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あの家からは、歌声が聞こえるらしい。今のところ害はなさそうだが、少しだけ気になった。亡くなったお祖父さんやお祖母さんではないなら、その男の子の正体はなんなのだろう?
まさか、家を建てる前に死んだ亡霊がまだ土地に棲みついているとか、そういうこともあるのだろうか?
――万が一危ないものなら、お祓いしてもらった方がいいよね?……亞世ちゃんに、言うべきなのかなあ。
なかなか言い出すことができないまま。私はそのあと何度も、彼女の家に遊びに行くことになるのだった。
幸いにして、私には何も聞こえない。首をかしげているのはいつも妹だけだ。そして彼女も、私が“お姉ちゃんが言うまで話さないで”と頼んだ約束を忠実に守り、不思議に思っても口に出さないようにしてくれていた。
ところが、ある日転機が訪れる。
何度か彼女の家を訪れ、リビングのテーブルでお絵かきをしていた時のことだ。
「んんー?」
早織が再び首を傾げた。また歌声が聞こえたのだろうか。しかし、どうにも様子がおかしい。
いつもと違う音が聞こえるのかと、そう私が思った時だ。
「どうしたの、早織ちゃん。変な顔してるけど、何か聞こえたの?」
亞世ちゃんと真世ちゃんのお母さんがやってきて、早織にそう尋ねてた。どうしたものかと思っていると、ついに早織が応えてしまったのである。
「あのね、さおりちゃんね、このおうちにくるとへんなのがきこえるの」
「変なの?」
「うん。いつもね、きらきらぼしとか、どんぐりころころとか、ももたろうとか、いろんな歌をうたってるの。小さな、さおりちゃんよりちいさなおとこのこなの。その子がいつもうたってるの。でも」
早織は。
椅子から降りて、じっと自分の足元を見た。
「今日はね、ずっとあしのしたからきこえてて、わらってるの。もうすぐ、もうすぐってわらってるんだけど、どうしてなのかな」
ダアアアアアアアアアアン!と大きな音がした。思わずぎょっとして私は妹を抱き寄せる。亞世と真世の母親が、思い切りリビングのテーブルを殴った音だった。
「……なんでそれ、知ってるの?」
顔を上げた彼女は。
見たことがないような、ぐにゃりと歪んだ顔をしていた。
「ねえ、あんた、なんでそれ知ってるの?誰に聞いたの?まさか、亞世と真世に訊いたんじゃないでしょうね、ね!?」
「ご、ごめんなさい!」
「答えなさい!誰に訊いたの!?」
「す、すみません、ごめんなさい!」
「お、お母さん落ち着いて!」
豹変。
突然鬼のような形相で妹に掴みかかろうとした彼女を、ギリギリのところで亞世が止めてくれた。彼女は私達を振り返り、今日はもう帰って!と叫んだ。何がなんだかわからない。しかし、どうやら早織が地雷を踏みぬいてしまったらしいことだけはわかる。
私は大慌てで、早織の腕を掴み、鞄を持って玄関の外に出た。家の中からは、亞世と母親が揉めている声が聞こえていた。
「あのね」
玄関を飛び出した私を靴下のまま追いかけてきたのは、小さな亞世の妹、真世だった。
「だれにも、いわないでね。あのね。……お姉ちゃんと、マヨ、ほんとうはおとうとがいたんだよ。うたがだいすきだったけど、ママはいっつもうるさいっておこってて、いつのまにかいなくなっちゃったんだよ」
はっきりした真相は、わからない。
ただその日、私と妹は熱を出して寝込み、一週間学校に行くことができなかった。怖くて本当のことを誰にも話せないでいるうちに、亞世とその家族はどこかへ引っ越してしまうことになっていたのである。
だから、亞世にきちんとお別れを言うことはできなかったし、彼女たち一家に実際何が起きたのかを知る術はない。そもそもあの家は暫くして取り壊されたが、本当に地面の下に死体が埋まっているならそこで工事の人が見つけないはずがない。見つからなかったのは何故なのか、あるいは見つからなかったことにしたのか、真実は完全に闇の中である。
ただ。
この話にはもう一つ、不気味なオチがある。
この事件から、約二十三年後。つい三日前のこと。
幼かったゆえか熱のせいか、事件のことをすっかり忘れているらしい妹の早織が、家に彼氏を連れてきたのだった。もう結婚の約束をしているらしく、彼女は幸せそうに笑って彼を紹介してくれたのだった。
彼の名前は、鰻多世というらしい。今年で二十三歳になるという。
その顔が、亞世と真世の母親に似ているような気がするのは――気のせいだと、そう思いたい。
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