0:君、うちで働こっか

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 一分ほどしてダイソーに着くと、おばあさんは「助かったわあ。ありがとう」と僕にお辞儀をしてから、白い看板の向こう側へゆっくりと歩いていった。雑貨で埋め尽くされた大きな棚が、おばあさんの小柄な身体を覆い隠す。  見知らぬ老婆と交わした短い会話の分だけ、かすかに体温が上がっていた。そして、そんな自分が馬鹿らしく思えてくる。  赤の他人の頼みごとなんて無視していれば。「知らねーよババア」とか言って突っぱねていれば。もっともっと、自分のことを嫌いになれるだろうに。この命に対する執着を捨てられるだろうに。  善人ぶった後で万引きに戻るのも気が進まず、適当に食事でもとって帰ろうかと考えたその時。 「ちょっといい?」  後ろから、聞き覚えのない声。とんとん、と肩に手の感触。  今日はよく声をかけられる日だなと思いながら振り返ると、そこにいたのは恰幅の良い中年男性。  もっと具体的に言えば、さっきの革製品屋の店員だった。 「え、僕ですか?」 「うん、君」  十中八九人違いだろうと思いながら訊ねたのだけれども、彼は間髪入れずに頷いた。   「え、な、なんでしょう……」  自分の声が上ずっているのがわかる。  この人は、わざわざここまで僕を追いかけてきたのか? 何の目的があって?  まさか、万引きを目論んでいたことを見抜かれたのだろうか。  心臓が早鐘を打つのを感じながら男性の目を見返していると、彼は、そのごつごつとした手のひらを僕の左肩に乗せたまま。  まるで昔からの知り合いを食事に誘うような、軽やかな声音でこう言った。 「君、うちで働こっか」
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