ルリ

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「やっと見つけたぞ、船長さんよぉ! 大人が迷子になるんじゃねぇ!」  突然後ろからライリーに怒鳴られてリオはハッとする。いつの間に船に戻ってきたのだろう。全く記憶にないが、彼がいたのはムーンライト号の甲板で先ほどの少女が傍らにいた。 「え、あ、すまない、ライリー」 「どうした? 今起きたみてぇな顔しやがって」 「えっと、その、なんでこの子がここにいるんだ?」 「は? 誰だ、この嬢ちゃんは」 「わからない」  ライリーは怪訝な顔をしてリオの額に手を当てる。 「熱があるってわけでもないよな。さっきまで手ぇ繋いでたんだからお前が連れてきたんだろう?」 「わからない。奴隷市に迷い込んで、この子が檻の中にいるのを見たことは覚えているんだが……」 「はぁ?」  彼の声が威圧するように大きくなった。怒っているのは間違いないだろう。絶対に行ってはならないと言われたエリアに迷い込んだのだ。 「リオ、ルリを買ってくれたの。怒らないで」  不意に少女が口を開いた。それは東方の言語でウェンレアや母国の言葉ではない。 「なんて言った?」  ライリーには小声過ぎて聞き取れなかったらしい。 「俺がこの子を買ったと言った」 「はぁあ? ちょっとこっちに来い!」  足音荒く踏み鳴らしながら連れて行かれたのは船長室だった。彼の部屋である船長室であれば人目もなく、音も漏れにくい。 「リオ、買ったならお前は鍵を持っているはずだ。あるか?」  違法な奴隷市では檻の鍵に値段が付けられており、客が買うのは鍵で中にいた奴隷は勝手について行ったというのが常套句だ。万が一摘発されても言い逃れをするためのものであることは誰にも否定できないだろう。  リオがいつも使っているポケットを探ると覚えのない真鍮の鍵が出てきた。 「あった」  ライリーは苦々し気にその鍵を受け取り、刻印を確認する。 「金貨十枚。お前、なんでそんなに持ち歩いてやがんだ」 「ジョージ兄さんが必ず二十は持てってうるさいから……」 「おお、ジョージ、今回ばかりは恨むぞ、その助言」  彼は呻くように言った。彼はジョージの親友でもある。リオが財布を確認すると金貨がきっちり十枚減っていた。 「お前がこの子を買ったのは間違いないようだが、まったく覚えてないんだな?」 「覚えてない。この子の歌を聞いたところまでしか覚えてないし、君に怒鳴られて船に戻ってることに気が付いたんだ」 「歌? 歌といったか?」 「ああ。この小さい身体から出るとは思えないような大きな声で素晴らしい歌声を響かせていた」  ライリーは少女をしげしげと見る。 「この嬢ちゃん、チィヤンか?」  翼のある種族がいくつかいるのは知っていたが、その名を聞くのは初めてだった。 「チィヤン?」 「翼を持ち、衰えることのない美貌の種族だ。歌声で幻惑し人を操る力があるともいう。見るのは初めてだが、恐らくそうだろう。他の種族に比べて翼が小さいのもチィヤンの特徴だ」  少女の翼は飛べるとは思えないほど小さい。 「じゃあ、俺はこの子に操られたってことか?」 「おそらくな。何か異変があったんじゃないのか?」 「歌声に吸い寄せられるような衝動はあった。それに今も歌ってるけど、ライリーには聞こえないのか?」 「聞こえねぇな」  ライリーはしゃがんで少女と目を合わせる。 「リオを幻惑しているなら解いてもらえないか? 追い返しやしねぇから」  少女は頭を振って困ったようにリオの顔を見上げた。 「してない」 「幼すぎて無自覚なのか? この子も解放されたくて必死だったのかもな」  ライリーは深いため息を吐いて立ち上がる。 「幻惑があったと証明できない限り、このまま連れ帰れば、お前は逮捕を免れない。だからといってこの子を置き去りにするわけにもいかねぇ。どうしたもんか……」  彼らの母国イースウェアでも人身売買は違法だ。いくら国内で一、二を争う大金持ちガーネット家の末息子でも免れない。いや、ガーネット家に名を連ねるがゆえになおさら厳しい処罰が下るだろう。ガーネット家は大財閥であるがゆえに範たる存在であれという掟がある。こと人身売買に関しては決して許されるものではないという立場を取っている。いくら溺愛される彼であってもタダでは済まされないだろう。 「俺が買ってしまったのは覆しようのない事実だ。