39人が本棚に入れています
本棚に追加
「私はカストラートだ」
このままでは事態は好転しない。危険の結末も予想できない。見えないから闇は怖いのだ。そして隠すほど好奇を煽るのだ。
ならばこちらから晒してしまえばいい。
「カストラート?」
オペラとは縁がない者達だ。だが歌は言葉を越えて届く。全てを変えられずとも、揺さぶるくらいならできる。
息を大きく吸うと、彼の最大の武器を開放した。
男達は強風におののいた。
だが実際は凪いでいた。それは神の目覚めを促すほどの天使の歌声が起こす嵐だった。
瞠目し口をだらしなく開き、圧倒的声量に気圧される。
「聞いたことあるぞ。お前は去勢歌手だろう」
魔法が解けたか。一人が叫ぶ。マテオの息が乱れる。
凶暴な光が男達の目に再び灯る。腕を掴まれ必死に抵抗する。
つい歌い過ぎてしまった。隙があるときに逃げ出していれば良かったのに。風向きは変わってしまった。
「こっちよ! お巡りさん」
諦めかけたところで女の声が叫んだ。
男達が慌てて逃げ出す。
マテオは支えを失い転倒して肘を打った。
「痛っ──う」
痛みを堪え、手さぐりで立ち上がろうとする。
「大丈夫?」
女が近づいてきた。相手の居場所を耳で探す。
「あなた、目が……」
傷む手が温かな感触で包まれた。
それは柔く小さな女の手だったが、貴婦人達とは異なり、皮膚厚く弾む脈動が伝わってきた。
「血が出てる。手当てをしないと」
「大したことない。歩けるよ」
肩を貸そうとするのを断り足を踏み出すが、御者を失ってはニ歩目が続かない。
「警察は?」
「あれは、嘘よ」
最初のコメントを投稿しよう!