六月の歌姫は雨に誓う

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 眉間の皺を深める少年を前にしても、サギリの喜びは抑え切れるものではなかった。曾祖母から童話がわりに何度も伝え聞いた、雨の神――孤独で寂しがりやの、人の痛みや苦しみに涙を流すという慈愛の神――想像よりもずいぶんと若いが、少年の美しさは人間離れしていた。  うっとりと見惚れるサギリを睨む少年は、猫のように大きな瞳を一つ瞬かせた。澄み切った空を映した碧眼に穴が開くほど見つめられ、寒かった体は次第に火照り始めた。 「お前の顔には見覚えがある。……さっきの歌声も」 「え?」  変声期前の少年の声は、サギリにというより、記憶を辿る自分自身へと向けたようだった。 (初対面……よね? 雨の神さまに会ったことなんてないし……それに、こんな綺麗な子なら忘れないもの。でも、たしかに……)  地べたに座りこんで腕組みをする美少年は、誰かに似ている。神に対して失礼な話だが、近しい兄弟や親類と会った時のような、不思議な感覚であった。  浮遊する雨粒が発する光のおかげで、古びた教会の中は淡い輝きに満ち溢れた。ゆらめくオレンジ色の光は微かに熱を持ち、冷え切っていた体も次第に温まってきた。 「申し遅れました。私はサギリと申します。山のふもとにある村から参りました。……少々、お待ちください。準備をしますので」  一礼すると手櫛で髪を直し、濡れて皺の寄ったワンピースもささっと手で伸ばした。煉瓦造りの教会内はがらんと物がなく、祭壇もなにも一切残されていない。壁面には苔が広がり、無用の長物と化した虚しさを露呈していた。 「よいしょ、っと」 「……なにを始める気だ?」  かろうじて残されていた木のベンチを奥から引っ張り出す。体に紐で巻きつけて持参した袋から布切れを出して埃を払い、魔法瓶ともう一つ、大切な包みをそっと手にした。 「よかった! そんなに濡れてない」  怪訝な面持ちで近づいてきた少年に笑顔を返し、ベンチに座るよう動作で促す。 「村の特産品で作りました。ぜひ、召し上がってください。味は保証します! ……曾祖母が作ったものですから」
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