歌声を振り切って引き返せたかもしれないのに引き返さなかったのも、大金を持ってふらふらしてたのも俺。この子のことは最後まで責任を取る。帰国したら自首する。それでいいか?」 「このくそ真面目の誠実迷子野郎が」  呻くように呟いて肩を殴られたが、彼は何も言えなかった。無防備で慢心があったからこの事態を引き起こしたのだろう。すべての責任は彼のものだ。 「リオ、この件に関してはイースウェアに帰るまで保留だ。この嬢ちゃんは捨て子を拾ったことにしろ。帰国したら社長の意見を仰げ。いいな」 「わかった。ありがとう、ライリー」 「お前が迷子になりやすくて面倒ごとを拾って来やすいとわかっててすぐ見つけられなかった俺にも責任はある。とにかく今は船長としての務めを果たせ」 「わかった」  リオは不安そうにしている少女の前にしゃがむ。 「初っ端から怖い思いをさせてごめんな。まず、名前を教えてくれないか? 俺はリオ・ガーネットだ」 「ルリ・メイリー」 「ルリ、かわいい名前だね」  リオが頭を撫でてやるとルリはくすぐったそうに笑った。 「寝床と着るものをどうにかしなきゃな」  少女が着ているのは裸ではないだけで、ペラペラの薄いものだ。暑さも寒さも防げるとは思えない。 「寝床はお前のとこが一番安全だろ」  ライリーに言われてリオはついと細い顎をなぞる。 「この子、女の子だぞ?」  ムーンライト号は男所帯ではあるが、女性の乗組員がいないわけではない。いくら船長室が広いといっても他にやる場所がないわけではなく、幼いとはいえ男女だ。 「ルリ、リオと一緒」 「まだ小せぇんだからいいんじゃねぇか?」 「ルリはいくつかな?」  ルリは指を五本立てた。 「これくらいなの」 「五つ。一番下の姪と同じか」  彼には五人の姉兄がいて、甥や姪も両手の指では足りないほどいる。 「風呂だけはグレースに頼むとして、服はキャロルに頼みに行くか」  グレースは女性の乗組員の一人で船医だから個室を与えられている。商船であるこの船では病気の治療が主だから比較的時間もある。 「グレースには診察も頼んどけよ。病気があったらことだ」 「そうだな。グレースは夜まで戻らないと言っていたから、先にキャロルのところに行くよ」 「きゃーカワイー! って離してもらえなくなりそうだな。くれぐれも口を滑らせるなよ」 「ああ」  リオはルリを抱き上げて部屋を出る。ルリの歌声はいつの間にか聞こえなくなっていた。それに心なしか元気がない。 「どうしたんだ? ルリ」 「ルリ、連れてって、助けてって、たくさん思った。リオのお目目見て、もっと思った。リオ叱られた。ルリのせい?」  やはりルリは無意識にリオを幻惑してしまったのだろう。けれど、それが事実だったとしても彼にはルリが愛おしく思えた。必死に助けを求め、偶然に選ばれたのがリオであったなら守ってやりたいとさえ思う。あの劣悪な環境では幻惑されていなくても助け出したくて買ってしまったかもしれない。 「ルリのせいじゃない。大丈夫だ。ただ俺がルリを買ったってことだけは黙っていてくれるか?」 「うん。ルリ、リオ、大好き」  リオはふと笑って瑠璃の頭を撫でる。純粋な少女の心が愛おしい。 「俺も好きだよ、ルリ」  梯子を下り、狭い廊下を進むと目当ての部屋についた。昨日まで布の買い付けに走り回っていたが、今日は部屋にいるはずだ。彼は買った布はすぐに検品してきっちりと整理してくれる。 「キャロル、いるか?」  ドアをノックして声を掛けるとややあって返事があった。手が離せないらしい。ドアを開けると彼はちょうどアイロンをかけていた。白髪を短く刈り込み、鮮やかなオレンジ色の花柄の服を着ている彼は船での繕い物や布の管理を一手に引き受ける仕立屋だ。航路の都合上、布の取引の多いムーンライト号には欠かせない存在でもある。 「あらやだぁ、船長さんに隠し子がいたなんて聞いてないわよ?」  キリが付いたのかアイロンを置いて顔を上げた彼は驚いたように目をしばたかせた。リオはこれくらいの子供がいてもおかしくない年ではあるが、現状恋人さえいない。 「違う。捨て子を拾ったんだ。服を作ってやってくれないか?」  キャロルはうれしそうに悲鳴を上げた。特別大きく厳つい見た目に反してかわいいものが大好きな彼の琴線に触れたらしい。 「服を作ってあげるってことは船に乗せるってことよね?」 「ああ、そういうことだ」 「まぁ、なんて素敵なの!」  