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魔性の女vs洗脳されちゃった女の子 ―恋の三角関係の行方は…―
キャスターが慣れた様子でニュースを読み上げる。
「○○王国の第一王子が、今月5回目の求婚動画を上げました。お相手はいつも通り日本のピアニストの女性で……」
画面内では、きらびやかな衣装をまとった青年が花束を片手に愛を語っている。心ここにあらずといった様子だ。
「彼女のピアノを聴くと、彼女以外のすべてがどうでもよくなるんだ。僕の頭は彼女でいっぱいなんだ……!」
相手の女性として画面に映されているのは、淡いピンク色の長い髪を持った美女。
燈次はスマートフォンに向かって笑い声を上げた。
「相変わらずモテるな、さき子は」
「何見てるの、燈次くん」
燈次の後ろから登場したのは、淡いピンク色の髪の美女だった。画面に映っていた女性とそっくりだ。
燈次はスマートフォンのニュース動画を閉じて返事をする。
「お前のニュースだよ。某国の王子がまた求婚だと」
さき子はのんびりと返す。
「熱心ねー」
「さき子は余裕だな」
「モテるのは慣れてるもの」
「うわお」
「あれ。燈次くん、嫉妬した?」
「からかうなよ。ただの友人に過ぎない俺を」
さき子はふふ、と艶やかに笑った。燈次は思わずグッとつばを飲みこむ。
さき子は燈次の正面の席に座る。たったそれだけの動作で、彼女はカフェの中にいる人全員を釘付けにした。
さき子は燈次をじっと見る。目があう時間が妙に長い。何か勘違いしてしまいそうだ。
燈次は首を左右に振る。
いや、勘違いだろう。
意味ありそうな仕草は、さき子の癖。
さき子はただ、人を魅了する天才。それだけだ。
そう考えなおした燈次は、さき子を待つ間に頼んでいたオレンジジュースをちゅごご、と音を立てて飲んだ。
さき子はぷう、と頬を膨らませる。その後でいつもの余裕たっぷりな笑みに戻った。
「実は今日、燈次くんに紹介したい人がいるの」
燈次はブッとジュースを吹きだした。
「まさか、男」
「女の子よ。最近仲良くなったの――。おいで!」
さき子が柱の向こうに向かって呼びかける。
するとひとりの女性が現れた。それは、燈次も知っている相手だった。
「泉?」
泉は燈次の女友だち。クールな印象の子なのだが……。
「何か変だな」
燈次は疑問を持った。
いつもと何か違う。そうだ。表情だ。いつもはツン、と他を寄せつけない顔をしている。しかし今日は、何だかまるで、酔っぱらったような印象だ。
昼間から酒を飲んだのだろうか? 彼女は成人しているのだから、おかしなことではない。しかし何か……何かが変だ。
「ピアスがハートだ。珍しいな?」
泉はハート型のような、ラブリーな小物を嫌っている。そんな彼女が、今日は大きなハートのチャームが光るピアスを身につけている。
燈次が顔を覗きこんでも、泉が泉は黙ってニコニコしている。
すると、さき子が泉に促した。
「説明してあげて、泉ちゃん」
泉はようやく口を開いた。
「このピアスはさき子さまが選んでくださったんです」
さき子は満足そうに微笑み、手招きをする。
「説明できて偉いわね。おいで」
「はい、さき子さま」
泉はさき子のそばに座り、彼女の膝に頭を乗せた。泉は恍惚とした表情を浮かべている。
燈次は首をひねった。
「いつもの泉らしくないな……?」
燈次たちはそのまま、カフェでランチを注文する。燈次はたまごサンド。さき子はベーグルサンド。
だが泉はさき子に身体を預けたまま、メニューに目を向けようとしない。
