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序章Ⅱ
サエグサ商店。
都会でも田舎でもない中途半端な街にある小さな弁当屋であり、何を隠さなくとも俺の実家である。
本来は値段の安さと圧倒的なボリュームを売りにしているはずなのだが、実際はそれ以上に店主である母さんの美貌を聞きつけて足を運ぶお客様が、今尚増え続けている。
しかし、そんな己の需要を知ってか知らでか。
当の本人は『用事ある。店は任せた』と淡白なメッセージを送りつけ、挙げ句の果てには多感なお年頃の息子に仕事を押しつけて出掛けて行ってしまった。
ほんと偶然、偶然にも今日は予定が空いていたので、俺はこうしてクリスマスのゴールデンタイムにひとり寂しく店番をする羽目に……いやいや、飽くまで自ら親孝行をなそうと思ったのである。
ジューッ、ジュワジュワ、パチパチパチ――。
濃青色の闇の中から雪がしんしんと降りてくるのを尻目に、鶏肉を揚げる油が軽やかな歌声を響かせる。
店内は暖房が効いていて尚且つ調理場で火を扱っているにもかかわらず、俺の身体は心底冷え切っていた。主に左胸の辺りが。
「……もう一頑張り、だな」
ため息交じりに呟くと、油の中の自分と目が合った。
正直、こんな日にウチのようなしがない街の弁当屋に立ち寄る人間なんぞそう多くはないだろうと高を括っていたのだが、ところがどっこい。どういうワケか気持ち良いくらいに売れるんだよ、これが。
「いらっしゃいませ〜」
ここで、本日何人目になるか分からない男性客がご来店。
少なくとも週に四回は顔を見せる大常連さんだ。
「こんばんは……ええと、あの、いつものを一つ」
「特唐メガ盛ですね。お時間頂戴するのでお掛けになって少々お待ち下さい」
当店では弁当に限りライスのサイズアップが無料なので、お客様の多くは特盛やメガ盛の唐揚げ弁当を購入してゆく……が、実はその殆どが母さん目的のご来店である事を俺は知っている。
連日のように同じ商品を注文することで、推しに己の印象を残しつつ会話の種を生み出す事ができる、まるで重課金必須のアイドルとの握手会だな。
「……いないのか」
そして何より、キョロキョロと店内を見回した男達は、店にいる人間が若造だけと分かった途端に一人の例外もなく露骨に残念そうな顔をしやがるのですよ。
「すみませんね、折角来て頂いたのに。母さんは少々野暮用で留守にしておりまして」
「なな、何のことだい? わ、私はこの店の唐揚げが大好きなだけだよ?」
「……そうでしたか、いつもありがとうございます」
口に出さずともバレバレだっての。
けどまあ、あの人は身内の贔屓目を差し引いてもかなりの美人の部類に入るだろう。年不相応に若々しいとでもいうのかな。
それもあってか、俺も同じ男として彼らの気持ちは少なからず理解できるので、本日来店した哀れな男性陣には無料で唐揚げを追加してあげていた。心が広い俺からの、ちょっとしたクリスマスプレゼントのようなものさ。
「お待たせしました、こちらいつもの醤油唐揚げ弁当です。お気を付けてお持ち帰りください」
「ありがとう……また来るよ、絶対にね」
「お待ちしております」
「私が来たことは伝えなくても良いからね? ほんと、伝えなくても良いからね?」
「はーい。伝えておきますねー」
「……ふふっ、ではまた会おう!」
「お足下にお気を付けてお帰り下さいねー」
俺は清算を終えた独身四十路男に営業的な笑みを向けて、
「ありがとうございましたー」
と、お辞儀をして見送った。
「……なんだかなぁ」
無論この店が儲かるのは大変嬉しいことではあるのだが、どうにもテンションが上がらない。
今日は折角のホワイトクリスマス。
中年男性ではなく可愛い女の子と一夜を共にしたいと思うのは当然だろ?
