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私――遠藤桃佳は、限界を迎えそうだった。
度重なる都市開発。高層マンションや商業施設により、住んでいるマンションの日当たりが変化した。また、着工に伴い発生する工事音。やむを得ないと分かっていても、時折耳障りで騒音に値する。
夜は夜で、パトカーや救急車、消防車。赤色灯が眩しい上にサイレンが響き渡る。
さらには終電まで響く踏切音。鉄ヲタでもなんでもない私にとって、苦痛以外の何者でもない。
女性にとって、シンデレラタイムを妨害している状況は、なんとしてでも改善しなければならない。全てが肌の敵だ。
今夜も騒々しく、なかなか寝付けない。早くここから出て、静かな場所で暮らしたい――そう思いながら、私は無理矢理目を閉じた。
*
そんな私の日課になってしまったのが、物件探しだった。と言っても、散歩がてらあらゆる住宅を見つつ、生活環境を体感するというもの。町の雰囲気、治安問題。実際に、その場へ向かってみないと分からないことだ。
今日の散歩コースは、都心から離れた小平市。西武新宿線花小金井駅で下車した私は、改札を通過した。都心のように迷路になる駅でなく、こじんまりとしている。
紺色のワンピースとベージュのパンプスでも歩きやすいのは、行き交う人が都心に比べて少ないからだろう。
今のところ、俗に言うぶつかりおじさんも遭遇していない。ぶつかりおじさん――なんて可愛いネーミングはいらないと思う。わざと女性の肩にぶつかりながら歩く、ただのクズだ。
クズがいないおかげで、私の大切な黒のショルダーバッグも無傷。自分へのご褒美に奮発したショルダーバッグは、うん十万のブランド品。持っているだけで気分が上がり、足取りも軽やかになる。パーマを掛けたばかりの髪の毛が、歩くたびにふわふわ動くのを感じつつ、私は駅を出た。
駅前に並ぶ店は、ギラギラしたようなネオンとは違い、庶民的な居酒屋やコンビニ、菓子店などだ。地域密着型。どこか古き良き昭和の香りもする。もちろん、市民にとって欠かせないスーパーも構えている。
スーパーの店先に並ぶのは自転車の数々。子どもを乗せる電動自転車が多く見られることから、子育て世帯にとっても住みやすい町だと勝手に推測。学校近くや通学路であれば、見守り隊のような人達がいるかもしれない。ボランティアとはいえ、市民の安全を守る正義の味方。つまり、治安が良いほうだとこちらも勝手に推測。
駅前に限らず、一帯はマンションが多い。だが木々も多く、圧迫感を抱かない。空が広く見えるのは、緑の癒し効果だろうか。疲れ切った都心よりも、心にゆとりを持つことができそうだ。
*
私は日が暮れても尚、あてもなく歩いた。
小金井公園に辿り着くと、さらに開放的に感じた。爽やかな風と葉の香り。桜の名所らしいが、すでに散っている。しかしこれから訪れる夏場、ピクニック利用もできそうだ。レジャーシートを敷き、お弁当を食べ、子どもたちは水鉄砲でビシャビシャになりながら無邪気に遊ぶ……そんな幸せな光景を想像した。
現在の夕方は、犬の散歩をしている中年夫婦と、イヤホンを付け、ウォーキングをしている男性。全身スポーツブランドでジョギングをしている若い男性。それぞれが、好きなように好きな時間を過ごしている。
私はウォーキングしている男性を見つつ、歩みを進めた。
30代くらいの男性は、爽やかな短髪。仕事帰りなのか、スーツにリュックを背負っている。仕事で疲れているはずなのに、健康のためにウォーキングするストイックさ。
イヤホンで何を聴いているのだろう。音楽だろうか。ラジオの可能性もある。もしかすると、英語や中国語などを聞き流し覚えているのかもしれない。むしろ、そうであってほしい。時間を有効活用できる男は、仕事もできるタイプではないだろうか。
背後から男性の手を確認した。両手共に指輪なし。未婚の可能性が高い。
そのまま、男性のウォーキングコース通りに進んだ。この先に待っているのは恐らく自宅。
推測通り、辿り着いた場所は3階建てのマンションだった。103号室が男性の部屋らしく、ライトが付く。ベランダに干している衣類も男物。
一人暮らしだろうか。彼女はいるのだろうか。
不安がありつつも私は決めた。今度の居住地はここにする、と。
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