五十年目の同窓会

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五十年目の同窓会

五十年目の同窓会          北川 聖                               1   拝啓  いつの間にか金木犀の甘い香りが漂ってくる季節になりました。 いかがお過ごしですか。 浦和聖南高等学校を卒業して五十年が経ちましたね。月日の経つのは早いものです。ところであまりに突然なのですが、久しぶりに同窓会を開きませんか。この前同窓会を開いたのは三十年前でしたね。皆んな輝いていました。 働き盛りでしたね。私はみなさんと縁があって一緒になりましたが、その縁は繋がっているのでしょうか。私は卒業五十周年同窓会を開きたいと思います。人生最後の同窓会を開きたいのです。私を含めた皆さんの軌跡を話しませんか。あの頃あんなに親しくさせていただいた思い出を話したいのです。 ご無理な方もいらっしゃると思いますが人生の最後を迎えた今だからこそ旧交を温めたいのです。              三年四組 学級委員 渡辺和江                         敬具  九月に入った頃、郵便受けに入っていた手紙を読んだ。渡辺さんといわれてもよく分からないのでアルバムを出して来た。大石道夫は老眼鏡をかけて最近見にくくなっている写真と下の名前を見比べた。そして少しあって思い出した。中学・高校の頃の記憶は月日が経っていようと比較的確かなものである。 渡辺さんクラスをまとめるのに苦労していたなぁ。 彼はすぐに森藤という名前を探した。彼が高一の時にその衝撃は起こった。なんて綺麗なんだ。彼はひとめぼれをしたわけだ。現実にお付き合いをする事はできなかったものの彼は想像上で彼女といくらでも親しくなれた。想像力の豊かな年頃である。それ故にこの季節は生きにくいものでもあった。彼はいつも彼女の顔を追いかけていた。彼女が悲しそうだと自分も悲しくなり楽しそうだと自分も楽しくなった。彼は彼女とテーマパークに始まって温泉まで二人っきりで遊びに行った。想像上では二人はかなりの仲まで行っていた。彼は彼女を神秘的に美しい少女だと思っていた。伝説に出てくるような少女だと思っていた。彼女と五十年ぶりに会うかも知れないんだ。会わない方がいいかもしれない。でも彼は彼女に限らずみんなに会いたいと思った。もう私たちには先がないんだ。思い出は思い出としてとっておけばいいじゃないか、もう幻滅するような歳じゃない。  彼は一生独身を貫いた。なぜかと聞かれても答えられない。そもそも交際も余りする方ではなかった。人にはいろいろいる、それで納得していた。家庭を持ち子供を持ちたいとは一度も思ったことがなかった。彼は母と仲が悪かった、女はみんなこんなものと思っていたのかもしれない。彼がいい女性を求めていても現れなかったに過ぎない。彼は一人の生活を楽しんでいる。誰かと言い合いをしたり喧嘩紛いのことをするのが、男女を問わず嫌だった。静かな生活、彼が求めていたのはこれだった。森藤裕子さんとの真の交際を願わなかったわけではないが、彼女は結局遠い人だった。 高校時代には高校時代の付き合いがあるものである、それはいろいろなグループを形作っているものだ。だがさすがに五十年も経てばそんなものは霧消してしまうだろうと彼は思っていた。だが人間根本のところは変わらない。どこかの会場で同窓会を開いても五十年前と同じようなグループが集まってしまうものである。人間はそれほど変わらないのかと自問自答した。彼は精神的には驚くほど変わっていなかった。肉体的にはもちろん年齢なりの体型になったし、少し膝が痛いし、長い距離を歩くのが嫌になった。でも彼はいつも自分は二十歳くらいだと思っていた。精神的に疲れて落ち込んだ場合は四十歳くらいに思うこともあったが、現実の年齢と自分が思う年齢が噛み合っていなかった。彼は自分は子供だと思うこともあったが、みんなこんなものだろうと全然気にしていなかった。 同窓会という言葉には不思議な魅力がある。そこで恋が芽生えてというのが定番となっている。だが私たちは全く違う。高校で初めて出会って三十代で顔見せして今は六十代後半である、もういつ誰が病死してもおかしくない年齢だ。いや現に亡くなっている方はいるだろう。それが普通なのだ。もう会わないでおこうという考えももちろんある。だが彼は自分の最期、みんなの最期を看取りたかったのだ。人間とはこうして成長し、老いていくものだということを確認したかった。 思い起こすと会いたい奴が何人もいる、彼は決して非社交的ではなかった。親友もいたし、広く浅く付き合っていた。その中に女性がいなかったのが残念だったが。あいつどうしているだろう、と考え出せばキリがない。彼自身は幸せだったのだろうか、孤独だったがそれは彼にとっては自然だった。幸せだったとは言えないが不幸だったとも言えない。ある点においては非常に後悔していたのだがそれはもう取り返すことができない。今から考えれば若かった、子供だったと言えるのかもしれないが、大人になった今から考えても行動が慎重になっただけではないかと思える。過去は変えられないということを胸の心底まで思い知ったのだ。それは彼の不注意によるものだったが時間を巻き戻す事はできない。それをずっと思い悩んでいたら自殺の道しかないと思った。彼は生きる方を選んだ。それは苦悩を選んだという事である。だが人間は二十四時間苦しむわけにはいかない。彼の中でその後悔はやがて薄まっていった。それを批判する人はもちろんいるだろう。でも生きていく方を選んだ彼には生活がある。彼の一挙手一頭足を見張られ耳の側で「反省しろ、反省しろ」と言われるわけにはいかない。彼はあの時迷惑をかけた級友に自分が生きて来たという姿を見せたかった。もちろんそれが彼のその後の生活に影を落とし鬱病を患ったりしたこともあった。彼は加害者だから幸せになってはいけないとずっと思い続けて来た
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