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 真宙の隣を秋那は歩く。  空はすっかり暗くなり、吐く息は白く、しかし逆に周囲を歩く男女の群れからは目に見えない熱気が発せられているような気がする。  クリスマスイヴ。言わずと知れた恋人たちが主役のイベントだ。少し周囲へ視線を向ければ同じ年ごろの男女がペアになってたくさん歩いている。そしてその光景を誰もが受け入れ、当たり前だと認識している。 (きっと、今のあたしたちも同じように見られてるんだろな……)  秋那と真宙の関係性なんて、すれ違う彼らは知らないし関係がない。ただ自分たちの視界に映る男女の組み合わせは、自分たちと同じようにこの日、この瞬間を謳歌していると考えるだろう。 (……嫌だな)  本当なら今自分がいるポジションには、姉の桜良がいるはずだった。だが今は、桜良ではなく自分がいる。  桜良がいなくなってもうすぐ三か月。その三か月前から姉は今日のことを楽しみにしていた。まるで遠足が待ちきれない小学生のように、カレンダーを見ては笑顔を浮かべ、暇さえあれば今日という日のプランを色々と考えているようだった。  全てはこの、粕谷真宙のため――。 「……」  隣を歩く真宙の横顔を見上げる。その顔はなにが楽しいのかニコニコと笑みを浮かべていてとても気分が悪い。  あんなことさえなければ、こんな日に真宙の隣を歩きたくなんてなかったというのに。 「どうしたの、桜良?」  視線に気づいた真宙が、その笑みを崩すことなく問いかける。 「……あたしは秋那です。お姉ちゃんじゃありません」  正面から見つめ返しながら言っても、真宙は表情を崩さない。今日初めて出会って、まだ数時間しか経っていないというのにこのやりとりを何回したことだろう。  こんな、本当に頭にくるやりとりを……。 「……なにをニヤニヤしてるんですか」  なんなら頬に一発ぶちかましてやろうか。そして目を覚まさせてやろうか。どうせ自分は死神として一度は殺すつもりでいるわけだし。そんなことを考えるが、一応これでも真宙は姉の恋人だった男だ。自分の感情に任せて殴り飛ばすのは躊躇われる。 「そんなの決まってる。楽しいからだよ」 「楽しい……?」  その言葉に頭の奥がピリピリとした。  本当にこの男はなにを言っているんだと思う。どうして秋那のことを目の前にして、そんなことが言えるのか。桜良と一緒にいるときのような笑顔と言葉が出てくるのか。  理由はわかっている。この短い時間の中で、大体のことは把握してしまった。 (本当に、最悪だ……っ)  秘めていた苛立ちが明確な怒りへと変わる。やっぱり殴っておくべきだったかもしれない。しかしここはグッと耐え、 「お楽しみのところ申し訳ありませんけど、あたしは全然楽しくないです。いいですか、先輩。もう一度言いますが、あたしはお姉ちゃんじゃありません。お姉ちゃんは…………もう、いないんです……」  今度は泣きそうになるのを必死に堪えた。どうしてクリスマスの日にこんなことを何度も何度も口にしないといけないのか。今日は誰もが楽しめる聖なる夜だったはずなのに。 「…………ねぇ、桜良」 (それもこれも……) 「あそこのショッピングモールにクリスマスツリーのイルミネーションがあるんだ。一緒に見に行こう」  言うと、真宙は秋那の手を握って歩き出した。その手には痛いくらいの力がこもっていて、まるで『逃がさない』と言われているような気がして少し恐怖を覚えて身が竦んだ。  そのせいかもしれない。腕を振りほどくことができなくて、秋那は連れて行かれるがままに街一番のショッピングモールの敷地内にあるクリスマスツリーのイルミネーション前まで来ていた。  モールの駐車場に隣接するオープンスペース。そこでは週末になると子供たちのためのヒーローショーが行われたり、若手芸人が営業でネタを披露したり、なにかしらのイベントが行われたりする。そして今は一本の大きなクリスマスツリーが鎮座していて、そのツリーは様々な電飾で装飾され、夜の暗闇の中で煌びやかな光を発していた。そしてそのツリーを囲むようにして、家族連れやカップルたちがその光を見上げている。  秋那と真宙も、その中に自然と加わる。 「……キレイだね、桜良」 「……」  ツリーを見上げながらそう言う真宙の横顔を、秋那は再び見上げる。 その表情は本当に、心の底からこの時間を楽しんでいるように見えた。これが本来の真宙の表情。今日この日、真宙が桜良とともに浮かべていた表情。 (わかってる。粕谷先輩が悪くないことくらい。でも、だけど……)  そこには様々な感情や想いが込められているはずだ。それを真宙が自覚しているのかはわからないし、自覚しているのに気づいていないフリをしているだけかもしれない。だけど確かに真宙の表情からはたった一つの気持ちが感じ取れる。  でもそれは、その表情は、桜良に向けて見せるものだ。いくら似ていても、血が繋がっていても、妹である秋那に向けていいものじゃないし、秋那もそんなものを向けられたくはない。 「……粕谷先輩」  名前を呼ぶ。すると真宙はイルミネーションから視線を秋那へと向けた。 「よく見てください。あたしは、誰ですか? あなたの目の前にいるあたしは、本当に先輩の恋人だった中間桜良ですか?」 「……」  わかるはずなのだ、本当なら。こんなことを何度も何度も口にしなくても。真宙なら、いくら瓜二つでも秋那と桜良の違いくらいわかるはずだ。そうでなくては困るのだ。  秋那は真っ直ぐに真宙の瞳を見つめる。その視線に様々な感情を乗せて、ただひたすら真っ直ぐに、真宙の瞳を見つめる。  ただ自分は桜良ではなく秋那だと、そう言ってほしくて。 「…………甘い匂いがするね。チョコレートみたいな、そんな匂い」 「――っ! は、はい、そうです。これ、香水なんです。『チョコレートコスモス』の香りの香水!」  この香水だってそうだ。秋那は本来そこまで香水に興味を持っていなかった。もちろん人並み程度のオシャレには興味があったが、香水をつけようと思ったことはない。  それはただ単純に、桜良が香水を纏うタイプの人間ではなかったからだ。だから秋那も興味を持たなかった。  だがその香水を今日のためにわざわざ買って、身に纏って、そして真宙に会いに来た。この香りに気づいてもらうために。  そして真宙はちゃんと気づいて――。 「初めてだよね、桜良が香水なんて使うの。うん、でも甘いものが好きな桜良には似合ってると思うよ。僕も好きだな、この香り」 「――……先輩……っ」  ――気づいてはくれた。しかし、それだけだった。  真宙の言葉に秋那は無意識のうちに拳を握り、奥歯を嚙み締めた。  どうして、どうして、どうして……。そんな言葉だけが頭の中を駆け巡る。 (そこまでわかってるのに、なんで……っ)  悔しかった。それでもなお、秋那のことを桜良と呼ぶ真宙に腹が立つ。 「…………そろそろ行こうか、桜良」  また手を握られて、しかし今度はただ引っ張られるようにして歩いた。  外に出ると冷たい空気が肌を刺す。チクチク、チクチクと、もう身体が痛いのか心が痛いのか秋那にはわからない。  ただ一つだけ、 (……お姉ちゃん……これはちょっと、強敵だよ……)  自分で吐いた白い息を見ながら、秋那はそんなことを思った。
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