トリッパー

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トリッパー

俺の住むアパートへ向かう道は、繁華街を抜けるとあとはコンビニが一軒あるだけだ。 商店街やスーパーは無く、仕事の後は毎日コンビニで買い物するしかない。 「どっか行きたい・・・」 コンビニの横の喫煙スペースでしゃがんで一服する。つい、口から出たのは俺の今の本心だった。 どこか、というのは遊園地とか海外旅行とかではなく、精神的とかそういった意味で。でも、ドラッグをするわけにはいかないし、酒もそんなに好きではない。女?それも違う。 違うどころか、つい最近、会社の女の子にふられたばかりだ。 『なんかもっと、ついて来い、みたいな人かと思った』 知るかボケ。 勝手に期待して勝手に嫌いになって。 俺は俺だ。 仕事も、なんか疲れちゃったなぁ。はぁあ。 「消えたい」 俺はまた、ため息を付いた。 家までのあと5分の道でも遠い遠い山道みたいに感じる。 「トリップしたいなら、目隠しすると良いよ」 隣で声がした。 ヒールの高いブーツから生えている足はスラッと上に伸びて、エッフェル塔かスカイツリーか、そういった大きな塔みたいな女の人が横に立っていた。 俺がポカンとしていると、そのエッフェル塔の女はまた口を開いた。 「火、頂戴」 右手にタバコを持って、左手を腰に当て、膝を伸ばしておよそ人にモノを頼む姿勢ではない。 だけど不思議なことに腹が立たない。むしろ心地良いとさえ思える。その理由は女の表情にあった。 顎をついと上げ見下すように俺を見ていて、その目は、すごく深い。吸い込まれるような深海みたいな瞳だ。 俺はすぐに立ち上がりライターを持って、エッフェル塔の女の煙草に火をつけた。 大きく見えた身長はそれほどでもなく、俺と同じくらいだ。だけど、俺に向けられた見下すような目つきはそのままだった。 「目隠し、ですか?」 「そう。目隠しして、聴覚と嗅覚と触覚で、イメージを脳に映す。どこかに行きたいなら、そうしてイクといい」 ゴク と、俺の喉がなった。 「簡単なことでしょ?火、ありがとね」 エッフェル塔の女は紙を一枚出して俺に渡した。 「新規の方は半額サービスです。じゃまたね」 そう言い残してカツカツとヒールを鳴らして行ってしまった。 もらった紙はお店のカードで、地図を見ると近くのようだった。でも、「SMバー」て、書いてある。 うーん・・・ 俺は胸ポケットにそれを入れて、また煙草を吸った。一本吸ったら帰ろう、と決め、ゆっくりと煙を吐く。その度、さっきのエッフェル塔が眼の前に出てきてしまう。あの表情、あの瞳、ブーツから伸びる足、太腿。そして、あの、ヒールの踵。 俺はいつの間にか店のドアの前にいた。入るのをためらっていると、エレベーターから重役みたいな雰囲気の男が出てきてドアを開けたので、とっさに壁の方を向いて避けてしまった。ドアが閉まる直前、人らしき塊を踏みつけるさっきのエッフェル塔の女が見えた。 やっぱり帰ろう。 エレベーターのボタンを押そうとしたとき、ガチャリ、とドアが開いてあの人が出てきて、またあの目で俺を見た。 店の中に入ると、見ちゃいけない格好の、見ちゃいけない感じの人がいて、怖そうな格好の女の人が何人かいた。SM、やべぇ、俺、無理じゃね? アンケートみたいなものを書かされたけど、好きなプレイとか、そんなの無いし。困った。 「さっきはどうも」 「はい」 「ミチカです。よろしく」 「よろしくお願いいたします」 「どっか行きたいって、旅行とかじゃないでしょ?」 「はい。そう言うんじゃなくて、飛びたいとか消えたいとか、そんな感じです」 なんか自分のこと言うのって恥ずかしいな。だけど、この人たち平気なのかな。人の見てる前で踏まれたり、縛られたり。 「気になる?」 俺が落ち着かないのがわかってしまった。 「あ、いや、初めて見たので」 「じゃ、ちょっと目瞑って。どう?気になる?」 「ちょっとは・・・」 「わたしの声に集中して」 「ミチカさん、あの・・・」 「ミチカ、さ、ま」 「あ、ミチカ様、あのこれは?」 「さっき言ったでしょ。聴覚触覚嗅覚を使ってイクんだよ」 ミチカ様はなにか布みたいなもので俺の目を塞ぎ、首からネクタイを取って腕を前で縛った。 「集中して、私の声だけ聞きなさい」 ゴクリ と、俺の喉が鳴った。 「返事」 「はい」 「消えたいと思うのは、なんで?」 「女に振られたんです。イメージと違ったみたいで、男らしくないからって」 「男らしいって何?」 「強いとか、包容力とか、ですかね」 フン と、鼻をならす音が聞こえた。 「つまんねぇな。そんなものはここにいる私達が全部持ってるよ。だとしたら男は、なにをもって男らしいというの?」 その時、部屋のどこかで男が声を上げて、どっと笑い声が聞こえた。俺は少しビクッとした。目を塞がれていると、急に聞こえる大きな音に驚いてしまう。そちらに気を取られて、一瞬、集中が途切れた。 そのときだ。顔の前で空気が動いたと思った瞬間、パチン、と頬をたかれた。