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「ずっと普通になりたいって思ってたんです。男が好きなんて気持ち悪いし、自分でもおかしいって。
だから、いじめられるのも仕方ないって、これは罰なんだって、普通じゃない自分が悪いんだって」
話してるとあの時に感じた恐怖や絶望感が蘇ってきて体が震えてくる。
「はっ、なんだそれ。別に普通じゃなくてもいいだろ」
響さんが鼻で笑ながら、俺を見た。
非常階段でもそうだったけど、響さんは俺の心を揺さぶるようなことばかり言ってくることにぐっと唇を噛んだ。
普通じゃなくてもいいなんて響さんは言うけど、そうは思えなかった。
周りがそれを許してくれなかったし、俺が普通じゃなかったから起こったことだ。
「でも、普通じゃないんですよ?みんなと違うのはおかしいし、気持ち悪いって思われる」
反発するように言い返すと響さんの顔が険しくなった。
何をそんなに怒ってるのか分からず、戸惑って響さんを見つめ返す。
「なに、お前は誰が決めたか分かんねぇような"普通"になんの?何が罰だよ、別に何も悪いことしてねぇのに。なぁ、普通じゃないことがそんなに怖いのか?」
その言葉は心を抉るように突き刺さしてくる。
響さんの言葉が胸の中でぐるぐると駆け回って苦しくて、俺は何も言えずに俯いた。
━━怖いに決まってる。
普通じゃないことが怖くない人なんているのか?
みんなと同じように人を好きになるに、それが同性だったからって普通から弾き出された。
自分は常に孤独感と罪悪感に苛まれ、周りから異質な存在として扱われてたんだから。
「なんで周りの言うこと信じて聞いてんの?あのなぁ、世の中ってお前が思ってるほど普通の奴なんていねーの。みんな自分は普通だって信じてるだけで、何かしらそうじゃねぇ部分もあんだよ」
優しさとはかけ離れた無遠慮な言葉。
抉られた場所からじわじわ痛みが広いく。
「響さんは怖くないんですか。俺は、普通じゃない、気持ち悪いってだけでみんなから弾かれた。だから、こんな自分が嫌で普通になりたいって……そう、思って何がいけないんですかっ……!」
感情のコントロールができなくて、思わず声を荒らげてしまった。
こんな子どもみたいに反論して、かっこ悪いところ見せたくないのに、この人の前だとどうしても感情が抑えられない。
「怖ぇよ……」
「……え?」
小さく呟いた声。
聞き間違いかと思ったけど、響さんは続けて口を開いた。
「……いや、怖かった。まぁ昔の話だけど」
声色が変わり、懐かしそうに目を細める響さんに驚いた。
てっきり響さんは、周りの目とかそうゆうのとは無縁に見えていて、俺みたいな奴の気持ちなんて分からないと思ってたから。
昔の話って……何かあったのかな。
聞きたいことはあるけど、聞いていいのか分からない。
「けどな、お前が普通だって思い込んでるその価値観も他人のもんだろ。みんなって誰のこと言ってんの?その“普通”の枠ってやつに当てはまらないと生きていけねぇの? 大体、人を好きになる気持ちに普通も普通じゃねーもある訳ねぇんだよ」
「でもっ……」
反論しようと口を開いたが、響さんはそれを遮るように続けた。
「なぁ、本当に普通になりたいの?俺にはそうは見えねぇけど。
普通じゃない自分が嫌で、普通って枠にはまって安心したいだけなんじゃねぇの?」
言われた瞬間、凄い勢いて心がざわついた。
俺の心の中を見透かすように的確に弱い部分をついてくる。
「ち、違うっ……」
響さんは俺の目をじっと見て言った。
「じゃあ、なんでお前はそんなに苦しそうな顔してんだよ」
響さんの視線に耐えきれなくて思わず視線を逸らす。
「それは、俺はただ……」
「はぁ?じゃあ、なんで泣いてんの?」
響さんに指摘され、自分が泣いてることに気づかず頬を伝う涙に驚き慌てて手で拭った。
「え、あ……っ」
次々と溢れる涙に動揺する。
なんで?どうして? 泣くなんていつぶりだろう。
「何言われようが、自分を殺してまで普通にならなくてもいいんじゃねぇの?お前はお前だろ。それに、他の奴らがなんて言おうが、俺はお前のこと気持ち悪いなんて思わねぇよ。なぁ、普通になりたいんじゃなくて、ただ自分を肯定したかっただけだろ?周りの奴らの言葉なんて気にせず、普通って言葉に振り回されんな。自分を生きろよ」
