息子の新居

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「息子の部屋を探してます」  目の前に座る中年の女性はやや俯きがちに小声で言った。ほつれた髪のせいかやつれて見え、陰鬱そうな空気が彼女の周りを覆っているように見える。目の下の隈が酷いせいかもしれない。これは訳ありだと、俺は内心で溜息を吐く。 「承知致しました。では、この記入用紙にご記入をお願いします」  肝心の息子の姿が見えなくても、こちらはプロだ。営業スマイルを崩すことなく、俺は用紙とボールペンを女性の前に差し出した。 「ちなみにどの辺りをお探しですか?」  先にいくつか候補を見つけようと、パソコンの賃貸検索画面を見ながら口頭で尋ねる。 「……東京のことはよく分からないものでして……出来るだけ安く借りられそうな場所があればいいのですが」 「そうですね。出来れば息子さんの学校、もしくは就職先に近いところが望ましいかと思われますが……最寄り駅はどちらですか?」  この周辺には強い不動産屋なだけに、広域になってしまうと対応も難しくなる。 「特にないんです。ただ、息子が東京に憧れていたものだから」  なるほど。わがままな息子の為に、わざわざ母親が田舎から出てきたというわけらしい。確かにそういうお客さんがいないわけじゃない。子供を独り立ちさせたいと、親が勝手に契約をするということもあるからだ。ただし、全ての物件で契約者が親というのが許されるわけじゃなかった。 「ちなみにご契約書様はお母様でよろしいですか?」 「はい」 「そうなりますと、管理会社の方に確認が必要となります。場合によっては、断られることもございますので」 「……分かりました」  その確認作業も含めるとなかなか骨が折れるが、俺は溜息を呑み込んだ。
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