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「これも、曾祖母特製のホットチョコレートです。この辺は、夏が近くなっても朝晩は冷えることが多くて。私はこれが大好きなの。今日は……あなたのために、特別なスパイスを選んだみたい」
両手でカップを抱えて一口を含んだ少年は、しばらくの間、微動だにしなかった。ずいぶんと長い沈黙の後、彼は微かに震える唇を開いた。
「思い出した、ぜんぶ……。ああ、僕はもう、すっかりと忘れてしまっていたんだな」
「思い出すことができて……よかった! ミントのおかげかしら? これ、頭がすっきりするもの」
無邪気に笑いかけるサギリを、少年はじっと見据えた。険の消えた双眸には穏やかな光が宿り、無限の空を彷彿とさせる眼差しに吸いこまれそうになる。
「孤独に苛まれたせいで、とんだ長雨をもたらしてしまってすまない。もう、大丈夫だ。お前も気をつけて家に帰れ。……できれば、最後にもう一度、お前の歌で見送ってほしい」
サギリの瞳を捕えたまま、少年はふわりと笑みを浮かべた。と、同時に、彼の姿が霞み始める。見る間に色を失い、雨粒と同化しそうに体が透けていく。
「待って! あなたの――神さまの、名前も聞いてないのに……」
慌てて伸ばしたサギリの手は、虚しく宙を掻いた。行かないで――その願いが叶わぬと知っている絶望の眼に、少年の青い瞳が笑いかける。
「僕は、マダキ。さよなら、サ――」
彼が言い終えぬうちに旋風が舞い上がった。たまらず屈みこんだサギリの周囲で、教会内に浮遊していた無数の雨粒が舞い上がる。輝きを撒き散らしながら天へと還る光は、天蓋を突き破らんばかりの勢いで闇へと吸収されていく。
(マダキ……!)
自然と浮かんだ涙は地に落ちることなく、宙に舞い散った。乱れた心をなだめるために、大きく息を吸いこむ。
夜の闇に触れた時、あなたの孤独に寄りそうと約束する。
満天の青空を仰ぐ時には、あなたの瞳を思い出す。
雨音の止んだ教会に、サギリの歌声は伸びやかに響き渡った。
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