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さて。
可能なかぎり簡潔に申し上げましょう。
件の歌詞の前段階部分は無視します。プリン大好きっ子氏がいうように、あくまで感情を歌ったパートでしかないため、さしあたり本題とは無関係と判断していい。むろん、氏の分析したとおり、線香花火=雷という説は充分に要件をみたさないため、やはりはっきりと否定できる。
問題は「Raindrops」以降にある。
コーラス部の「雨の夜の線香花火」をさまざまに表現した各ラインが作者の実体験をもとに制作されたとするならば、そのことを前提にそれぞれ条件項目と認定してもけっしてまちがいではない。
では、どうなるか。
まず、雨降るなか「夜の帰り路」、「自転車」を漕いで、「鋪道」を「傘を差しもせずに」歌い手は「走る」姿であったということ。
次がはやくも核心にふれる箇所になる。
「びしょびしょ線香花火」とは何を明文化したものか。「びしょびしょ」にもかかわらず「線香花火」だという描写があるのは?
ヒントはすぐあとつづく節にある。
その「びしょびしょ線香花火」とは、「赤、白すれ違い」もするし「そばを通り過ぎ」かつ「幾つも立ち並び」存在するものだということ。
さらに決定的に示唆する言葉が「水晶」。
その「線香花火」は「幻想的な景色」でもあり「スクロールする光」でもあるという。
「水晶」とは何を直截にさすのか。
答えは、つづけて歌われる「誰とも共有できない」「僕だけの線香花火」というフレーズと直接関連づけられると想定するならば、ただちに理解できる。
「水晶」とは、クリスタルといった宝石などに意味をおもわずとらえてしまいがちでしょうが、その概要と外観からは「線香花火」を譬えた表現でないのは自明の理、では何なのかというとずばり、水晶体すなわちレンズのことにほかならない。
レンズ越しに見た光景、ようするにそう解釈しないことにはすべての謎が解けないのですから。
結論から述べましょう。
詞の視点人物は眼鏡を掛けていると推測せざるをえない。
「雨の夜の線香花火」とは、眼鏡の水晶体に雨の水滴が付着することで万華鏡や虹に似た特殊なプリズム現象を引き起こし、行き交う自動車のベッドライトやテールランプ、路上に建ちならんだ街灯など、さまざまな街なかの灯りがそのようにほんとうに見えた体験を歌にしたもの以外ない。「線香花火」のような松葉様の灯を。
以上、証明終了。
ということでお礼にプリンを戴きますので、またしても。
アデュー。
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