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外はもうすっかり暗くなっていて、肌寒い風が頬を撫でる。
「寒くねぇの?」
「大丈夫です」
響さんは煙草をくわえながら、俺の歩幅に合わせてくれている。
そんな響さんの横顔を盗み見ながら、さっきのことを思い出して頬が熱くなる。
言われた言葉がずっと頭の中で繰り返し響いている。
今まで自分を押し殺して生きてきたけど、もう怯えて自分を必要以上に偽らなくていいんだ。
響さんの言葉でこんなに心が軽くなって満たされるなんて、俺って単純なのか、それとも響さんだったからなのか。
自然と笑みが溢れ、駅までの道のりがもっと長ければいいのにと、密かに思った。
でも、なんで響さんは俺にあんなに優しい言葉をかけてくれたんだろう。
もしかしたら、俺の事を気にかけてくれてたんじゃないかとか都合の良い妄想をしてしまいそうになる。
いやいや、なにを考えてるんだ。
俺は響さんのこと何も知らなくて、どうしてこんなに気にかけてくれるのか考えれば考えるほど分からない。
「なに一人で百面相してんだよ」
いつの間にか考え込んでしまっていたみたいで、響さんの声で我に返る。
「えっ?俺そんな変な顔してましたか?」
慌てて表情を引き締める。
「してた」
響さんはふっと微笑みを浮かべた。
「あの、響さんはどうして俺なんかに優しくしてくれるんですか?」
見上げた響さんの顔が一瞬、曇った気がしたけどすぐにいつもの表情に戻った。
「さぁ?気まぐれ」
それだけ言うと、煙草の煙を空に向かって吐き出した。
その横顔はどこか切なげに遠くを見つめている。
━━怖ぇよ。
━━いや、怖かった。昔の話だけど。
響さんの言葉を思い返し、胸の奥がガサっと音をたてた。
「あ、あの」
「ん?」
「やっぱり、何でもないです」と俺は首を振った。
「……なんだよ、気になるだろ」
響さんは俺をじっと見下ろしてきて、思わず視線を逸らす。
「いや、その……昔何かあったんですか?さっき怖いって言ってたから」
響さんが少し悲しそうな顔をしたがすぐにいつもの表情に戻し口を開いた。
「……まぁな。でももう何年の前も話」
響さんはそれだけ言うと、それ以上は何も言わなかった。
その目がこれ以上踏み込むなと言っているような気がして俺は何も言えず、ただ黙って隣と歩幅を合わせて歩いた。
俺の知らない何かを響さんは抱えて生きているのかもしれない。
知りたいと思う反面、知るのが怖いし無理に聞き出すのは違う気がした。
「あー、O型、両親に弟が一人。八月一日生まれ、獅子座。好きな食べ物は肉。嫌いなものは椎茸。あと、好きな色は白と青。好きな動物は犬」
「え?」
突然始まった響さんの自己紹介に俺は驚いて思わず足を止めてしまった。
「お前、俺のこと知りたいって言ってただろ?まぁ、あんな話させといて、俺だけ何も教えねぇのもあれだと思って」
響さんはそう言って、そっぽを向いた。
「え、あ……ありがとうございます」
響さんの思わぬ行動に嬉しくなって、頬が緩む。
まさか、響さんがこんなことしてくれると思わなかった。
工場に通い出してから俺はこの人のことを少しわかったつもりでいたけど、まだまだ知らないことばかりで、もっと知りたいと思った。
「……もう変な気起こすなよ」
「え?」
響さんが俺の頭をくしゃっと撫で、そのまま歩いて行ってしまう。
撫でられた部分を手で触れながら耳がじりじり熱を持っていくのが分かる。
あぁ、駄目だ。完全に俺は響さんにやられてるなと痛感する。
最初は仲良くなれるだけでよかったのに……。
夜空を見上げると星が輝いていて、月の青白い光が俺を照らしていた。
月明かりに目を細めながら、初めて響さんと出会った時のことを思い出す。
あの時も、こんな月明かりだった。
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