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杏子は足音を立てぬよう、草むらにそっとひざまずいた。箙から矢を抜いて、弓につがえる。杏子はしばし息を止めた。
真っ直ぐ風を切って飛んでゆく。矢は森の奥の、小さな木製の的に命中した。
「やった! 杏子は飲み込みが早いな」
覇空が自分のことのように喜ぶ。二人は軽くグータッチした。
「ぼくは大したことないよ。覇空の教え方が上手いから」
黒いショートヘアを揺らして、杏子が恥しそうに笑う。そして、宣言するように言った。
「明日にでも、きっと大物を射貫いてみせるよ」
天幕の下では、卯美が薬研を扱っていた。何かを擂り潰しているらしい。杏子が興味深そうに顔を覗かせる。
「卯美、何作ってるの?」
毒々しいキノコのような物、何かの実、動物の臓器と思しき物――彼女の周りには、怪しげな材料がずらりと並んでいた。
卯美は内緒話をするように言った。
「ふふっ。できてからのお楽しみだよ」
「……上手くいかないなあ」
外で声が聞こえた。杏子と卯美は顔を見合せて、天幕を出た。
覇空が一本の高木を見上げている。視線をたどると、美味しそうな木の実がたくさんなっていた。手の届く高さに枝はなく、幹はつるつるとしている。登るのは難しそうだ。
覇空は勢いをつけて、幹を蹴り上げた。だが、わずかに左右に揺れただけで、木の実が落ちてくる気配はない。
「俺を呼んだか?」
斧を背負った陸斗が、意気揚々と現れた。
汗を拭い、彼は自慢の斧を振るった。天幕の方向に倒れないよう、計算しながら切り込んでゆく。
みずみずしい幹の内側が、すっかりあらわになった頃。黙々と作業していた陸斗が、突然呼びかけた。
「俺の後ろに来い。倒れるぞ」
彼の言った通りだった。高木が、鈍い音を立てて傾いてゆく。森の間隙に倒れ、木の葉が舞った。獣や鳥に似た小さな生物が、慌てて洞から逃げ出してゆく。
三人は肩を寄せ合って喜んだ。杏子だけは呆気にとられたように、その場に立ち尽している。
四人は木の実の近くに駈け寄った。実は傷んでいないようだ。
「この実、食べられるよな?」
「うん。まだ青い実も、野菜として使えるよ」
覇空が訊ね、卯美が答えた。
熟れすぎた実から、小さな尺取虫のような生き物が這い出てくる。陸斗はそれを、ブーツのかかとで踏み潰した。
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