嘘つきは本当の始まり

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「平太、今日は学校でしょ! さっさと支度しなさい!」  朝から母ちゃんの野太い声が響いた。4月1日、高校生である俺は本来、春休み真っただ中のはず。それが体育館で行われる入学式の会場設営とかで、新二年生だけが登校しなければならない。まったく、面倒な話だ。 「実は担任が急病になったんだよ」  適当な嘘をついてみる。もちろん、俺が物心つく前から俺のことを知っている母ちゃんには通じない。 「また適当な嘘を言って。どうしてこんなに嘘をつく子になったかねえ」  ボヤキながら呆れが混ざった溜息をついた。そんな母ちゃんの背中は、以前より萎んで見える。勝手に他所で女を作って蒸発した父ちゃんに何一つ愚痴を零すことなく、女手一つで俺を育てている母ちゃんは現在、二つの仕事を掛け持ちしている。暮らしは楽ではないけど、それなりの生活を営めているのは母ちゃんが頑張ってくれているお陰だ。でも無理が祟っているのは、その身体を見ればわかる。 「それに俺は今、左腕を怪我しているだろ。だから特別に免除されたんだよ」 「いくらエイプリルフールだからと言って、都合の良い嘘ばっかり言うんじゃないよ」 「やっぱりバレたか」 「イギリスでは嘘をついて良いのは午前中までって話だよ。アンタも嘘をつくのは昼までにしとき」  俺の嘘を軽々といなした母ちゃんはそう言いながら、渋々登校する俺を送り出した。  学校までの道のりを歩いていると、後ろから「よう、平太」と声が掛かった。振り向くとクラスメイトの智也が、見るからにダルそうな足取りで近寄って来る。 「春休みだってのに、登校なんてかったるいよなあ」  そう不満を吐き出す智也に、俺はエイプリルフールを仕掛ける。 「そう言うなって。今日は牛丼一杯百円の日だから、帰りに食って帰ろうぜ」 「えっ、マジかよ!」  素直に食いついて来た智也に俺がニヤッと笑って返す。それですべてを察したようだ。 「なんだ、嘘かよ。お前は本当に息を吐くように嘘をつくな。女子から嫌われるぞ」 「そんなことはない。今日あたり、みんなの憧れ弥生ちゃんからきっと、デートのお誘いがあるぜ」  智也はあからさまな嘲笑を浮かべる。 「それは嘘を通り越して妄想だな」 「最近俺たち、良い雰囲気なんだぜ」 「嘘つきなだけでなく、おめでたい奴にもなったようだ」  俺の嘘を歯牙にもかけない智也と一緒に教室へ入ると、思いがけないことが起こった。 「担任、急病で今日は休みだってよ」  先に登校していたクラスメイトから齎されたその情報に、俺は思わず眉を顰める。 「マジで?」 「さっき職員室で副校長が話しているのを聞いたから、間違いねえよ」  俺の嘘が現実となった、なんて少し大げさか。単なる偶然だろうと独り言ちながら、みんなと一緒に体育館へ移動する。  うちのクラスは保護者席となるパイプ椅子を並べる係になった。左腕のじん帯を損傷している俺にとっては、最悪な仕事だ。  片手で運べるのはせいぜい1台ずつだなと見積もりながら、舞台下に設置されている収納倉庫へ向かうと、学年主任から声を掛けられた。 「おい、平太。お前は腕を怪我しているから、椅子運びは免除だ」 「えっ、免除?」  俺の表情が自然と強張ってしまったのが自分でもわかる。学年主任が少し困惑を浮かべた。 「なんだ、不満か?」 「いや、別に」 「代わりに来賓の控室になっている家庭科室を掃除してくれ。片手でも箒や雑巾は扱えるだろ」  俺は小さく頷いてから、家庭科室に向かった。また、母ちゃんについた嘘が現実になった。こんな偶然の重なりもあるんだな。  家庭科室に行くと、そこには女子が四人いた。その中にはなんと、あの弥生ちゃんもいる。 「平太君も来賓控室の設営担当になったの?」 「腕を怪我しているから、掃除しとけってさ」 「じゃあ、テーブル拭きをお願い」  掃除なんて面倒だけど、弥生ちゃんに頼まれたらやる気が出る。我ながら実に単細胞な男だと思う。  手際のよい女子のおかげで、作業がスムーズに進んで行く。そのうち三人がゴミ出しやらテーブルに飾る花を取りに行くとかで出て行き、俺と弥生ちゃんの二人きりになった。 「ねえ、平太君。明日暇?」 「年中無休で暇人だよ」 「無休で暇って、なんだか矛盾して聞こえるけど――」  屈託なく微笑む弥生ちゃんの笑顔はやっぱり、魅力的だ。 「――映画のタダ券が手に入ったから、良かったら一緒に行かない?」 「ええっ!」  思わず声を荒げてしまった。