1章 18年後の"彼ら"

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4話 少年たちの「日常」 其の三  「いいか? 同じ"世間"というワードでも、そこに内在する人によって意味は180度も360度も変わっちまう。 その上で目を向けてみろよ。やぁやぁ鼻のひとつふたつと高くなるってもんだろ?」 芝居がかった口調と身振り手振りだ。  ただ勿論。 言わんとすることは分かるのだ。 分かるのだが、所詮自分にとっては養父という概念から脱することはできない、と壱馬は心の中で思ってしまうのであった。 一方で他者の捉え方そのものに疑問を感じる。 自己とは一体どんな定義により他者と区別され、またどういう形で認知されるものなのか。  物事とは見方によって変わる。 それすらとんと解らぬ者が、他者を勝手に『この人はAだからBである』とか、『凄い、凄くない』とか。 ある一片からの見え方で、人物像全体を捉えようとすること自体おこがましくはないか。 人は大概自分のこともよく分かってない人も多い。 ならば他者のことなど余計に分かるまい。 総括すると、僕も翔作も偏った見え方をしていることになる。 そしてその偏った見え方最後に硬直する。 遂には個々の持つイメージだけでは"桐村琢馬"の実像全体を捉えられなくなる。 そしてその自分が感じた感性からは脱せない。 ゆえに翔作に対し言ったのだ。 ―父のことに関してはよく分からない―  結局は感性と価値観の押し付け合いが続くわけだし。 「世間話はこれ位にして、課題をやろう。 去年みたいに二人で先生に残らされるのは嫌だ」 「はははは!手厳しいね~人気者の俺と2人は嫌か? カ~ズマくんは不満か、そうか。 去年は夏休み丸ごとてんやわんやしていたせいで、課題やっている時間無かっただけで、俺たちには他にやるべきことがあったろう?」 大仰な様子で語る翔作を尻目に淡々と壱馬はあしらう。 「じゃあ、今やるべきことは、課題だからさっさと取りかかろうな。 "やるべきこと"、その言葉通りなら何も間違ってはいないだろう。 それとも、やらずに担任の黒田先生に大いにお叱りを受けたいか?」 そう切り返すと、翔作は苦々しい顔でぶつぶつと何かを言いながら英語のテキストを開いた。  「ところで」 ポツリと口を開く。 「『見方を360度変えてみろ』と言ったけど、それって一周して同じじゃないか?」 「…揚げ足取りすんなよ、ボケ!」 翔作は目を丸くしキョトンとしたまま静止したかと思うと、ムッとして言い返した。  しかして結果的に、一緒に課題をこなすことは、進み具合の面から絶好調であった。 翔作と僕は、国語を除いてはお互いに科目の得意不得意が真逆だ。 一人で進めるよりも効率よく課題が終わる。 翔作の不得意な理科と英語は僕が、逆に苦手な数学と社会科は翔作が。 互いに全く違う強み弱みを自己に内在するから、成り立つ利益である。 『みんな違ってみんないい』とは有名な金子みすずの詩の一節だが、この詩には心の奥底から賛同である。 と、言え二人で手が付かない国語関連が残っている。 みんな違ってみんな良かろうと、穴は存在するものだ。 もしかしたら「3人寄れば文殊の知恵」なのかもしれないが、僕らは生憎今は2人しかいない。  そうこうして15時になる頃。 苦手極まる国語以外はほぼ片づいてしまっていた。 国語は担任の黒田(くろだ)亜樹彦(あきひこ)先生の受け持ちだが、二人揃って苦手なので一旦は保留にした。 学習室の窓から煌煌と輝く日光が、高校生二人組を照らす。 夏の始まりの色が、刻々と地平へ近づいていく。 一日での進み具合に二人で満足したことだし、帰りがてら当初の計画通り和菓子屋で時間を潰しながら我らの「穴」を埋めることにしよう、そう二人で話し合い帰り道の行動が決まった。
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