キャロルはルリと目を合わせるためにかがんだが、余計に威圧感が出ていた。派手な化粧にルリはたじろいでいる。キャロルは今日もゴールドのアイシャドウに真っ赤なルージュを引いている。 「アタシはキャロル。アナタのお名前は? おいくつ?」  矢継ぎ早な問いにルリは怯えたのかリオの胸に顔を隠した。 「キャロル、この子は東方の言葉しか話せないみたいなんだ。名前はルリ・メイリー。五歳だ。ライリーが言うにはチィヤンという種族らしい」 「あら、そうなの」  彼は少し残念そうに息をついた。 「でも、まだ小さいからすぐに話せるようになるわね」  彼はふふんと笑ってルリを抱き上げ、ビロードの張られた台の上に立たせる。 「この布ペラペラね。サイズもあってないし。元々着てたの? 船長さん」  不満げな声にリオは苦笑いをこぼす。 「ああ、元々着てた。それほど汚れてないだけマシだろ?」 「そ、ね」  彼はメジャーや物差しを見せたり、ジェスチャーをしたりして意思の疎通を図りながら採寸を進めていく。彼は子供好きを自称するだけあって子供の扱いに手慣れているらしい。  彼は布の仕入れの際はリオを通訳に介しているため、母国語と共通語しか話さないが、そうして意思の疎通を図っているのを見かけることは多い。大柄で派手ないで立ちばかりが目を引くが、有能であるのは疑いようもない事実だ。。仕立屋としての腕もぴか一でセンスもいい。元より引く手数多だったらしいがリオの人柄にほれ込んでついてきてくれている。ただ、濃い化粧と派手な服装で誰もおおよその年齢さえ知らない。 「ん、いいわ。明日には最高にかわいいお洋服を用意しておくわね」  キャロルがばちんと音がしそうなウィンクを投げるとルリは驚いた顔をして両目を閉じた。どうやらウィンクを真似しようとしたらしい。あまりのかわいさにリオは緩んでしまった口元を隠す。 「船長さん、この子何色が好きかわかる?」  リオが問うとルリは壁にかけられた淡いピンクの布を指さした。だが、壁にかかっている布はそれほど色数がない。 「ピンクのようだが、いっそ選ばせてやったらいいんじゃないか?」 「そうねぇ。ラピスラズリ色の翼にブルネット、青い瞳だし……」  キャロルはぶつぶつ言いながら布の束をいくつも出して来た。仕入れたばかりの布まで出して来たのを見て彼は面食らったが、見ないふりをする。ガーネット商会の店頭に並んでもどうせ量り売りで少々減ってもわかりはしない。華やかな色の布にルリは目をキラキラと輝かせた。 「好きな布を選んでいい」  ルリは小さな悲鳴を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねながら翼をパタパタとさせた。うれしいらしい。飛ぶには随分小さいように見える翼はなんのためについているのだろう。それともこの小さな翼でも飛べるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えている間にルリはピンクを基調とした花柄の布を選んだ。やはりピンクが好きらしい。 「んん、オーケー。ばっちりかわいく仕立ててあげるわ。船に乗るのにふさわしくね」 「んん、おーけー!」  ルリは響きが気に入ったのかキャロルの真似をしながらそう叫んだ。 「やだ、カワイイ! 船長さん、この子、ここに置いて行かない?」 「ダメだ」  リオはルリをひょいと抱き上げる。 「言葉を覚えさせたり、ここのルールを教えたり色々あるしな」 「そんなこと言ってかわいいからそばに置きたいんでしょう?」  低い声でねっとり絡むように言われて彼は苦笑いをこぼす。 「否定はしない」  キャロルはくすくす笑って作業台に向かう。 「そう言えば、ルリちゃんは飛ぶのよね?」 「いや……翼は動くらしいが、飛んでいるのは見ていない」 「そ。ウフフ、腕が鳴るわ」  彼は大きな紙を引き出してデザインを描き始めた。こうなると彼は止まらない。リオはそっと部屋を出る。彼は単なるお針子や仕立屋の枠には収まらない。近頃王都の方でもてはやされているデザイナーというものに近いのだろう。もしくは芸術家だと思っているから彼の仕事には一切口を出さない。彼のセンスは一級品で彼の作ってくれた服はいつも評判がいい。リオがまとっている服もほとんどが彼の作品だ。 「さてと。他にも部屋はたくさんあるんだが、徐々に覚えて行けばいい。できるだけ俺から離れないようにしてくれ。