閃光

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閃光

久しぶりの道着に帯を締めると、さすがに糸を張ったように気が引き締まり、哲太は周りに気付かれないように軽く深呼吸をした。 中学まで夢中になっていた柔道も、高校に入ってからは部活に入るでもなく、こうして時々試合や練習の助っ人としてやるだけの“楽しみ”に留めていた。  それ程柔道に向いている体格では無いが、所謂“センス”があったのか、中学ではそこそこの成績も残し、高校でも顧問に何度となく口説かれていた。  しかし既にそれ程の熱意も無いのに坊主頭にはなれる筈もなく……。  いつかやる気が戻り、入部するかもしれない…という顧問の思惑にはハマらず、時々こうして“楽しむだけ”の柔道に哲太本人は満足していた。    道場に入ると、普段出入りしている自分の学校のボロボロになりつつある道場との違いに、哲太は周りを見回した。  真新しい畳に、充実した機材。 「……さすがエリート高……」  思わずぽつりと呟く。  自分の通う中の下と言われる公立高校とは全てが違う。オシャレな外観に、それに相応しい品のある学生達。  門をくぐった時から僅かでは無い引け目が、胸の中に顔を覗かせていたが……。 「………哲太………金持ちのぼんぼんなんかにぜってぇ負けんなよ……」  中学の頃から一緒に柔道をやっている中田が耳打ちした。  どうやら引け目を感じているのは自分だけではないらしい。 「お前…………それでオレ呼んだろ……」  ウォーミングアップをしている“エリート”達に目を向けると、確かに……坊主でもなければ、運動部に付き物の汗臭さも感じられない。それに妙に小洒落ている。  最近いつも合同で練習している、この『藤之宮学園』との練習試合に駆り出されたことが少しばかり不思議だったが……  要は“僻み根性”なのだと解った。 「お前だってあの手のヤツ等……気に入らねぇだろ……?」 「別にオレはどうでもいいけどさ……」  まぁ確かに……あの済ました顔を畳にねじ伏せたら悪い気はしないだろう。そう思うと久々の感情に哲太はニィッと笑った。 「一本!」  顧問の声が道場に響き渡り、哲太は道着の襟を整えながら、悔しそうに起き上がる相手に微かな優越感に浸った。  練習試合の前にと、顧問同士が遊び心で始めた勝ち抜き戦。  もう6人に勝っているが、どれも正直取るに足りない。僅かに湧き上がった優越感など、すぐにその行方すら分からなくなった。 ───やる気あんのかよ…………  物足りなさを感じながら戻ると、顧問が休憩の合図を出した。  微かにかいた汗をタオルで拭うと、哲太は竹箒のように後ろで縛った茶色い髪をもう一度縛り直し、タオルと一緒に出しておいた財布を手に道場の外へと足を向けた。 「おいっ!哲太!どこ行くんだよ!?」 「うるせぇな……飲みモン買ってくるだけだよ」  背中から掛けられた中田の声に振り向きもせず答え、自動販売機を求め哲太は道場の外へと歩き出した。 『金持ちのぼんぼん』が通う学校を見てみたいという思いもあって飲み物を買いに出てみたが、築数十年経った古い校舎の方が余程良い……。そう思うのに時間は掛からなかった。 迷路のように入り組んだ外廊下は幾つも交差していて、既にどっちから来たのかすら分からなくさせていたのだ。  新しく今風な外観に似つかわしく、庭も洒落ていてとにかく広い。自動販売機も見つからなければ、元来た道すら分からない。  しかも道着が珍しいのか、さっきからすれ違う生徒からの、物珍しい動物でも見るような眼差しに辟易しながら哲太は溜息を吐いた。 ───ったく……金持ちなら自販機くらいそこらじゅうに設置しとけよッ  口の中で舌打ちすると、少し広くなったピロティに置かれたベンチに座る1人の男子学生が目に付いた。  もう迷って大分経っている。それなら知ってる者に聞く方が遥かに効率的だと気付き哲太はそちらへ向かった。 「なぁ──この辺に自販機ねぇの?」  小洒落た制服に身を包んだ黒髪の細身の生徒が、僅かに顔を上げ 「…………この校舎のすぐ裏にあるけど……」 その怠そうな態度にお似合いの表情のない声で答えた。  余程関わりたくないのか、煩わしそうに立ち上がった細い手首を哲太は思わず掴んだ。 「───なんだよッ……」 「───和志!?お前……本多和志だろ!?」  なんの前触れも無く話し掛けてきた道着を着た男に突然手首を捕まれ、振り払おうとした手がその声に止まった。
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