FLY ME TO THE MOON

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FLY ME TO THE MOON

「あ〜、楽しかった」 タベルナを後にし、颯斗と知紗は再び車に乗り込んだ。 演奏を堪能しながら、初めて会ったはずの美鳥と楽しく会話をした。 帰り間際に、メッセージアプリのIDを交換までした。 颯斗は颯斗で、久しぶりに会った友人との交流がとても楽しかったようだ。 そんな二人は、先程まで過ごしていたタベルナでの事を再び話す。 「お料理も美味しかったです。お店なので、あまり褒め言葉にならないかもしれないけど」 知紗は、稚拙な褒め言葉を口にした自分を笑いながら言う。 「いや、そんな事ないだろう?むしろ“美味しかった“って、初めて来た客に言われるのは最大の褒め言葉じゃない?」 友人の店を褒められ、颯斗は嬉しそうだ。 そんな話をしながらも、車は順調に走行していく。 そして、信号待ちの為に車が停車した。 「知紗さん…」 知紗を呼ぶ颯斗の声が聞こえ、知紗は颯斗に顔を向ける。 その時、肘置きにあった知紗の手に、颯斗の手が重なった。 初めて手が触れ合う。 知紗は、鼓動が早まるのを自覚した。 「…すぐ帰ってしまう?…まだ…時間が平気なら…、河川敷…行っても良い?」 「じ…時間は平気です。でも…河川敷?」 時間はすでに22時を超えている。 辺りは真っ暗だが、河川敷は街灯がある。 「…何となく…離れ難い。散歩…しない?」 同じ気持ちを持った知紗は、握られた手をそのままに、コクンと頷いた。 「…じゃあ、せっかくだし…もう少し…サックス…聴きたいかも…」 知紗の提案を、颯斗は喜んで承諾した。 ◇◇◇◇ 車を河川敷の駐車場に停めると、二人は少し暗い河川敷を歩いた。 ウォーキングコースとして整備されている為、街灯が歩道を照らしている。 そこを、颯斗に手を握られたまま知紗は歩く。 そして少し歩いた場所にあるテニスコートの側に辿り着いた。 テニスコートが設置された場所は、ネットで囲われている。 そのネットの横にベンチがあり、そこに颯斗は背負ってきたアルトサックスのケースを置いた。 そして調整を終えると言った。 「じゃあ、夜空に奏でる、ソロコンサートをしますか」 笑いながらも、颯斗はちょっと照れくさそうだ。 知紗は、そのケースの横に腰掛け、小さく拍手をする。 そして奏でられたのは『FLY ME TO THE MOON』。 知紗も聞き覚えのある曲だった。 覚えている歌詞を、曲に合わせて小さく口ずさむ。 『In other words, hold my hand In other words, baby, kiss me』 『In other words, please be true In other words, I love you』 颯斗によって奏でられる曲が、辺りに響く。 河川敷に、今日は靡く風は無い。 なのに、最初に颯斗と会った時のように、風が曲を運んできたかのように、知紗を包む。 まるで音色が風になったように。 アルトサックスが奏でる音が、風が歌うかのように。 曲が終え、颯斗がゆっくりと知紗に近付く。 「In other words, hold my hand」 そして、知紗に向かって手が差し伸べられる。 「言い換えれば…手を握って…」 導かれるように、知紗は颯斗の手に自分の手を置いた。 「In other words, baby, kiss me…言い換えれば…キスして欲しい…」 颯斗は知紗の手をギュッと握る。 「In other words, I love you…知紗さん…、君の事が…好きなんだ…」 颯斗の手が、知紗の手を引っ張る。 颯斗によって、知紗は立ち上がった。 目の前の颯斗がより近くになった。 見れば、ほんのり顔が赤い。 そんな颯斗を見て、知紗も顔が紅潮してくるのが分かった。 ほんの少しだけ、期待していた。 今日はいつもにも増して、颯斗が知紗に対して『好意』を表していた。 極端なものでは無い。 むしろ僅かな“匂わせ“だ。 でも、だからこそ知紗の胸の中の『恋情』も高鳴った。 そして今。 颯斗の腕に導かれ、その大きな胸に知紗の身体が収まった。 ギュッと抱き締められる。 「…好きだ。タイミングが合った週末に少しだけ会うなんて…もう満足出来ない。」 大きな声では無い。 なのに知紗の中で、まるでさっきのアルトサックスの音色のように響く。 「知紗さんの…特別に…なりたい」 颯斗の言葉に、知紗は颯斗の背中に回した手に力を込めて答える。 「…嬉しい…。特別な…彼女にしてくれる?」 「知紗さん…、なって。…俺の彼女に。付き合って欲しい。」 颯斗の腕が少し緩まり、二人は顔を合わせた。 知紗は瞼を閉じながら、自分の唇を颯斗の唇に寄せた。 『In other words, baby, kiss me…言い換えれば…キスして欲しい…』と颯斗は言っていた。 それは知紗の望みでもある。 知紗の身長では颯斗の唇には届かない。 颯斗がそっと唇を寄せ、重なる。 FLY ME TO THE MOON。 もし颯斗と月に行ったら…、今感じているようなフワリとした浮遊感を味わうのだろうか。 そして風の無い月でも、同じ様な気持ちになるのだろうか。 そんな事を考えながら、知紗は颯斗の唇 を受け入れた。
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