その言葉が胸の奥底にストンと落ちて、張り裂けそうだった心が柔らかく包み込まれていくのを感じた。
ずっと誰かに言って欲しかった言葉。
普通じゃなくてもいいんだって言って欲しかった。
ずっと自分を否定して普通じゃないことを認めたくなくて、周りと違う自分が怖くて堪らなかった。
自分が傷つきたくないから、普通を言い訳にして逃げてきた。でも、本当は分かってた。
一番辛かったのは自分が自分らしく生きられないことなのを。
ただ、自分を肯定したかった。
他人と違う部分を受け入れたくて、受け入れてほしくて、もがいていた。
今まで我慢していたものが一気に溢れ出すかのように嗚咽を堪えた。
俺は俺でいいんだって、許されているような気がして涙が止まらない。
「っ……俺、普通じゃなくてもいいんです、か?」
嗚咽混じりにやっとの思いで絞り出した声は情けないほど震えていて、響さんは茶化すことなく真剣に聞いてくれていた。
「あぁ、言っただろ?世の中“普通”なんてもんは一つもねぇんだよ。お前が誰かと違うからってそれは悪いことじゃねぇし、それがお前自身を否定することにはならねぇの!」
俺は泣きながら何度も頷き、響さんの言葉一つ一つを噛み締めていた。
「……お前さ、今どんな顔してるか分かってんの?」
「へ?」
「くっ、あははっ!涙と鼻水でぐちゃぐちゃ」
響さんは笑いながらティッシュを数枚取り、俺に渡してくれた。
「あ、ありがとう……ございます」
渡されたティッシュで顔を拭くと、響さんは目を細めて俺を優しい眼差しで見ていた。
どうしてこの人はこんな俺に優しくしてくれるんだろう。
初め会った時からそうだった。
無遠慮で、ズケズケと人の心の奥まで入り込んで、触れられたくない部分を簡単に暴いて強引に引っ張り出してくれる。
「響さんって、冷たいのか優しいのかよく分かんないですね」
「はぁ?なんだそれ」
響さんは意味が分からないと言った表情で俺を見てくる。
「でも……っ、俺、救わ……れた気がします」
響さんは一瞬驚いた顔をした後、照れたように顔を背けた。
「……あっそ」
胸がじんわり熱を帯びていく。
━━好きだって言いたい。
今なら言えるかもしれない。
俺は大きく深呼吸をして、響さんを見つめた。
「あの、俺……っ!」
その時、タイミング良く休憩スペースに優希さんが入ってきた。
俺は慌てて言葉を切った。
あ……危っ。俺、優希さんが来なかったら勢いで告白しているところだった。
一気に冷静さを取り戻し、恥ずかしさで顔が熱くなった俺を響さんは怪訝そうな顔で見てきた。
「何かあったのー?」
優希さんは俺と響さんに駆け寄ってきた。
「いや、なんでもねぇよ」と答える響さんと俺を交互見て首を傾げた。
「え!司くん目真っ赤じゃん!響に泣かされたの?大丈夫?」
「あ、いや!これはっ」
慌てて目を擦って誤魔化そうとすると、優希さんが心配そうな顔をして俺の顔を覗き込んできた。
「もしかして、響に何か言われた?」
「おい、なんでそうなるんだよ」
「だって、響って口悪いから」
「別になんもねーよ!」
素っ気なく返す響さんは面倒くさそうにソファから立ち上がった。
「お前もう帰る時間だろ。ほら、早く支度しろよ」
急かされて慌ててソファから立ち上がり、響さんの隣に並ぶと俺の耳元に顔を寄せ優希さんを指さした。
「あぁ見えて、優希はロリコンの変態野郎だ」
「えっ、そうなんですか!?」
予想外の言葉に目を丸くして、優希さんの顔を見る。
「響!!聞こえてるからな!誤解だ!」
「聞こえるように言ってんだよ!」
悪戯っぽく笑う響さんに優希さんは慌てた様子で言い返していた
「だから違うって言ってるだろ!余計な事言ってないで早く帰れよ!」
「はいはい。じゃあな」
「またね、司くん!響の言ってること信じちゃダメだからね!」
「あ、はい」
響さんは優希さんの言葉を遮るようにさっさと歩き出し、優希さんに手を振り慌ててその後を追って工場を出た。
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