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ご存命でした
今日のアルバイトは中番。だから始まりはお昼の12時。アラームなんてかけなかった。
でもカーテンから漏れる陽ざしと、可愛らしい小鳥のさえずりが私の目覚ましになったみたい。
私はゆるりとした心地で、そんな健やかな朝を迎えたのだっ——
「おはよ」
「……」
「じゃあまた後でね」と、私の気持ちをよそにイケメン幽霊はそう微笑んで、空気へと溶けていくように姿を消していった。
「もう来なくていいです……」
私は今度こそ、正真正銘の独り言を口にした。
そしてどうしようもなく後悔する。
そもそも何で私が、こんな幽霊と半同棲生活をするはめになってしまったのか——ということを……。
私は1つ、思い当たることがあった。それは心霊に興味を持ったことである。
と言っても怖がりだし不届き者でもないから、心霊スポットには行っていない。かと言って家とアルバイト先を往復するだけの私が、うっかり禁則地へ入ってしまったわけでもない。
ただ昨日の夜みたいな、入浴前の何気ない時間がきっかけだったんだ。
1か月前くらいの話。私はそろそろお風呂も沸く頃だしと、永遠に観れてしまう猫や犬のショート動画を切り上げた。けれどホーム画面に戻ったら、とある切り抜き動画を誤タップしてしまったんだ。
それが心霊だった。
でも私がイメージしていたものとは全然違って、明るいスタジオで演者さんが談笑をしていくスタイルの、怖さとは真逆のものだったのである。
もちろん切り抜いたものなので観やすかったせいもあるけれど、その動画のお陰で私が興味を持ったのは、生きている人と変わらない幽霊の話だった。
例えば人気店のラーメン屋さんの前に現れた幽霊が律儀に列の最後尾に立っているとか、公園で遊ぶ子どもに交じって駆け回っていた男の子の幽霊が、同じ歳くらいの女の子が来た途端、恥ずかしがるようにもじもじし出すとかだ。
並ばなくてもバレないのにな~。好みの子だったのかな~? って言う感じで、とても不思議なのに腑に落ちて面白かった。
だから興味と言っても、心霊写真とか実際の事件が絡む内容のものは観ていない。かなり選りすぐって観ている。
そういうわけでこんな風に、自分が幽霊と遭遇する日が来るなんて思いもしなかったのだ。
私的には、ただ心霊に興味を持ってしまっただけなのに……って言う気分だった。
まぁ幽霊が見える人の話によると、関心がある人に寄って来るらしいし。って、それも本当かはわからないけれどさ。
それに私は、あのえっちな幽霊しか見えないんだ。
うう。私ってもしかして、実はえっちなのかな……。
変なことを考えたせいか、幽霊との情事を思い出してしまい下腹部が疼いてしまう。
「ば、ばかか私。早く朝ご飯食べよ」
「りらちゃんりらちゃん。前に男前が居るって話したじゃない?」
「え。ああ、はい。お惣菜屋さんの」
いつものように10分くらい前に出勤すると、早番の菊花さんは早速、何だか楽しそうに私へ話題を振ってくれた。
でも午前中に菊花さんが売ってくれたスイートポテトの補充がまだだったので、私は冷蔵庫の中からタッパーを取り出し、そこに入ったタネをアルミカップに詰めながら話を聞くことにした。
「違うわよ。橋本店長も男前って言ったけど、先月の話よ。忘れたの? ここに新しく来た、フロアマネージャーのこと!」
「フロアマネージャー……ああ」
そう言えば、そんな話をしていたっけ。私はまだ会ったことないけれど。
でも私はただのアルバイトだ。別にお偉いさんに顔を覚えてもらう必要はないだろう。
「その男前のフロアマネージャー、見られたんですか? 私はエリアマネージャーとなら挨拶出来ましたよ。あ、そうだ。菊花さんって、エリアマネージャーも爽やかでハンサムだって言ってませんでしたっけ?」
「言ったわ! エリアマネージャーの錦さんもいいわよねぇ~!」
「あははは。菊花さんってば~」
って、何の話? と言うか菊花さん、そろそろ退勤時間だけれど大丈夫かなぁ。
私は菊花さんを心配しつつタネのグラムを計り、表面をなだらかに成形していく。お店を通過していくお客様にも声を掛けた。
よし。あとは卵黄を塗って、トースターで焼き目をつけるだけだ。出来上がってくると、バターとお芋のすっごくいい匂いするんだよねぇ。
「あらごめんなさいね。お客さんが一度に来たもんだから、補充が出来なかったのよ」
「いえいえ、ワンオペですし。いっぱい売ってくれてすごいです。ありがとうございます」
「……それでね、フロアマネージャーのことなんだけど」
「は、はい」
お昼になり、フロアはまだお客様の入りが良かった。菊花さんとのお喋りは好きだけれど、お客様の前では少し気が引けた。
うちのお店に足を止めてくれるお客様が居ないのことが虚しくも幸いだ。
私は厚くなり過ぎないようにタネの表面へ卵黄を塗りながら、菊花さんの話の続きを待った。
すると突然菊花さんは、私の肩を掴んで少女のように弾んだ声で言った。
「あ! ほら、あそこに居たわよっ」
「っ。は、はぁ」
危なかったぁ。手元がブレて、刷毛でタネを潰すところだったよ。
私は相づちを返すも、菊花さんが指差す方を見ていなかった。
だから私は一度、卵黄の入ったココットに刷毛を立てかけた後、顔を上げることにしたんだ。
でも——
「え……あ、ああ、あれって……」
その姿を見て、私はゾッとする。身体中の体温が一気に下がっていくのがわかった。
だって菊花さんが指差した男の人……私のアパートに毎日現れる、ゆ、幽霊にそっくりだったのだ……。
「だからあれがフロアマネージャーよ。まだ若くて可愛いけど、結構体つきがしっかりしていて男前でしょ?」
「え……菊花さん、あの人が」
“見えるんですか?”と続けて訊こうとしたけれど、私は混乱していて言葉を失っていた。
「そう。4月からこの食品売り場に配属されたフロアマネージャーよ。わぁっ、錦さんも一緒じゃないっ」
でも菊花さんの様子と、エリアマネージャーと一緒に他店の従業員と話す彼を見て私は悟る。
も、もしかしてあの幽霊って……ご存命でいらっしゃいました~~!?
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