六月の歌姫は雨に誓う

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(このまま、じっとしていたら冷え切ってしまう。歩いて体が温まっているいまのうちに……)  山道を歩き続けた疲労困憊の体は、ただちに横になりたいと訴えかけている。雨になぶられたせいもあり、まるで水泳後のような倦怠感が全身に伸しかかった。だが、いまからが本番だ。 (ひいおばあちゃん、私、必ず、やり遂げるから!)  大きく息を吸いこむと、内に巣くう恐怖もろとも吐き出した。恐怖だけではない。生きているだけで自然と蓄積する欲や奢り、期待も不安も、愛も憎しみも、ぜんぶ――。  すべてを捨て去り、空となった肉体で奏でなければ、神へと捧げる歌は紡げない。闇の中で弾けたサギリの声は、小さな教会内に響き渡り、やがては漫然と横たわる夜にも浸透していった。 (雨の神さまに……届け!)  長き雨に屈してうな垂れた花々に注ぐ白い光は、待ちわびた太陽の微笑み……静かな、だが、次第に強靭となる輝きが、暗く冷たい雨の終わりを告げる。無慈悲な雨水に晒された世界は煌めきを放ち、成す術なく祈り続けた人々の心に希望の火を灯す。雲が消え去った空を仰ぐ木々も鮮やかに色を取り戻し、雨から身を隠していた獣たちも野に走り出る。生命の継承、新しい季節、始まりと終わりとが同時に時を揺り動かしていく。  サギリが紡ぐ夏の賛歌に、降り続ける雨が呼応する。秩序なく打ちつけていた雨粒はやがて鳴りを潜め、サギリの声に共鳴を見せ始めた。休むことなく歌い続けるサギリは、順応を見せる雨音が自分と一体化していく心地を覚え、このまま天に召されるのではないかと恍惚に似た畏れに意識を失いかけた。 「あ…………!」  一瞬だけ、時が動きを止めた。  瞠若するサギリの視界には眩しいほどの光が満ち溢れ、それでも、すべてをはっきりと視認することができた。
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