ルリ

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 翌週、リオの傷はおおよそ癒えたが、気分は晴れなかった。ほとんどの時間をルリと過ごしているが、ひどく無為だ。部屋に閉じこもり、自身を顧み続ける日々は彼の神経をすり減らした。どれほど自分が恵まれ、幸せだったのか思い知るばかりだ。  父や兄の権力で守られ、ぬくぬくと生きてきたことに今更のごとく気付いた。二十も半ばにして遅すぎる。だが、父の言ったようにまだやり直せる年齢であることもわかってはいる。わかってはいるが、謹慎の身では何もできない。何もできずに自身を顧みることが罰だということも理解はしている。  本や書物を取り上げられはしなかったから、ルリの勉強を見てやることはできた。その時間だけはどうにか自分を取り戻せた。  そんなある日、船長室に置いていたピアノが届けられたと知らされ、本当に戻れないのだと足元が崩れ落ちるような気がした。だが、部屋まで運んできてくれた三人を見て、彼は目を丸くした。 「まぁったく、しょぼくれた顔しちゃって! 本当、ダメ船長ね」  キャロルに思い切り額を突かれて仰け反る。 「キャロル、俺はもう船長じゃ……」  キャロルは彼の目の前に指を一本突き立てる。 「アタシたちの船長はアンタだけってみんなで決めたの。ピアノを運んできたのは口実よ。今は会長と社長の意向であんたとは面会禁止なんだもの」 「キャロル……」  彼にも嘘をついて騙してしまっていたのに彼は以前と少しも変わらない。 「俺ももちろん同意見だ。ムーンライトの船長はお前だけだ、リオ。せっかく俺が育ててやったってのにそのままにするかよ。一時的に船長はするが、繋ぎだ。お前のやり方は変えねぇよ」  ムーンライト号は本来、ジョージが船長だった際に副船長だった彼が船長になるはずだった。リオがいたから彼は船長にもなれず、ほかの船に移ることもできなかった。その彼が船長になるのは当然のことで、その言葉は意外だった。 「ライリー、でも俺は……」 「ルリの件はお前とはぐれた俺の責任でもあるって言ったろ? お前が厄介を拾ってくるのなんていつものことだ。そんなに負い目に思うんじゃねぇよ。このバカ生真面目野郎」  いつものように悪態をつかれてリオは何も言えなかった。 「船長の旦那、あっしも同じ気持ちでさ。ムーンライト号の船長はリオ・ガーネットを置いてほかにいねぇ。ルリを買っちまったのは悪かったかもしれねぇけど、旦那がルリをそれはもうでぇじにしていたのはよおく知ってまさ。みんなわかってる。船に帰ってきてくれるのを待ってますぜ、船長」  シモンもいつものようになつこい顔で笑ってくれた。彼にも嘘をついていたのに変わらずに待ってくれるという。 「シモン……俺は……」  嗚咽で喉が詰まってなかなか言葉が出てこない。 「ありが、とう……」 「まったく泣き虫が直らねぇなぁ」  ライリーに頭をぐしゃりと撫でられた。二人も慰めるように肩を叩いてくれたが、ジョージの咳払いで慌てて出て行った。面会禁止は彼のあずかり知らぬところで行われていたらしい。だが、三人を通したのはジョージの恩情だったのだろう。 「いい仲間を持ったな、リオ」 「ああ、俺にはもったいないほどだ」  ジョージはリオに二冊の本を押し付けて去って行った。一冊はチィヤンに関する文献で、一冊は子供用の絵本だった。ただ無為に過ごすのではなく、学べという意味だろう。  リオは涙を拭って本を胸に当てる。この謹慎の日々を無為に過ごすのではなく、信頼を取り戻すために過ごそうと決意した。失った一番大きなものは信頼だ。船長は信頼あってこそのもの。どうしたら信頼を取り戻せるのかわからないが、ただ誠実で真面目なのが彼の取り柄だ。もう一度一からやり直せばいい。  彼は窓を開けてルリを探す。ルリは近頃、彼の甥姪たちと遊びまわっていることが多い。彼が陰気に落ち込んでいるからいたたまれないのだろう。 「ルリ、いないか?」  声を掛けるとすぐにそばの木の枝からルリが顔を出した。かくれんぼをしていたらしい。今のところルリは全勝だと得意げに話してくれたことがある。ルリは小柄で木登りが得意だから見つけるのが難しいのだろう。一番下と同い年だから手加減されている可能性も否定できないが。 「なあに?」 「ずっと元気がなくてごめんな。もう大丈夫だから一緒に勉強をしないか?」 「うん!」  部屋に飛び込んできたルリを彼は抱きとめる。 「リオ、本当に元気?」 「ああ、もう元気だ。ありがとな、ルリ。お前がいるから頑張ろうって思えるよ」 「ルリ、リオといていいの?」 「もちろんだ。約束しただろ?」  ルリは複雑そうに目を伏せた。 「みんな怒ってた。リオ、ぐったりして運ばれてきた。ルリのせいでしょ?」  ルリは幼いなりにちゃんと感じ取っていたのだろう。自分のことばかりでルリに目を向けられていなかった。ルリの頬を透明なしずくが流れ落ちる。ルリも苦しんでいたのだ。リオは少女をやさしく抱きしめる。 「違う。俺が間違えたんだ。ルリは悪くない。俺がルリといたいと思ってしまったから罪を犯した。その罪を償うために刑罰を受けた。それだけだ」 「ルリが一緒にいたせい?」 「そうだな、否定はしてやれない。でも、俺がそばにいてほしかったんだ。ルリだけのせいじゃない。俺はルリとの約束を守りたい。ルリがそばにいてくれるから俺は幸せだ」 「本当?」 「ああ、本当だ。大好きだぞ、ルリ」 「ルリもリオ大好き!」  ぎゅっと抱きしめた小さな命を必ず幸せにするとリオは誓った。人買いという罪を負った身だからこそ、しなければならないことがある。
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