弥生ちゃんもビックリする。 「なんか、変なこと言った?」 「いや、ぜんぜん。ちょっと興奮しちゃって」 「なにそれ、オジサンみたいな言い方」  笑う弥生ちゃんに合わせて、俺もカラ笑いを浮かべた。もちろん、弥生ちゃんから誘われた喜びもあるが、それ以上にまた適当についた嘘が本当になったことへの驚きの方が大きかった。  誰かが戻ってくる足音が聞こえてくる。弥生ちゃんは「あとでライン入れるね」と微笑んで、何事もなかったように掃除を続けた。俺は嘘と現実がゴッチャになって、なんだか心ここにあらずの状態に陥った。  設営が終わってようやく解放され、帰りも智也と一緒に下校した。 「力仕事をやったせいで、腹減ったなあ。駅前で牛丼食って帰るか。百円なんだろ」  揶揄うように言う智也に、俺は「そうだな」と力ない返事を返す。三つの嘘が本当になった現実が、どうしても受け止められずにいる。 「どうした平太、お前も腹が減って元気が出ねえか。ここはやっぱり、牛丼しかねえな」  そう言いながら意気揚々と歩く智也が、急に立ち止まった。 「おいおい……マジかよ」  智也が向けている視線の先をなぞるように見ると、牛丼屋ののぼりが見えた。そこには『本日限り、牛丼並盛一杯百円!』と記されている。 「平太、お前どこでこの情報を仕入れたんだよ」 「い、いや、偶々だよ」  また嘘が現実になった。なんだこれ…… 「どういう訳だか知らないが、二、三杯食っちゃおうぜ」  単純に喜ぶ智也を尻目に、俺は動揺が隠せない。とにかく、ついた嘘がすべて現実になっていく。四回も続けばこれは偶然ではない。今日は嘘が本当になる日だ。  そう覚った瞬間、俺の脳裏に母ちゃんの言葉が蘇る。 (イギリスでは嘘をついて良いのは午前中までって話だよ。アンタも嘘をつくのは昼までにしとき) 「今、何時だ?」  思わず智也に訊いた。奴はスマホを取り出して画面を見る。 「正午まであと一分だけど、どうかしたのか」  もはや一刻の猶予もない。智也の質問には答えず、俺は真っ先に浮かんだ嘘をつく。 「母ちゃんを楽にしてやりたい!」  力を込めて叫んでしまった。智也が目を丸くしている。 「急になんの主張だよ」 「あっ、いや、牛丼一杯百円だから、晩飯がいらないくらい食えば、母ちゃんも夕飯の支度をしなくて済むだろ」 「平太は母ちゃん思いだな」  智也はそのまま牛丼屋へ入って行った。普段から何かと母ちゃんに嘘をつき、迷惑をかけている俺が「楽にしてやりたい」と言った。これが嘘と認識されるのなら、母ちゃんはきっと楽になるはず。  だが、想定外の不思議なことが起こった。じん帯を損傷している俺の左腕から、痛みが消えていく。 「あれ、どういうことだ」  母ちゃんが楽になるのではなく、痛みが取れた俺が楽になっている。何が何だか分からない。 「――嘘のつき方を間違えたかな」  首を捻りながら、俺も智也に続いて牛丼屋へ入った。  その日の夜、母ちゃんは相変わらず仕事でクタクタになった体で帰って来た。「よっこいしょ」と言いながら、居間に座り込む。 「夕飯の支度の前に、ちょっと休ませておくれ」  そう弁解を述べる母ちゃん。作ってもらえるだけでもありがたいのに、なんでそんなことを言うんだろう。子に対して無償の愛を注ぐ、それが母親という存在なのか。  母ちゃんは自分で自分の肩をトントンと叩いていた。俺は思わず背後に回って肩を揉み始める。 「なんだい、急に」 「たまには親孝行も良いかなと思って」 「アンタ、腕を怪我しているんだろ」 「もう痛みは引いたよ」 「そうかい。平太に肩を揉んでもらうなんて、なんだか雪が降りそうだねえ」  母ちゃんの背中はやはり痩せていた。どれだけの苦労をこの背中で負っているんだろう。それを微塵も感じさせない母ちゃん。自分の幸せなんてそっちのけで、毎日身を粉にして働いている。その現実が俺の両腕に伝わってくる。 「ああ、肩コリがほぐれていくよ。こりゃ楽になった」  その一言を聞いた途端、俺はなぜ自分の左腕が治ったのかを覚った。嘘が現実になっていく理由は分からないけど、最早どうでも良い。 「俺、高校出たらちゃんと就職して、母ちゃんを楽させるから」  思わず漏れた本音に、母ちゃんは眉を顰める。 「今日はやたらと変なことを言う日だねえ。エイプリルフールだと思って、期待しないで待っているよ」  そう言って半笑いを浮かべる母ちゃんに、「もう正午は過ぎたよ」と俺は告げた。
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