しかし、現実はあまりにも残酷で、時刻は既に十九時を回っていた。
「今頃、世の美男美女はベッドに白い雪でも降らせているのかねぇ……」
なんて、くだらないことを口にしながら店の外に出る。
「……今日は一段と冷えてやがりますわ」
吐き出した息が白い靄のように登っては消えてゆく。
例えば先端が蛍のように明滅する咥え煙草と夜空を番になんかしていれば、こんな俺でも多少なりとも絵になったりするのだろうか。
天を踊る白粒を暫く眺めていた俺は沈んだ気持ちと交換に、冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
目を閉じ、息を詰める。
例年通りの状況とは裏腹に、口に含んだ空気はこれまでと少しだけ違う味がするような気がした。
「……」
もう数分この不思議な感覚に浸っていようかとも思ったが、無駄だと観念し、生暖かくなった息をふうっと吐き出した。
そして、何ともいえない屈託を胸の奥に押し込み、すっかり冷えた両手を擦り合わせながら店の中に戻ろうとした――そんな時だ。
「……ち……きん」
か細い女の子の声。
それに気が付いて見ると、ひとりの少女が店の前で膝を抱えてしゃがみ込んでいた。
処女雪のように真っ白な髪。
艶を纏った透明感のある肌。
短めのスカートから覗く、太腿から膝にかけて描かれる緩やかな曲線。
ついでに微動だにしない表情も相まって、氷の彫刻ような雰囲気を醸し出している。
てか、めちゃくちゃ可愛い。
「……」
そんな氷姫様は、このいつ止むとも知れない雪の中で傘も差さずに、当店自慢の大ボリューム弁当〈スーパーストロングハイパーデリシャスゴールデンマキシマムスペシャル特盛横綱唐揚げ弁当デラックスマックスハートEXプラス feat.葉月〉の宣伝ポスターを熱心に見つめているのであった。
ちなみに葉月は俺の母さんの名前である。
「……」
じぃーっ。
そして、俺はそんな彼女を黙って見つめてみる。
「……?」
僅かな下心を含んだ俺の視線を感じ取ったのか、少女はゆっくりとこちらに顔を向けた。
店舗照明を浴びた綺麗な白緑色の瞳が、雪路に佇むひとりの青年の姿を映す。うむ、やはり可愛い。
「あー……えーっと……」
俺は少女から視線を逸らし、こほんと咳払いする。
それから、ドキンドキンと脈打つ心臓を落ち着かせて、
「こんな所でどうしたんだ?」
平静を装って話し掛けた。
「……これ」
と、冷たく無機質な声の少女が指差したのは、お弁当ではなくポスターに描かれた鶏の唐揚げだった。
「えっと、それがどうかした?」
「ふらい……ど……ちきん……」
「残念だけど、それは鶏の唐揚げな」
俺が誤りを指摘すると、少女は「……そう」とだけ言って再びポスターに視線を戻した。
「えっと、既に知っていたら申し訳ないんだけど、それは鶏の唐揚げという食べ物でさ。俺の認識が正しければ、恐らく君が知っているであろうフライドチキンとは微妙に違うものなんだ」
「……から……あげ?」
少しだけ興味を示したのか、少女の視線は再びポスターから俺へ。
どうやら続きを説明しろということらしい。
「えー、コホン。ざっくりと説明すると、殆どのフライドチキンが衣だけに味付けされているのに対して、唐揚げは肉にまで味を染み込ませているんだ。つまり、油で揚げる前の下ごしらえに違いがあるってことになるな。それと、唐揚げはフライドチキンに比べて一個当たりの値段が安いからたくさん食べられるし、サイズ的にも一度の食事で色々な味付けのものを試すことができる。調理方法は多少似ているが、鶏の唐揚げはフライドチキンの上位互換と言えなくもないだろう」
店の手伝いで培った知識を自慢げに且つ誇張交じりに披露して、次の彼女の反応を待つ。
しかし――
「……」
ザ・無反応。
血の気のない少女の顔にはまったくといってよいほど感情がなく、ただ黙ってポスターをじっと見つめて尚もその場に留まっている。
(……あっ)
彼女の一連の行動からひとつの仮説を導き出した俺は、試しに或る提案をしてみることに。
「なんなら食ベてみるか? その、唐揚げをさ」
「……」
「美味いぞ?」
「……」
「揚げたてだぞ?」
「……」
「無料だぞ?」
「……ん」
少女は小さく頷くと、ゆっくりと立ち上がって頭や肩に乗った雪を払い落とした。
「ははっ。よし、それじゃあ中に入ろうか。できるだけ急いで用意するからさ、少しだけ待っていてくれ」