目隠しをされているから、すべての出来事が突然なのだ。大した強さじゃないのに、思わず声を上げてしまった。 「私の声だけ聞けといったはずだよ。集中力が足りないね」 「すみません」 「申し訳ございません、ミチカ様。Repeat after me」 「もうしわけ、ございません・・ミチカ、さ、ま」 なにこれ。俺はなにしてんの? 「もう一回」 こんなの、おかしいだろ。 でも。 「もうしわけ、ございません、ミチカ様」 でも、逆らえない。 この人の言葉に逆らえない。 もっと声を聞きたい。 また、あの目で俺を見て欲しい。 目隠しを取られ、急に明るくなった。 眩しくて目を細める。 「あの大きい人、エレベーターホールで会ったでしょ。あの人今何してる?」 「パンツ一枚で、床に寝て、顔踏まれてます」 「あれは男らしいか?」 「あ、いや、らしくはないと思います」 「じゃあ、初め見た姿の彼はどうだった?」 「会社の上司とか、重役みたいな感じでした」 「男らしい?」 「はい、確かに。男らしい」 「どっちが本物だ?」 「あ、いや、わからないです」 「どっちも本物だよ。今は、あれが本当の彼。誰にも言えない趣味を、堪能してんの。潔くて男らしいと思わないか?」 「俺には、良くわかんないです」 また、目の前が暗くなる。ミチカ様はもう一度俺に目隠しをした。 「なら、なんでここに来た?」 「・・・あなたに、会いたいと思って」 「私のことを考えながらここまで来た?」 「はい」 「私の何を考えてた?」 耳元の声は俺の体にズンズンと響く。 コンビニの前からここに来る間に考えていたことをすべて話した。地面からのびるエッフェル塔、俺を見下す深海の瞳、ヘビのようにスベスベした腕、その先の細く尖った指。そしてその、足の裏に生えてる長くて硬そうな、刺さりそうな踵。 息継ぎを忘れるほど一気に話した。 「じゃあ、今からそれをもう一度思い返してみなさい。ただし、さっきみたいに集中が切れたら、終わりにしてすぐ帰らすから。いい?」 ミチカ様は俺の腕を後ろで縛り直すと、目の前を横切って近くから気配を消した。俺は言われた通り、ここに来るまで考えていたことを反芻する。 それは回を重ねるたびに色濃くなって、際立って、まるで今目の前にあるみたい。 ときどき、ミチカ様の足音が聞こえる。声も聞こえる。そしてときどき、俺の目の前の空気が揺れ、ミチカ様の匂いが鼻をかすめる。 もう、それ以外はなにも感じなかった。 「ご利用いただきましてありがとうございました。今日は初回サービスで半額ね」 「はぃ」 「まだちょっと勃ったままだよ。平気?」 「あ、はい。俺、すぐおさまっちゃうんでいつも」 「へえ、そう。まあ、一人でやるの見て欲しいって人もいるから。その時は。」 「大丈夫です。ありがとうございました。なんか楽しかったです。明日からまた仕事がんばれます」 「コンビニくん。帰ったらさっきやったこと、もう一度やりなさい。集中してもう一度」 「あ、は、はいわかりました」 家でもう一回? でも、あの人は近くにいないし、匂いも音も無いし。 俺は言われた通り、目隠しをして、輪に結んだネクタイに腕を通してぐるりとひねった。さっき縛ってもらったときみたいに、程よく締めつけられている。 また、ゴクリと喉が鳴った。 少しづづあの人の姿が鮮明になってくる。ツヤツヤのボンテージに包まれた体から甘い匂いがしてて、動くたび俺の鼻をかすめる。赤い唇からは低く響く声が、ゆったりと漏れてくるんだ。 さっきより、イメージが、鋭くなった気がする。 俺の荒くなった呼吸音が聞こえる。 「私の何を考えていた?」 すぐ近くで言われているかと錯覚するくらいリアルだった。あの唇から生暖かい息を吐きながら俺に命令する・・・毛が逆立って、震えて・・・ 鮮明になればなるほど強く硬さを増していく。俺は目隠しのまま手探りでベルトとチャックを外し、ガチガチになった俺自身を引きずり出した。 なん、か・・俺っ、ヤバいっ ま、間に、あわ、ないぃ! ビクビクと脈打って、ほとんど触ってもいないのに、俺はあっという間に飛んでしまった。 だけど、それだけで終われなかった。 あの人はまだ俺を責める。 全然許してくれない。 ぁあっ、また、イ、ク も、出したい、全部 頭ん中の あの人が 眼の前で 今の俺を 見て る。 ん、ぁあっ だめだ、全然・・俺、とまん、ないっ、 「はっ、あ、あっあっあぁ!はぁ!いっ・・・ん、ぐぁは」 はー、はー、はー、はー・・・ 俺は力尽きて倒れていた。目隠しを取ると、スーツのまま、その周りは、手も床も着ているものも、ひどかった。 「ヤバぁ・・・」 連続でイクって異常じゃないかと思ったけど、あの世界を見てしまったら、異常とか正常とか、良くわかんなくなっていた。 すげぇ・・・ 過去イチ、イッたかも。 セックスより、キモチイいの、なんで・・・? 「ミチカ様にちゃんと報告しないとな」 自分で汚した部屋を拭きながら、次はいつ行こうかと鼻歌交じりに考えていた。 End
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