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「あの…… 」
「どうした? 」
眉を下げて、不思議そうに僕に訊く。
「へ、部屋で…… あの、デリバリーとか注文して…… あっ!そうだ!少し先にお寿司屋さんがありましたよね、そこでお持ち帰りをお願いして…… 」
「涼風は嫌か? 」
「あ、そっ!そうじゃないですっ!」
「寿司なら、涼風でだって握ってもらえるぞ」
「いえ、お寿司が食べたいってわけではなくて…… あ、食べたいですけど…… 」
「なんだ、どうしたっていうんだ? 」
大抵は課長の言うとおりにして、自分の意見や希望はほとんど言ってこなかったから、今、こうしている僕に戸惑っているような課長。
「部屋で…… 部屋で…… 」
部屋で課長と二人で過ごしたい、と伝えるのが恥ずかしいのと勇気がいまひとつ出ないのとで、その先が言えない。
様子が変な僕に、課長は不安を感じ始めたのか表情が少し暗くなっている。
早くちゃんと言わないと、ほら、課長の首がうなだれ始めてしまったじゃないか。
「二人で…… 二人きりで過ごしたいんです、か、かちょ…… ぎ、吟哉さんとっっ」
はぁーっ、言ってしまった、しかも吟哉さん呼びもした。
途端に僕の顔が熱くなる、きっと真っ赤だ。
え?
時が止まってしまったのかと思えた。
課長が微動だにしない。
あれ?
固まってしまっている課長を、右から左から、下から…… 上からは課長の背が高いから見れない、顔を動かして覗き込んだ僕。
「かちょ…… ぎ、吟哉さん? 」
ここで課長と呼んだら、また課長呼びに戻ってしまう。頑張って、吟哉さん呼びを続けるんだ。
吟哉さんと、呼びたいっ。
「今、なんて言った? 」
固まったまま、表情を変えずに唇だけを動かして課長が僕に訊く。
「え? 吟哉…… さん」
「の、前」
「か、ちょう? 」
「の、前」
「え、と…… 二人きりで、過ごしたい、ですって…… 言ってしまいました」
またも顔が真っ赤になった僕。
「誰と二人きり? 」
「かちょ…… 吟哉さんとです」
だめだなぁ、うっかりすると課長って呼んでしまう。
「………… 」
黙り込んでしまった課長。
待って、僕、なんかものすごい勘違いしてたりしてないよね。課長の表情が全く変わらない。
課長は僕のことを、本当に可愛い部下だと、そう思っているだけだった?
途端に不安になって、僕だって黙り込んでしまう。
「渚冬には謝らなくちゃ、と思ってるんだ」
「え? 」
なにを?
やっぱり僕、勘違いしてる?
謝らなくてはいけないことって、そんなの…… 胸がギュッと痛い。
「プチさんの棚替えを手伝ったのを注意してしまったこと。きっと、そんなふうに損得考えない、一生懸命な渚冬だから、今回大きな成果を上げられたんだ。営業マンとしてあるべきを、再認識させてもらった」
「そ、そんな…… かちょ…… 課長の指導はもっともです、間違っているはずがありません」
やっぱり、課長と呼び直した。仕事の話だし。
それに、僕が二人きりで過ごしたいと言った話とは、全然違う話をするなんて、遠回しにそのことから離れたいからだろう。
ああ、僕、なんて恥ずかしいんだ。
「と、伝えておきたいことは、忘れたら大変だから、先に話しておいた」
え?
「俺の聞き間違いでなければ、さっき、渚冬は俺と二人きりで過ごしたいと言ったか? 」
「あ…… は、はい…… 」
仕事中みたいな話し方の課長に、どうしようかと思う。
とんでもないことを言ってしまった。
今さらどうやって誤魔化そうか、そんなことも思案したけれど、でもいい。今、この場を誤魔化したところで、きっと、課長への気持ちは簡単に消えてくれるものでもないと思えた。
僕は、課長を、吟哉さんを好きになってしまった、と思う、気がする。
「あの、でも…… すみませんでした、忘れてください」
頭をぽりぽり掻きながら、作り笑顔でそう言った。
えへへ、みたいな感じで。
吟哉さん…… 課長のことだ、きっと男性からだって告白されたことはあるだろう、さらっと流してくれると思える。
やっぱり課長呼びに戻そう。
「忘れられるわけがないだろう」
「はい? 」
「渚冬からそんなことを言われて、忘れられるはずがないだろう」
えぇ、忘れてほしい。
「あの、僕も着替えてきます」
やっぱり『涼風』さんで食事をしよう、とりあえず、この気まずい空気は変えられる。
課長が持ったままの僕のバッグを取り返そうと、そろそろと手を伸ばした。
「渚冬」
バッグを取ろうとした僕の腕を掴んだ課長…… 吟哉さん。
どっちで呼べばいいんだ、僕自身が迷う。
「それは、愛の告白と受け取っていいのか? 」
…… 愛の告白?
それはまだちょっと、大袈裟すぎやしないだろうかと眉がぴくりと動いた僕。
「あ…… の、僕自身、ちょっとよく分からないというか…… その…… 自分の気持ちがよく分からなくて…… 」
掴まれた腕が少しずつ、かちょ… 吟哉さんの方へ寄せられている。
その時、どさっと僕のバッグを足元に落とすと、両手で僕の両腕を掴む。力が強くてちょっと痛い。
「俺を愛しているのか? 」
話が一気に爆進した感がすごい。
「え…… 」
「俺は愛している」
え。
僕に好意を持っているのだろうと思ってきたのに、違っていたと落ち込み、そしてどんでん返しの愛の告白。
心臓がいくつあっても足りないよ。
途端に涙が込み上げてきてしまい、潤んだ瞳の向こうに吟哉さんが霞んで見える。
「かちょ… 吟哉さん」
「俺は『かちょ吟哉』ではない」
吟哉さんが、真剣な顔で真面目にそんなことを言うから、思わず吹き出しそうになってしまう。
急いで吟哉さんの胸の中に顔を埋めた。
笑ったら失礼だもん、ってことにしておいて。
吟哉さんの温かい胸の中に、すっぽりおさまる僕。
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