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二人の新たな生活の始まり
翌日、翌々日と会社は休み。
今までの休日、一緒に過ごすことはあまりなかった。
吟哉さんは、僕と過ごしたいような空気を醸し出していたけれど。
とはいえ、吟哉さんは吟哉さんで忙しそうな休日だった。
仕事と休みのオンオフはきっちりとしていて、家に仕事を持ち込むことは、ほとんどと言っていいほどない。
だから、大阪へ行く時に『ふわぽわ』の商品を自宅へ持ってきたことに、なんだか違和感を覚えた。
瞬時に仕事場での空気が流れ込んできたような気がしたから。
休みの日でも、朝はいつも通りの時間に起きる吟哉さん。
僕みたいにいつまでもぐーぐーと寝ていない。
まず部屋の片付け、掃除を徹底的にすると午後からはジムへ出かけているようだった。日曜日は、映画を観に行ったり、美術館なんかを回ったりしているみたいで、
「渚冬も行かないかっ!? 」
なんて元気よく誘われたりしたけど、僕にはよく分からないから丁重にお断りをしていた。
出かけずに家にいる時は、リビングで本を読んでいたり、手のこんだ料理を作っていた吟哉さん。
いつも、何かをしているイメージ。
僕みたいにぼーっとしてない。
吟哉さんが家にいて、僕が出かける時は一応声をかけた。
「出かけてきます」
と。
訊いちゃいけないんだろうと思いつつ、目が(どこに行くんだ? )って訊いているのが分かった。
「買い物に行ってきます」
切なそうな目に負けて、そう答えると、(何のだ? )と、今度はそう訊いているのも分かった。
「駅ビルの中の洋服屋さんで靴下を見に行ってきます」
詳しく答えると、
「じゃあ、俺も行こう!」
と、張り切る吟哉さんを無下にできなくて、何度か一緒に行ったことはある。
隣りで楽しそうに歩く吟哉さんが、嫌ではなかったな、って思い返した。
そんな僕たちの、初めて迎える二人での休日。
「渚冬、明日と明後日の休みはどうする? 」
結局、冷蔵庫にあるものでチャチャッと晩御飯を作ってしまった吟哉さん。
冷凍庫にはたくさんのものが冷凍されていて、僕のリクエストにだってすぐに応えられるほど。でも、リクエストなんて畏れ多くてしたことはない。
明太バターパスタを作ってくれて、それを食べながら吟哉さんが休日をどうするかと訊いてきた。
「あ、明日は午前中、お掃除ですよね。手伝います」
僕だって早起きして、掃除を手伝おうと思った。
「いいんだよ、渚冬は寝ていて。午後から、どうする? 」
「午後は、吟哉さんはジムじゃないんですか? 」
「なんだよー、渚冬、俺のスケジュール頭に入ってるんだなー」
すごく嬉しそうに笑っている。
── 渚冬っ!俺はジムに行って体を鍛えて来るからなっ!
って、毎回大きな声で申告するんだ、そりゃ覚えるよ。
「ジムに一緒に行くか? 渚冬も鍛えたらどうだ? 」
「んー、僕、運動はあまり得意じゃなくて…… 」
「得意とか不得意とか関係ないぞ、自分のペースでやればいいんだ」
正直、ジムとか全く興味がなくて、やってみたいとかも思わないけれど、吟哉さんと一緒に楽しめる何かがあればいいな、とは思っている。
「んー」
吟哉さんと一緒にいたいけど、ジムはちょっとなぁ、なんて思う気持ちが「んー」になった。
「じゃあ、映画を観に行かないか? 」
「そんな、僕のために吟哉さんの生活スケージュールを崩さないでください」
「………… 渚冬」
「はい…… 」
まずかったかな?
でも、いつも通りに過ごして欲しいんだ、なにも変わらずに。でないと、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「俺の全ては渚冬に捧げるんだ。渚冬のためじゃない人生なんて俺の人生じゃない」
…… どうしよう。申し訳ないどころじゃない。
こういうの、普通は重たく感じたりするのかもしれないけれど、吟哉さんは初めからこんな感じだったから、それに関してはなんか普通、違和感はない。
でも、改めて「捧げる」なんて言われて、僕はどう応えたらよいのか分からない。
俯いてパスタを口に運んだ。
「な、だから、どうする? 」
吟哉さんは、にっこりと満面の笑みでパスタを口に運ぶ。
「…… ジムに、行ってみようかな」
「ほっ!本当かっ!」
バッと立ち上がってそれはそれは大喜び。
一緒にジムへ行くことにしたら、喜んでくれるんじゃないかと思った。
喜んで欲しいって、思った。
僕はちょっと無理してるけど、それでも吟哉さんに喜んで欲しいと思った。
「じゃあっ!ジムは日曜日に行こうっ!明日はまず、渚冬のウェアを買いに出かけよう!」
「え? わざわざそんな…… Tシャツと短パンとかじゃだめなんですか? 」
「だめだ。俺は形から入る人間だからな、頭の先から爪の先まで一式揃えるぞ」
え、でも僕、きっとへなちょこだよ。
吟哉さんのことだ、きっとすごいのを見立てるだろうし、ウェアだけカッコつけてたら恥ずかしい。
やっぱりもう一度考え直します、なんて言ったらがっかりするかな?
「よーしっ!そうと決まったら明日に備えて早く寝るかっ!」
だめだ。
とても言い出せそうもない。
「さぁ、早く片付けて寝るとしよう!」
「は、はい…… 」
さっきまでベッドであんなに愛し合っていたんだ、僕は少し気だるい感じもある。早く寝るに越したことはないな、と思い、急いで食べ終えた皿を持ってキッチンへ向かう。
食洗機に入れ、あとは放置。
「おやすみなさい」
リビングを出て自分の部屋へ入ろうとしたとき、「えっ? 」と怪訝な声で腕を掴まれた。
「夜はこれからだろう」
「へ? 」
「本当の夜はこれからだ」
「え…… あの、明日のために早く寝るんじゃないんですか? 」
「そうだ、そのために、早く…… な、」
嬉しそうに、そしてにやっと片方の口角を上げた吟哉さん。
嘘だ。
僕はもう、無理ですってば。
吟哉さんの鉄の棒、空恐ろしいと思ったのは、気のせいなんかじゃなかった。
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