練習

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 いま、想像していた「これだけは嫌だ」という現実を目の前に突きつけられたあたしは、なんとかして陽平の心変わりを起こせないか……と、地球シミュレーターよりも高速で考えを巡らせた。  高校生にとって、恋に関する話はシークレットで、気軽に誰にでも話せるような話題ではない。どんな堅牢な壁でも、地面との隙間からは花が咲く。人の秘密もまた同じで、誰かの耳に触れた時点で秘密ではなくなる。それをあたしに打ち明けたということは、陽平があたしのことを近しい存在だと思いこそすれど、あたしがその「好きな人」ではない、ということも証明していた。  悲しいけれど、それが事実だ。もしもあたしのことが好きなら「好きな人ができたんだよね」より「好きです」って言ってほしいし。これは願望だ。  そんな叶わぬ願いをかき消さんとばかりに、ぶっきらぼうな調子で「で、どうすんの」と訊ねた。 「どうすんの、って」 「相手が誰か、までは訊かないけどさ。告白すんの、しないの」  相手のことを訊かないのではなく、訊きたくなかった。こういう子が好きそうだなあ……という想像はできても、それが的中したってひとつも嬉しくない。その名前があたしじゃなければ、心が気持ちよく震えないし、その「こういう子」はきっと、あたしとは似ても似つかない他の誰かだろう。震えるとしても、怒りとか嫉妬に震えてしまいそうだった。  陽平の返事は力なく「悩んでる」という一言で終わってしまう。腹が立つ。あんたがそうやって悩んでいる間に、あたしはもっと深くまでかき乱されているのに。肩を掴んで力いっぱいに揺らしてやりたい。  あんたをかき乱す存在は、あたしであってほしいのに。 「なんで」 「告ったとしても、振られたら、疎遠になっちゃいそうで」 「だったら最初から好きになんかなるな――」  言いつつ、気持ちを紛らわせようと、制服のポケットからスマートフォンを取り出したとき。  正確に言えば、画面に表示された「3/29」という日付を目にしたとき。  ずっと思い出せなかったことが不意にスルリと滑り出てきた時と同じように、ひとつの閃きが頭の中心で大きく爆ぜた。  次の瞬間にはもう、あたしは無意識のもと、声帯を震わせていた。 「だったらさあ」  ペテン師の声だ、と自分の中で警鐘が鳴り響く。でも陽平はひとつも気づいていない。きょとんとした顔で「なんだよ」なんて訊き返してくるから、可笑しかった。 「いや、あともう少しじゃん? 4月1日」 「それがどうした」 「あーそっか。あんた山奥で暮らしてるから知らないよね。人里にはエイプリルフールっていう日があんの」 「勝手に我が家を仙人一家みたいに言うのやめてくんないか、茉佑香」  そもそもあたしと陽平の家は市営団地の棟違いで、どちらも深き山中に立地しているわけではない。 「で、エイプリルフールがどうしたって?」 「嘘ついてもいい日じゃん、4月1日は」 「まあ、そういうことになってるよな」 「だから――その子への告白のシチュエーション、あたしで練習してみなよ。その日に」  たたき起こされた猫みたく、大きく目を見開いて、陽平は絶句していた。なんでおまえがそんなこと、とでも言いたげな表情があたしの浅い思惑を隅々まで見通しているようで怖かった。同時に、立入禁止のロープをくぐるような背徳感と、一歩踏み出しただけで軋む音がする廊下を歩くような心許なさが胸を撫でていったが、あたしはもう引き返せない。ここまできたらありとあらゆるペテンを繰り出し、目標達成に向かって邁進するのみだ。  ほらエイプリルフールだと思えばお互い後腐れもないじゃん、女の子の気持ちは同じ女の子が一番よく分かると思うし、まあうまくいかなくても責任は持たないけど幼馴染のよしみで一肌脱いであげるからさ、これはただの練習だよ練習、っていうか練習だって言ってんのにあたしにすら言えないなら本人になんて永遠に言えるわけないよね、やっぱりあんた肝心なところで弱虫――。 「やるよ」  やっぱり、乗ってきた。あんた、煽り耐性ないもん。それを知ってるからこそ、敢えて厭味ったらしい言い方したんだけどね。  口元に、敢えて勝ち誇ったような笑みをひっかけた。陽平も普段の能面みたいな顔がひびわれて、今は男一匹、腹を括ったような眼差しをあたしに向けている。その眼光がするどい刃になって、まるで肋骨の隙間から心臓を突かれているみたいに痛い。それらしい方便を持ち出したとはいえ、これはただ、あたしがいつまでも叶うことがないと悟った願望にとどめを刺そうとしているエゴでしかない。陽平が誰かを好きになった純粋な気持ちへ、その「誰か」よりも先に唾をつける行為に他ならない。  うるさい。知らない。いいじゃない。どうせ嘘なんだから。その日は嘘をついてもいい日なんだから。普段は嘘をつかないあたしが嘘を吐き散らすことだって、正当化されていいはずだ。  嘘をつくあたしを糾弾するなら、先にこの世界の全員に、嘘つくなって言ってこい。  ガキみたいな言い訳で、早鐘を打つ自分の胸の鼓動を鎮めようとした。 「じゃ、決まり。相手が誰だか知んないけど、当日はその子に告る本番のつもりで来なさいよね」  言い訳や反論が尽きたとき、人は尻尾を巻いて逃げ出すか、全部叩き壊すしかできないんだな。  3月最後の平日に、そんなことをひとつ、学んだ。
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