2、カケル

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私は自分のことを『オレ』と言うようになりました。その時の私は「オレ」でよかったのです。村では男も女も「オレ」と自分のことを言っていました。 カケルは、腕のいい狩人でした。魚は川に仕掛けを作って獲っていました。鹿やウサギを弓で射ってしとめていました。物々交換で手に入れた塩を持っていて、食べきれない肉や魚は干物にしたり燻製にしていました。彼は手先が器用でなんでも作ってしまいました。 先ほどの機織り機やミシンもそうですが、生活に必要なものは全部カケルの手作りでした。 私が1番初めに習ったのは、食用できる植物の採集です。主にクリです。これはアク抜きが要りません。アク抜きが面倒ですが、トチやどんぐりも採集しました。木の見つけ方、つまりは各々の木の見分け方を教わりました。 食べ方も煮て食べたり、すり鉢でゴリゴリしてパンのようにして火で焼いたりしました。ワラビやゼンマイなどの山菜も一緒に採りに行って私は覚えました。そのうちに植物採集は私の仕事になりました。 朝早く起きて、2人で朝ごはんを食べて、それぞれの仕事に行く。終わったら帰ってくる。夕ご飯を一緒に食べて一緒に眠る。 ただ、それだけの事が私には幸せでした。カケルも同じだったみたいです。 食料を保存してあるので毎日働くと言うワケでもなかったです。温泉に行ったり、2人で花を摘んだりもしました。 そのうちに私はカケルから弓を習い始めました。弓はカケルが作ってくれました。一緒に狩に出るようになりました。カケルと暮らし始めて2年が過ぎていました。私は12歳ぐらいになっていました。1人で歩いていると村の男から絡まれたりすることもありました。そんな時は何時も背負っている弓で男たちを蹴散らしました。 カケルは、まるで私の父親のようでした。私もそう思っていました。父親と娘が一緒に眠っている。小さな家族がそこにありました。 あの頃のカケルはお喋りではありませんでした。何かを何時も考えていて、突然に何かを作る。お酒が好きで、それも山葡萄から作っていました。お喋りではなかったけれど「オレはもう直ぐ死ぬ。」と良く言っていました。 「死なねぇよ。カケルは殺しても死なねぇとオレは思うよ。」と私は、何時も言っていました。 2人で本当に寄り添って暮らしていたのです。一緒の毛皮の中で抱っこしてもらうのが私は好きでした。 楽しい暮らしでした。でも、私は自分のお役目を放棄して遊んでいるという自覚はありました。そのうちに高天原に帰ろうと思っていました。 “カケルが死んだら……。“
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