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数年後
ただいまの帰ってこない空間は、私にとって苦ではない。この生活に慣れたためかもしれないし、元々一人で行動する本質からかもしれない。
春と言われると、若干の違和感がある。今年は気温が高いが、それでも夜になるとぐっと寒さが押し寄せる。さぁどうしたものか・・・と考えているうちに、私は風呂のボタンを押してしまう。一種のルーティーンだ。
乾いたプラスチックの椅子に腰掛け、空っぽの湯船に透明なお湯が溜まっていく様子をしげしげと眺める。一人だからこそ流れる時間が、そこにはあった。
数年前
私は何も知らなかった。
電気代の払い方も
冷蔵庫の掃除の仕方も
今では十八番になったレンコンの煮物の作り方も
何かが上手くいかない度、私は突然知らない場所に招かれた仔犬のように、戸惑いと恨みの視線で世の中を呪った。
どうしてこんなにも難しいのか。どうしてこんなにも不条理なのか。どうしてこんなにも生きづらいのか。
そこには、大人になりきれていない大人がいた。
お湯が半分溜まったところで、私は入浴剤を開ける。水色と青の中間地点の塊が、規則正しい形で転がる。放り投げた瞬間、シュワッと爽快な音を立てて花の香りで満たしていく。
大人になれば何もかもできると思っていた。
大人になればこれまでの悩みから開放されると思っていた。
実際のところ
「大人」の姿になっただけの未熟者だったのだ。
どうして私ばかり・・・なんて陰口叩いて、本当は責任逃れをしたかっただけだったのかもしれない。「大人」という新たな悩みから。
悩んで 悩んで 悩み疲れて
立ち止まって
それでも嫌という程明日はやってきて
ちょっとだけ良いことがあって
また落ち込んで
そんなことを繰り返して
段々と 今の私になってきている。
こうでなければならないという凝り固まった何かが、少しずつ解けて調和していくような。ちょうど目の前の光景に似ている。シュワシュワという音は僅か、小さな小さな欠片がふわふわと浮いてきた。
シャワーで髪と身体を温めてから、湯船に浸かる。自然と、ふうっと気が抜けた声が響く。水色と香りが、じんわりと染み込んでいく感覚だ。
不本意な現実を無理やり飲み込んだわけではないし、きっと今も悩みと回復の繰り返しで生きているのだろう。そうやって私は、段々と「大人」になっているのかもしれない。
踏み慣れたバスマットに足をおろし、部屋着に着替える。この時期になると、半袖とハーフパンツがいつものスタイルだ。
ふとした瞬間。
私は、これまでの生き方を振り返り、そしてこれからの生き方について自問自答するのだろう。
これも私一人でできる特権なのだろうか・・・そう考えて視線を鏡に移すと、心地の良い香りと温度で、何となく柔らかい表情の私がいた。
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