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「商用車は嫌いなんだよな」
地下駐車場、商用バンの前で眉をぎゅっと曲げ、車を見つめている宇城課長。
ショルダーに両手をかけ、ただ目を泳がすことしかできない僕。
「今日は運ぶ荷物もないし、俺の車で行くか」
「………… 」
ひとり言なのかな? 返事をした方がいいのかな? 困る。
「来い」
「はっ、はいっ!」
この返事、宇城課長に何度しているだろうかと思う。
商用車から離れて、少し歩くと黒の高級車の前で止まり、ドアノブに触れピピッと音が鳴り解錠された。
「乗れ」
「………… 」
宇城課長の車? めっちゃかっこいいんだけど…… それにこの車、すっごい高いよね。こんな車が買えるほどの給料を貰っているのかと驚いた。さすがヘッドハンティングされただけのことはあるんだな、車を見つめてそんなことを思う。
あ、でも!
汚してしまったらどうしよう。パッと見ただけだけど中だって綺麗だ。土足で乗るのも憚れる、というか『土禁』かな? 靴下、穴あいてなかったよな? 一瞬にいろんなことを考えた。
「なにしてるんだ、早く乗れ」
運転席のドアを開けながら、助手席側に立っている僕に向かって急かすように言う。
ちらりと課長の足元を見ると、土足でそのまま乗っていた。
このままでいいのか…… 朝、なんか変なの踏んでこなかったよな、靴裏を確かめたい気持ちになる。
「青坂っ!」
いつまでもぐずぐずとしていたからか、課長の声が荒ぶる。
「はっ!はいっ!」
ああ、またこの返事をしちゃったよ。
気持ちは急いているけれど慌てちゃだめだ、車を汚してしまったり傷つけてしまったりしてしまう。落ち着いて、落ち着いて…… 自分に言い聞かせた。
ああ、こんなに気を遣ってしまうなら、僕は商用車の方が断然いい。
こんな高級車で営業って、逆に感じ悪くないのかな?
そんなことを思いながら、そろそろと車にお邪魔した。
「しつれいします…… 」
ドアを閉め、シートベルトを締めようとするけれど、バッグが腿から落ちそうでモゾモゾしてしまう。
………… ?
視線を感じて横を見ると、宇城課長がじっと僕を見つめている。
え!? なんで?
あ、この感じ、トイレで寝癖を直してもらった時を思い出させる。
「バッグは後部座席に置くからな」
まただ。
また、途端に優しい口調になっている。
課長の長い手が、容易く僕のバッグを後部座席に運んだ。
「す、すみません」
なんなんだろう、こわいんだけど。
すっごくこわい、僕は今日、恐怖で死んでしまうかもしれないと思った。
「まずはプチカリーナさんへ行く」
「はい」
気をつけて普通に返事をした。
『プチカリーナ』とは、先日僕がライバル社『キューティスト』の棚替えを手伝ってしまった店だ。
それにしても、自社のピュアファクトリー、ライバル社のキューティスト、お得意様のプチカリーナなど、入社当時は口にするのが恥ずかしかった感じがしたけれど、今となってはなんでもない。
この、鬼課長の口から飛び出しても不自然に聞こえないから、慣れってすごいなと、つくづく感心した。
車が滑り出したのに、静かなエンジン音に驚く。
僕は車を持っていないし、香川で乗っていたのも商用車だし、うるさいエンジン音が普通だと思っていたから尚更びっくり。
「プチさんにとりあえず謝罪を入れる。俺の後ろで黙って頭を下げていればいい」
「はい…… 」
謝罪? どうして?
「大変だと思って手伝った心意気は、それはいい。だが、他社の棚替えを手伝うのは良くない。反対を考えてみろ、キューティストさんがうちの商品棚を変えたとしたら、どうだ? 」
「いや…… です、ね」
疑問思っていた僕が分かったのか、課長が話してくれて僕に訊いた。
宇城課長の言うとおりだ、ライバル社にうちの商品をいじって欲しくないと思った。
でもプチさん(プチカリーナさんを皆んなプチさんと言っている)に謝罪って?
「出すぎた真似をしてしまったと謝罪するんだ。青坂が手伝ってしまったら、プチさんの他店、またはこの先、青坂の後任になる担当にもそれを求められてしまう。遠回しに “ もうしない ” と、いう意味を込めて、謝罪の形をとる」
「………… 」
僕のせいで…… 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
いいことをしたと思っていた自分が恥ずかしい。
あの日、課長に注意されたのだって、どこか理不尽に思ってしまっていた。
「…… 申し訳ありません」
ひどく項垂れて課長に謝った。
「そんなに気にしなくていい、渚冬」
渚冬っ!?
思わずギュインッと、運転している宇城課長へと首が思い切り振れた。
「名前、渚冬だろう? 二人の時にはそう呼んでいいか? 」
にっこりと微笑み、チラッと僕の方を見て、また正面に顔を戻すと鼻歌を歌いながら運転を続ける。
── 呼んでいいか?
だめです、って、言っていいのかな?
言えないけど。
それにしたって、なんで?
また胃液が上がってきた。車から降りたい。
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