瓦の構えが残っているだけだ。僕はその傍らに自転車を停めて、ピンク色の花のアーチをくぐった。
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