4、ひとしき世界

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ある意味では良くできた生殖システムです。医療など無い「ひとしき世界」の人間は、遺伝子のバリエーションでさえ種の生き残りの手段として使いました。 「恋愛という観念」を入れれば、ひとしき世界は崩れます。セックスの不公平が生まれるからです。 誰とでも交配する。これは見た目や生活スキルが低く相手が見つからない者にとって福音でさえあります。 女は女であるだけ。男は男であるだけ。それだけです。野蛮だとお思いになりますか?私は最初そう思いました。 でも、今はそう言い切れません。逆に人間同士が相手を人間として見れなくなっている現代社会の方が汚く感じるのです。 相手の容姿、財産、学歴、職業、実家の経済状態、センスと言われる持ち物、健康状態…尺度は数限りなくあり、それを互いにアピールし合い、ライバルとなる相手を貶めて蹴落として、自分が上になろうとする。 一夫一妻という制度が商取引のようになっている。 「愛」とはなんでしょうか。私には分かりません。今の人間が口にする「愛」は特に信用していません。 本当は金が目当てなのに「愛」という錦の御旗で、夫婦を壊しても奪い取る女がたくさん居るんです。 そういう人間に限って「愛」を連発します。 「愛しているから仕方がない」 「愛されていないのに別れないなんておかしい。」 「愛されているから彼は私を選んだ。」………相手の妻を傷つけた上に踏みに弄る。それが愛というものなのでしょうか。 その愛は、どうやって証明するのでしょうか。慰謝料さえ自分は払わない女。男に肩代わりさせるか、踏み倒すか。 男も愛を口にしながら、別れた子に対して養育費を払うのは4割いるかいないか。それも、殆ど途中でバックれます。 何度も何度も結婚して、違う女に子を産ませて、養育はしない。そんな男がたくさんいます。 あまりにも醜い。 醜い自分の姿も見えていない人間を見守らなければならない私は、どういう存在なんですか! 現代社会は「序列の世界」です。細かく細分化された序列の中で人間たちは生きている。 「ひとしき世界」の中には次世代に命を繋げることのみの価値観しかありません。自分は今日を生きるしかない。 でも、村のみんなは笑っていました。今日生きていることの奇跡を知っていたからです。 なんとシンプルで力強い。 そもそも命とはそのようなものなのです。 (よう)は、同じ殻に入った私の気を引っ張り我ものにして流れる筈の身体の支配者となり生きていたのです。 命そのものは、強欲で力強く自発的なものです。
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