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「じゃあ……なんで飛び降りようとか思ったわけ?」
「へ?」
突然、響さんから発せられた言葉に思わず間の抜けた声が出てしまった。
紫煙がゆらりと揺れてる向こうで、不意打ちのように核心をつく質問を投げかけられた俺の心臓は大きく跳ねた。
「なんで、って。そ……それを今聞くんですか」
「まぁ、別に話したくなかったら話さなくてもいい」
響さんの表情はいつもと変わらなくて何を考えているのか分からない。
でも、その目は真剣そのもので茶化すつもりなんて微塵も感じられなかった。
どう答えるのが正解なのか。
本当のことを言ってしまったら、気持ち悪いって嫌われるかも。
それに、もうここに来れなくなるかもしれない。
人の態度が、視線が、言葉が簡単に変わる瞬間を見てきたからこそ、響さんへの気持ちに気付いてしまった今、この関係が壊れてしまうのが何よりも怖い。
どうしよう……失いたくない。
ズボンをぎゅっと握り締めた手に力が入る。
沈黙が重くのしかかって息苦しい。
響さんが煙草を灰皿に押しつけ火を消し、深く息を吸い込み吐き出す音が聴こえる。
ここで、はぐらかすのも嘘をついて隠し通すことだって出来るのに、なぜかそうすることがはばかられてしまうのは、きっと、あまりにも真剣な眼差しで見つめてくるこの人に嘘をつきたくないと思っている自分がいるからだ。
いつかは話さなければならない日が来る。
それが今だっただけ、ただそれだけのこと。
どんな言葉で伝えればいいのか不安が頭をよぎり、震えそうになる声をなんとか堪えて言葉を絞り出した。
「話したら……引かれるかもしれません。絶対引かないって約束してくれますか?」
やっぱり自分が傷つくのが怖くて、保険をかけるような言い方をしてしまったことに嫌気がさした。
「内容による」
「……ですよね」
「冗談。別にお前が何を言おうが引かないって、まぁ言ってみろよ」
響さんは俺の心境を察したのか、小さく笑った。
嫌な汗が背中を伝い落ちていく。
俺は今どんな顔をしているだろう、きっと情けない顔をしてるんだろうな。
「でも、話したら……っ、俺、響さんに嫌われるかもしれません……」
「嫌われるってお前なにやったんだよ。そんなヤバいことしてんの?俺って、そんな簡単に人を嫌うような奴に見えてんのか」
はっ、と響さんは呆れたように笑いながら、俺を見る目がいつになく優しげな色をしていて胸がぎゅっと苦しくなった。
「いや、そういうわけじゃっ……」
慌てて首を横に振った。
「じゃあ、何が問題なんだよ?」
「本当に……嫌いになりません?」
「しつけぇよ。だから大丈夫だって言ってんだろ。何回聞くんだよそれ」
少し面倒臭そうに言うけど、それでも目を逸らさずにいてくれるから俺は覚悟を決めた。
「……あの日も言ったんですけど、俺、恋愛対象が男なんです。こんなのって……普通じゃないですよね。覚えてないですか?」
━━言ってしまった。
緊張で手が汗ばんでいたのが嘘のように体が冷えている。
怖くて響さんの顔をまともに見ることができなくて、逃げ出したい衝動を堪えながら、これで嫌われても仕方ないと自分に言い聞かせ、不安で押し潰されそうになるのを耐える。
まるで、裁判の判決を待つ罪人のように、俺はただじっと待つしかなかった。
やっぱり気持ち悪いと思われただろうか?
嫌われてしまったかもしれないと思うと胸が苦しくなり、鼻の奥がツンとする。
もうダメだと諦めかけたその時、響さんが口を開いた。
「恋愛対象が男、ねぇ。あー覚えてないわ」
弾かれたように思わず顔を上げると、響さんはいつもと変わらない表情で俺を見ていた。
「……へぃ?」
あまりにもあっさりした返答に思わず拍子抜けして変な声が出てしまった。
「だから、覚えてないって」
「……それだけですか?」
「なんで?それだけって、覚えてねぇんだから仕方ねぇだろ」
響さんは首を傾げソファに深くもたれかかった。
なんでって……そんな簡単な話じゃないはずなのに自分の恋愛対象が男で、それをカミングアウトして引かれてもおかしくない状況なのに響さんの態度はいつも通りだった。
「いや、問題はそこじゃないんです。俺、男が好きっていま言ったんですよ?」
「別に。今の時代珍しいことじゃないし、そういう奴もいるだろ」
淡々と答える響さんの言葉に混乱して頭の中がぐるぐると回り出す。
なんでそんなに簡単に受け入れられるんだ。
俺がおかしいのか、とさえ思ってしまうほど
この人はこんなの当たり前みたいな顔をして、あっさりした反応をしていることに戸惑ってしまう。
「え、あっ……そうなんですか」
「そうだろ」
響さんは小さくため息をついて、新しい煙草に火をつけた。
手持ち無沙汰の片手でライターをカチャカチャと鳴らしながら煙を吐いている。
響さんからしたらそうなんだろうけど、俺はもうすでに自分の常識の範囲外のことが目の前で起きていて、思考が追い付いてこないし信じられない気持ちの方が強かった。
響さんが俺を見る目がいつもと変わらなくて、それが余計に不安を煽ってくる。
本当に俺のこと引いてないのか、と思わずまじまじと見つめてしまった。
響さんはそんな俺の視線に気づき、「なんだよ。ジロジロ見て」と怪訝そうな顔をした。
「え。あの俺、想定外の事が起きてどうしたらいいか分からなくて。本当に引いたりとかしないんですか?」
「あ?なんで」
「いやだって、普通は引くか気持ち悪いって思うじゃないですか」
「まぁ、そういう奴もいるかもな」
響さんは興味なさそうに答えながら煙草の煙を吐き出すと灰皿に煙草を押し付けた。
「じゃあ、お前は俺が男と付き合ってたら気持ち悪いって思うわけ?」
そんな質問が返ってくるとは思わず、予想外のことに目を白黒させぶんぶんと首を横に振る。
気持ち悪いなんて思うはずない。
むしろ……その可能性を考えると顔が熱くなる。
けど、それは俺が同性が好きだからであって、他の人が男と付き合ってたら普通に気持ち悪いと思うじゃないんだろうか。
「それと同じじゃねーの」
「うーん?そうなんですかね?」
納得できるようなできないような、混乱して頭を抱える。
「で?続きは?」
「え?」
「いや、まだあるんだろ?」
「あ、はい。それが周りに知られてから、いじめられて……それで」
「あぁ」
響さんは大きく息を吐き出して、天井を見上げた。
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