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「ええ。今年、ディエラの鏡主様は十七歳に、鏡鍵様は八歳になられました。もう、心配いらないでしょう。玉主様も玉鍵様も、先日初任務を無事終えられたようですし」  本来なら、今年十歳になったであろう剣鍵の存在が在れば、このようなフォローをライサンがする必要もなかったのだ。幼きサンジェイラの玉主玉鍵の穴を埋めるには、アシェイラとディエラの宝主宝鍵だけで十分だったはず。  それとも、こうなる事がわかっていたからこそ、創世の女神は自分をこの世界に送り出したのか? 記憶をそのままにして。 「どの道、剣鍵様の喪失からしてイレギュラーな事なのですから、私の存在についても、本当ならありえないものですね」 「やめよ、ライサン」  自分の存在を否定しているとも捕えられるライサンの言葉に、リュカ老師は咎めるような声をかけた。 「ただ人に過ぎない私には、母神様のお心などわかるはずもないですし」  紡がれたライサンの声には、愛しさが溢れている。 「ずっと聞きたかったのじゃが、ライサン」 「なんでしょうか?」  そしてリュカ老師は、今まで怖くて聞けなかった事柄を口にした。 「セイントクロスの地に、今現在、我らが母神様は本当におわすのか?」  剣鍵の喪失。  玉主の片眼に宿った忌色。  そして、ライサンのような者の存在。  現代の女神の子供の代は、ありえない事だらけなのだ。  大神官であるリュカ老師でさえ、今までと違い過ぎる状況に戸惑いと恐怖を覚える。  本当に女神は、自分達のいるこの世界で眠り続けていてくれているのだろうか? その腕に邪神を抱え、封印したまま……。  リュカ老師の疑問の言葉を聞いたライサンは、その顔から一切の表情を消す。 「まだ、知らなくてもいい事です」  その答えを聞いたリュカ老師は、小さく項垂れた。 「ルークの今後は……」  今後の世界の事を考えて暗くなりかけたリュカ老師の耳に、ライサンの、年相応の青年らしい声が届く。ライサンにとって、まだ先の見えない漠然とした世界の危機よりも、現状が大事なようだった。  それにほっと胸を撫で下ろしたリュカ老師は、にっこりと笑って答えた。 「ルークの配属先は、常にお前の傍という形にしてある。この先お前が出世するたびに、同じようにルークの配属変えが行われるじゃろう」  ライサンが支部で神官長になれば、その補佐に。本部で大神官になれば、大神官補佐に。常にライサンの傍らに在るように……。 「ルークが女の子であったなら、話は簡単だったのじゃがなぁ」  女性であったなら、おそらくライサンが神官になる必要もなかった。 「セリクス家を継ぐお前の元に、嫁に出せば良いだけの話だからの」  今更言っても仕方のない事だが。  ライサンが興味を示し、執着を示したものが、人間の男の子だったが為に、こんな面倒臭い事になっているのだ。 「元々あんまりいい印象を持たれておらぬというのに、お前の母様にワシはかなり嫌われてしまったわい」  名門セリクス家の長子。  本来なら家を継がねばならぬ長男が、偉大なる祖父の後を追って神官になった。世間の者は、ライサンの事をそんな風に見ている。 「仕方ありません。貴族のままでは、ルークを傍に繋ぎとめる事が出来ないのですから」  ライサンのその言葉を聞いたリュカ老師は、心配そうな目をして言った。 「確かに、あのままだったら、お前は遅かれ早かれ壊れてしまった事じゃろう。ワシもそれが心配じゃった。あの時、サンジェイラでお前がルークに興味を示した時は、本当に嬉しかったのじゃ。……しかしのう、ライサン。ルークは感情のある人間じゃ。お前の傍に繋ぐ事は、ワシらの力で出来るが(職権乱用じゃが)心を繋ぐ事は、無理には出来ん。それを心するのじゃよ」  真摯なリュカ老師の言葉に対し、ライサンは小さく頷いた。 「はい、お祖父様」 「いい子じゃ。ではの、ワシも仕事が残っておるのでな」  そう言って去って行った祖父を見送ると、ライサンはルークの寝顔を見下ろした。  そして、思い出す。  過去の彼の姿を……  血のように赤い髪が印象的な、薄汚れた子供。  痩せこけたその体の中、瞳だけが爛々と輝いていた。  生きたい。  生き残りたい。……と  自分にはまるで縁のない、激し過ぎる感情。  過去の記憶に縛られ、毎夜毎夜それに苦しめられていたライサンは、生に対する執着が、あの頃まったくなかったのだ。  これが、生きているという事か?  これが、生きている人間の感情なのか?  欲しい。  あの時、これが絶対に欲しいと思った。  それが初めてライサンが感じた、人間らしい感情だったのだ。 「ええ。ずっと傍にいますよ、ルーク」  ルークが間違えて口にした先程の言葉に答えるかのようにささやくと、ライサンはそっとその唇に口づけを落とした。
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