少女を店のレジカウンターの前に誘導し、隅から持ってきたパイプ椅子をぽんぽんと叩く。そして、言われるままに着席する姿を見届けてから厨房へと向かった。
「よし、今日一美味い唐揚げを揚げるとしますか!」
ゴム手袋を装着して軽く気合を入れた俺は、粉付けしてバットに寝かせておいた鶏肉を取り出す為にコールドテーブルの扉を開けた。
「……っ!?」
ところが、これがとんだ大誤算。
冷気で満たされた空間にはバットが一枚も無かったのだ。
急いで盛り場に目を移すが調理済みの食べ物を入れる器はものの見事に空っぽで、そこに残っているのは申し訳程度の衣の欠片だけだった。
「や、やってしまった……」
言うまでもなく、目前から唐揚げが消失した原因は独身男達への過度なサービスにあるわけで。
厨房中を隈なく探してみるものの、使えそうなものといえばオリジナルのタレ等で下味をつけた鶏肉と使いかけの中斜里、あとは少量の調味料くらいだ。
無論これらの食材だけで唐揚げを作ることはできるのだが、粉付けした肉を数時間寝かすことで生まれるザクザク食感にこそサエグサ商店自慢の唐揚げの真髄がある。
ただの成り行きで店番をしているとはいえ、今この場では俺も弁当屋のはしくれ。
こう見えて、提供するからには料理の最も美味しいカタチをお客様の舌にお届けしたいという気持ちだって持ち合わせていたりなんかする。
「……だけど、マジでどうすっかなぁ」
気持ちだけでは解決しないこともある。
大変心苦しいがまた別の機会に御馳走するという代替案のもと納得してもらう外ないのだろうか。
「誠意をもって事情を話せば理解ってくれるかな……」
俺は再び少女の様子を窺ってみる。
「……」
少女は変わらず無表情のまま待機しているが、心なしか嬉しそうにも見えるのは果たして気のせいであろうか……。
(い、言えるわけねえぇぇぇぇぇぇぇええ!)
考えてもみてほしい。
真冬の、しかも雪降る聖夜に弁当屋の前で膝を抱える少女の姿と心情を。
こちらから誘っておいて「材料が足りないからまた今度ね!」などとは口が裂けても言えるはずがない。少なくとも俺には、無理だ。
「……くっ」
俺の背筋を冷たい汗がつーっと伝った。
しかしながら、いくら憂いても悲観的思考が加速するだけであり、事態は決して好転しない。
この絶望的な状況下で俺に与えられた選択肢はただひとつ、あの少女を傷つけることなく、更にスッカスカであろう胃袋を満足させるためにはあの方法しかない。
「サクッと済ませちゃいますか……唐揚げだけにってな」
エプロンの紐を締め直す。
俺はまな板の上に三枚の鶏モモ肉を載せると、調味液が入り込みやすくする為に肉全体をフォークでまんべんなく刺して鶏肉に小さな穴を開けた。
次に、食べやすい大きさに切った鶏肉とトレハロースをボウルに入れて八の字を描くように二百回程度揉み込んでから、調合した醤油ベースの自家製ブレンドダレやおろし生姜を加えて三十回揉み込み、調味液ごとジップロックに移す。
氷を入れた大きめのボールに水を張って、少しだけ口を開けた袋ごと水の中に投入したら、空気が完全に抜けて軽い真空状態になってから冷凍庫へ移動させる。本当ならば冷蔵庫で一晩寝かせたいところであるが……まあこの際仕方あるまい。
――そして、待つこと十五分。
冷凍庫を開けて袋から取り出した鶏肉の汁気をペーパーで軽く拭き取ると、片栗粉を満遍なく塗してから、熱した油の中に皮目を下にして優しく寝かせてあげる。
ジューッ、ジュワジュワ、パチパチパチ――。
親の声より聞いた幸せの音色。
これまた変な話だが、物心付いた時から店を手伝わされてきた所為か俺にとっては子守唄に似た安心感があった。
最初は嫌々覚えた料理の技能であるが、こうして誰かの為に使うことができるのであれば覚えておいてよかったのかなと思ったりもする。
「……おっと」
黙想や思い出に耽っているうちに、うっすらと雪化粧をしたきつね色の丸い塊が油面に顔を出していた。
すくい網を使って素早く油を切り、網付きのステンレスバットに転がす。そして、あらかじめ用意しておいた大きめの皿にそれらを盛りつけると、俺は完成した料理をテーブルと化したレジカウンターへと運んだ。
「待たせてごめんな。ほら、できたぞ」
「………」
少女は目の前に現れた未知の物体をじーっと見つめると、
「……写真と、違う」
ばっさりと言い放った。
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