いいな」  船の内部は入り組んでいて広い。船内では思わぬ危険もある。迷子になられたら一大事だ。 「うん。ルリ、おなか減ったの」  懐中時計で時間を確認するとちょうどおやつの時間だった。ライリーとはぐれたのは午前中だった。記憶のない間に食べさせていないのなら、昼食を抜いてしまっているのかもしれない。懐中時計をウエストコートの胸ポケットにしまい、食堂に足を向ける。 「今ならシモンが菓子を焼いてる時間だ」  シモンは料理番の一人だが、菓子作りが好きで停泊中はほぼ毎日菓子を焼いている。航海中も二、三日に一度は菓子を作る。自前で材料を仕入れ、菓子を欲しがるものに売ったり、停泊中は港の子供たちに売ったりして小遣い稼ぎをしている。故郷に置いてきた妻子のために少しでも多く稼ぎたいものは少なくない。燃料や材料の拝借も少々であれば黙認している。  広い食堂に入ると予想通り甘い香りが漂っていた。 「シモン、この子にも菓子をくれないか?」  シモンは驚いて焼けたばかりのケーキを取り落としかけた。 「船長の旦那、どこでこさえてきたんで?」  やはりそう見えるのだろうかとリオは内心複雑になる。確かに若いといってもこれぐらいの子がいるものは少なくない。混血の彼の子であればブルネットでも不思議に思われないのだろう。  ガーネット家は代々どこぞの港で見染めた女性を妻にしてきた関係で兄弟の誰も同じ髪色をしていない。すぐ上の兄エドワードはブルネットだが、彼は輝く黄金の髪に一筋の赤毛が混じるという独特の髪色をしていた。 「俺の子じゃない。拾ったんだ。腹が空いているらしいから、何か食べさせてやりたい」 「へ、へい、すぐに」  シモンはすぐにドライフルーツの入ったパウンドケーキを切り分けてくれた。ルリは大喜びでパウンドケーキをほおばった。フォークが添えてあったが使い方がわからなかったのか手掴みで食べている。しつけも受けていないのかもしれない。たった五歳で売られていたのなら、もっと前からあそこにいた可能性もある。  二切れ目に手を伸ばそうとしたところでフォークの使い方を教えてやるとルリはにっこり笑って続きを食べ始めた。今のところ大人しくて聞き分けのいい子供に見える。まだ来たばかりだから猫をかぶっているのだろうか。 「野郎どもと違ってかいらしなぁ」  シモンは日に焼けた顔でやさしく笑った。故郷に置いてきた我が子のことを思い出しているのかもしれない。彼にはちょうどルリと似た年頃の娘が二人いる。 「美味!」  ルリが空になった皿を差し出しながら言うとシモンは困った顔をした。彼もまた共通語と母国語しか話せない。 「ああ、おいしいって言ったんだ。この子は東方の言葉しか話せないらしい」 「そうですかい。おかわりですかね?」  リオが確認するとルリは元気に頷いた。 「おかわりだとさ」 「すぐにもってきやす」  シモンはルリから皿を受け取って厨房に戻って行った。 「リオ、その子は?」  不意と声を掛けられて振り返るとグレースが立っていた。予定よりも早く帰ってきたらしい。 「ああ、拾ったんだ。ルリ・メイリーという。俺が面倒を見るが、風呂の世話だけ頼もうと思ってたからちょうどよかった」  グレースはため息を吐いてこめかみを押さえる。彼女はこの船の古株で短期間とはいえガーネット家に世話になっていた時期もあるから、彼にとって姉の一人のようなものだ。優れた船医であるだけでなく、全体の相談役としても一役買っている。 「犬や猫じゃないんだ。気軽に拾っておいでじゃないよ。この子いくつだい?」 「五歳だ。ライリーが言うにはチィヤンという種族らしい」 「ふぅん。かわいいじゃないか。わかったよ。風呂の面倒は見てやる。その前に健康チェックと行きたいところだな」  その時、不意と荒々しい足音が聞こえた。 「グレース戻ったのか」  声の主はライリーだった。 「なんだい、そんなに急いで。誰か急病かい?」  ライリーは大きな手でリオの頭をがしりと掴む。 「うわっ」 「こいつの頭を見てやってほしいんだ」 「バカ正直で騙されやすくて迷子になるのは治せないって言ったろ?」  からかうように笑ったグレースの耳元でライリーは囁く。 「その子供に幻惑されてるかもしれねぇんだ」 「詳しくは部屋で聞こうか」 「ああ」  ちょうど新しいケーキを持ってきたシモンにルリを頼み、彼女の部屋に移動する。多種多様な薬品や消毒液の臭いが鼻を突く。 