見かねた燈次が声をかける。
「泉、お前の好きな辛口のチキンがあるぞ」
しかし泉は無反応。今度はさき子が声をかける。
「泉ちゃん、何食べたい?」
「さき子さまが決めてください」
「じゃあイチゴクリームのパンケーキ」
「はい、それにするです」
泉はとろりと笑った。燈次はますます違和感を覚える。
「泉、甘い物は嫌いなはずじゃ」
「泉ちゃん、甘いの好きよね?」
「はい、あたし甘いの好きです」
パンケーキが運ばれてきた後、泉は食べようとしなかった。さき子がナイフとフォークを持たせて、この順番で食べてと指示され、彼女はようやく食事を開始した。
その後のショッピングも、泉は似たような様子だった。さき子の言うことなら何でも聞く。さき子に言われないと何もしない。普段の泉がほしがらなさそうな商品も、さき子に促されれば喜んで買う。
燈次は耐えきれなくなって、さき子に詰めよった。
「さき子、泉に何かしたなっ?」
さき子は身体を左右に振って口笛を吹く。
「私、わっかんなーい」
「とぼけても無駄だぞ。何かこう……術でも使って操ってるんじゃないか?」
さき子はふふ、と妖艶に微笑む。
「強いて言うなら……ピアノを聴かせてあげたくらい?」
さき子は近くにあったストリートピアノに触れた。彼女が一曲弾いてみせると、通行人が残らずさき子に向かって膝をついた。
さき子は舌をぺろっと出す。
「私くらいピアノが上手だと、ちょっと弾いただけで他人を私のとりこにできちゃうの。老若男女問わず」
ねー。そう言ってさき子は泉を呼んだ。泉はさき子に指示された通り、さき子の膝に頭を乗せた。
そんな魔法みたいなものがあるもんか!
そう言いたいが、それを可能にするのがさき子という女だ。
燈次はぐぬぬ、とうなる。
「さき子は人を魅了する天才だ」
「ええそうよ」
「でもそれで、自我まで奪ってしまうのはどうかと……」
さき子は子どものように頬を膨らませる。
「せっかく可愛いお人形さんにしてあげたのに」
「とにかく。泉は元に戻してあげてほしい」
「えー」
「えー、じゃなくて」
「分かったわよ。でも最後にあれ乗ってから」
そう言ってさき子は、ショッピングモールのそばに設置された巨大観覧車を指さした。
「何で観覧車?」
「だって燈次くん、高いところは嫌いだから嫌って言うでしょ。だから泉ちゃんと一緒に乗るの。泉ちゃんなら一緒に乗りたいって言ってくれるから」
「泉のそれは意志か?」
「泉ちゃん行きたいよねー?」
泉があまりにも笑顔を浮かべてうなずくので、燈次は分からなくなった。
さき子たちはふたりでさっさと歩き、券を買って観覧車に乗りこむ。燈次は少し悩んだが、ふたりについて行った。
観覧車が回りはじめてすぐ、係員のうろたえる声が聞こえた。
「え、設備点検。今から? ええと……」
燈次が降りようと提案すると、さき子は口を尖らせた。
「楽しみだったのに」
燈次とさき子は観覧車を降りる。
「俺は高所に行かずに済んで安心したが。……あれ、泉?」
しかし泉はまだ観覧車に乗ったままだった。笑顔を浮かべたまま、座席にしっかりと座っている。
さき子が声をかける。
「泉ちゃん、降りてらっしゃい」
しかし泉は動かない。さき子が再度声をかけても同じだ。さき子は愛らしく首をひねる。
「変ねえ。効きすぎちゃったかしら」
「早く解除してやってくれ」
「あのねえ。魅了するのは簡単だけど、解除するのは難しいのよ」
「じゃあ最初からやらなきゃいいだろう」
観覧車はまだ回っている。設備点検は実施しないのだろうか?
泉の乗ったゴンドラのドアが閉まってしまう。もう外からはどうもできない。
さき子はため息を吐く。
「私だって、こんなに深く洗脳できると思ってなかったのよ」
「どういう意味だ」
「魅了して操るには、内側に秘められた願望を引きだすの。私が願望を叶えてくれる存在だって思いこませるのよ」
「つまり?」
さき子はフーと長いため息を吐いた。
「誰だって頼れる他人がほしい。でもそれを隠すために、平気な顔をしている子もいるの。泉ちゃんはそうだったのかもしれない、ってこと」
悪いことしちゃったかも。さき子はそう呟いた。
燈次は観覧車のほうを見る。泉は笑顔を浮かべ、人形のように座っている。
やがて、観覧車は停止した。泉の乗っている場所は、5メートルていどの高さで止まっている。このまま設備点検が終わり、運転が再開されるのを待つしかない。
燈次が苦い思いで見上げていると、係員がうわっと声を上げた。
その直後、泉が乗っているゴンドラのドアが開いた。
別の係員も呼んで対処しようとしているが、扉が閉じる気配はない。
燈次はさっと青ざめてゴンドラを見上げる。
開いたドアから、泉が顔を出す。表情は見えづらいが、きっと困ってさき子の指示をあおごうとしているのだろう。
「危ないわ、戻って!」
さき子が叫ぶが、泉はさらに身体を乗りだそうとする。彼女の声が上手く聞こえていないのだろう。
燈次はクッと唇を噛んだ。
そして彼は、観覧車のそばに生えた大きな木を登りだした。
「待ってろ、泉!」
燈次は無我夢中で木を登る。運動神経なんてよくないのに、火事場の馬鹿力を発揮した。
太い枝を蹴ってゴンドラに飛びうつる。自分の身体が最新技術を詰めこんだ航空機に変わった気分だったが、ギリギリ届かなかった。燈次は観覧車のドアに両手をかけてぶら下がる。
泉はぼうっと燈次を覗きこむ。すべきことが分からない、というふうに。
燈次は片手を伸ばし、泉の指先に触れた。
大丈夫。そう伝えようとして。
しかし燈次は手を滑らせた。
「ヤバい!」
そう思ったが、燈次は落下しなかった。泉が燈次の手首を掴んでいたのだ。
彼女はクールに微笑み、燈次を引きあげた。
観覧車の中で、ふたりは並んで座っている。
泉は壁にべったりと身体をくっつけて動かない。
燈次が彼女の背中に問いかける。
「怖かったのか?」
「申し訳なくてあんたの顔が見れねえんですよ」
「泉のせいじゃないだろ」
「あたしの弱さが全部悪いんです」
「誰にでも弱い部分はあるさ」
泉は黙った。燈次には、彼女の肩が少し震えて見えた。
普段の泉はクールで、自分の芯があるように見えていた。でも思いかえせば、彼女はときどきヘラヘラと、誰かに救いを求めるような笑い方をしていた。
さき子に言われたことを頭の中でもう一度思いだす。
「いつもクールに振るまっている人だって、自信があるわけじゃない。本当は誰かに人生を決めてほしいと思っていたりする……」
燈次はそのことを小声で繰りかえした後で彼女に言った。
「泉は今のままでいいと思うよ」
「え?」
「泉はさ、自信もっていいと思う。お前の好き嫌いがハッキリしてるとこ、俺は好きだからさ」
泉は燈次のほうを振りむいた。彼をしげしげと観察した後、ぽつりと言った。
「……燈次さまって最低ですね」
「は?」
「周りの女の子に、すぐそうやって言うんですね」
「何の話だ」
「どうせ心に決めた相手がいるくせに、すぐ人に優しくして。あんたは悪い男ですよ」
「友だちに優しくするのは当然じゃないか……」
「鈍感かつ優しい男って、一番たちが悪い気がしますよ。無自覚に女の子に優しくしてさ」
「話の趣旨がよく分からんのだが」
「だから、さき子さまやあたしは、燈次さまのこと……」
そこまで言った後、泉は下を向く。
「すみません。助けてくださったのに余計なこと」
「助けてもらったのは俺だよ。危うく落ちるとこだった」
「元はと言えばあたしが」
進展しない会話の後、ふたりは黙ってしまう。そして泉は身体ごとそっぽを向いた。
何だか寂しいが、ようやく彼女らしい態度を見せてくれた気もする。冷たい態度も喜ぶべきか。
そう思っていると、泉は壁を向いたまま平坦に言った。
「好き嫌いがハッキリしているのがいい、って言いましたよね」
「うん」
「あたし、実は高いところ嫌いなんです」
「あ、そうなのか」
「だから……ほんのちょっとだけ、いいですか?」
そう言って泉は、ためらいがちに燈次の服の袖を掴んだ。
泉の耳が、少し赤くなっているように見える。
燈次の心臓が思わずドキッと鳴った。
燈次は頬を搔きながら考える。
「今日は何だったんだろう。さき子も、泉も……?」
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