「で、どういうことだい? あんな幼い子が害を及ぼすようには見えないけど」 「あの子はチィヤンという種族で歌声に洗脳する力がある。伝説じゃ国を亡ぼすほどだったというが、定かじゃねぇ。意図しない限りは発動しないし、使うことが禁じられているらしいんだが、あの子は幼く、教育を受ける前に親元から引き離されている可能性がある。こいつ、路地裏であの子を閉じ込められて歌っているのを聞いた後から俺に怒鳴られるまで記憶がねぇっていうんだ。俺には聞こえなかったが、こいつにはずっとあの子の歌声が聞こえるっていうし、まともじゃねぇんじゃねぇかって」 「なるほどね。ずいぶん詳しいじゃないか」 「昔ちょっとな」  ライリーは含みのある言い方をしたが、今追及するべきことではない。 「拾ったんじゃなくて拾われたということかい?」 「それより悪い。買わされたんだ。帰国したら会長と社長に八つ裂きにされちまう」 「父さんとジョージ兄さんはそんなに怖くないと思うんだが……」 「末っ子だから大事大事にされててこれまで甘々だったかもしれんが、今回はいくらお前でもヤバいんだ。洗脳されてなくても洗脳されててくれ」  拝むように言われてリオは曖昧に笑う。社長である兄とは十五も年が離れていて兄弟という感覚が希薄で、甘やかされている自覚もある。父も老いてから遅れてできたリオに甘いと長姉によく言われるからライリーの評価が妥当なのだろう。 「そういうのは専門外なんだがね。幻惑は掛けたもんにしか解けないから、もしかかってたら厄介だよ? あの子が間違ってかけちまっただけなら、解けるとは思えないしね」  そう言いながらもグレースは診察を始める。 「瞳孔、心拍、呼吸は正常。受け答えも問題なし。おおむねいつも通り。けど、記憶が完全に飛んでるあたり幻惑にかけられた可能性はある。ま、今は正気だ」  グレースはふと息をついて腕を組む。 「しかし、とんだ厄介ごとを拾ってきたもんだねぇ。一人で歩かせるなんてアンタらしくないじゃないか、ライリー」 「人込みではぐれたんだ。その時点から普通じゃなかったのかもしれんがな」  ライリーは盛大にため息を吐く。 「どうあがいても処分されるだろうなぁ。いくら何でもことがでかすぎるし、証拠もねぇと来てる」  リオは長い金の髪をかき上げて真っ直ぐにライリーを見上げる。 「処分を受けるのはかまわない。連れてきてしまった以上、ルリのことに関しては最後まで責任を取る」 「そうしてくれ。誠実でくそ真面目なのがお前の唯一の取り柄だ」  その言葉にムッとしたが何も言い返せなかった。 「俺とグレースで少しでも減刑されるように考えるから、お前はこれまで通りしっかりやってくれ」 「わかった。ルリを連れてくる」  リオは急いで食堂に戻る。シモンはルリに手遊びを教えていた。言葉が通じなくても幼い子の父である彼には通じる手段があるものらしい。 「ありがとう、シモン」  声を掛けるとルリは一目散に走ってきて彼に飛びついた。リオはそのままルリを抱き上げる。 「や、かまいやせんよ。ルリは船長が一番なんですねぇ」  そう言って目を細めた彼は少し寂しそうに見えた。故郷を思っているのだろう。 「船長。ルリに何を食べたいか聞いてくだせぇ。食事をちっとは融通してやらにゃ食えんでしょう」  船で出される食事は日持ちが最優先され、硬かったり、味が濃かったりする。船員たちはそれに慣れているから文句を言うものはいないが、幼いルリには厳しいかもしれない。リオが問うとルリはいつもパンしか食べていないからわからないという。 「なんてこった。それじゃこの子はおいしいもんを知らねぇのか! 今日はシモンがたらふくうまいもん食わしてやっからなぁ!」 「やっからなぁ!」  ルリは言葉尻を真似して遊んでいるらしい。やはり無邪気な子供で幻惑してしまったのも無意識だったのだろう。そう思うと哀れにさえ思えた。 「かいらしなぁ」  シモンはルリの頭を軽く撫でて厨房に戻って行った。ルリのためにも早くから夕食の支度を始めることにしたのだろう。リオはルリを連れてグレースの部屋に戻る。入浴と健康チェックを済ませないことには安心できない。  ルリは痩せてはいるが健康であることがわかり、彼はほっとした。少しずつ、ゆっくりとわかりあっていけたらいい。
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