練習

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 *  4月1日。新年度初日。エイプリルフール。嘘つきの日。あたしと彼が、互いに自覚し合いながら、真っ赤な嘘をつきあう日。  陽平は待ち合わせの10分前に、集合場所の駅前広場にあらわれた。陽平と平日以外に会うとしても、最近はほとんどが休日講習のある日でお互い制服姿だったから、あたしは久々に陽平の私服を目の当たりにした。  昔はジップアップパーカーからインナーに至るまで黒ずくめで、全面に「耳なし芳一」みたく英語が書かれた服ばっかり着ていたはずだ。母親が買ってきたものをそのまま着てんだろうなー……と生暖かい目で眺めていたけれど、今日はオフホワイトのカーディガンに黒いスキニーなんかを合わせたりしていて、その姿からも成長がうかがえる。  きっと、好きな子に想いを伝えるために、一生懸命選んできたんだろうな。誰だか知んないけど。  腹が立つ。 「合格」  あたしはベンチに腰を下ろしたまま、びしっ、と陽平の眉間あたりに人差し指を突きつける。 「何がだよ」 「そもそも時間が守れないっていうのは最悪だけど、女の子を待たせるのもよくないからね」 「でも、茉佑香のほうが先に来てたじゃん」 「つい1分前くらいだよ? あたしがここに来たの。だからセーフ」  早くもあたしはひとつ、嘘をついた。本当は今より5分以上前に着いていたのに。  陽平はなんにも気づいていない。安心しきった表情で、行こう、と差し出された手を躊躇なく握ったあたしは、ベンチから立ち上がった。  都市部に向かう電車の中で、肩が触れるか触れないかくらいの距離感を保ちながら、あたしは陽平からあれこれ聞き出してやろうとした。相手がどこの女狐なのか。同じ学校に通っているのか、名前は、歳は、性格は、どこが好きになったのか。  あたしとその女の、何が違うのか。  なのに陽平はぜんぜん口を割ってくれなかった。うるせーな、いいだろ別に、というテンプレートの返事が返ってくるだけ。あんたは今あたしのスマホにすら負けてるよ。今何時、って訊いたらあの子はちゃんと時間答えてくれるよ。質問に答えろ。  昨日はよく眠れなかったのか、陽平はあくびを噛み殺したあと「逆に訊くけど、なんでそんなに気になんの」と訊ねてきた。 「なんでって――」 「もしかして今、おれが『こんな子だよ』って言ったら、茉佑香はその姿を演じてくれるのか?」  こちらを向きながらそんな問いを投げかけてくる陽平の瞳は、曇りなき琥珀の色。天井の蛍光灯の光を跳ね返し、あたしの浅はかな思惑を露わにしようとしているかのようで、その光に灼かれた自分の身体が砂になって消えてしまいそうな心地さえする。  でも、いいね、それ。面白いよ。だったらお望み通り、演じきってみせようじゃないか。どうせ今日は何を言ったって、全部「嘘でした」で済ませられる特権があるのだから。歯の浮きそうな台詞でもなんでも並べてやる。  その中に本音が混ざっていたとしても、こいつが気づくはずないし。  陽平のほうへ頭を傾けながら、周りに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、囁く。 「ええ。今日は仰せのままに、演じて差し上げますよ?」 「なんだよそれ」  少し大げさにリアクションしつつ、すぐに「それじゃあ――」とモソモソ話し始めた陽平はどこか嬉しそうで、あたしは内心、複雑に絡み合う糸のダマを根元から切り落としてやりたい気持ちでいっぱいだった。  嘘でもいいから、普段の茉佑香でいい、って言えよ。  結局はそれも、言えなかった。  とはいえ、陽平がどんなやつかなんて、今更考えるまでもないくらいあたしはよく分かっている。だから陽平が「物静かで、控えめな子」とオーダーをしてきた時は、直前までざわついていた胸の中が急激に(ああ、そう)と凪いでいった。いつも騒がしくて、ずけずけと物を言ってしまう普段のあたしとは似ても似つかない人物を演じてほしいという陽平のそのオーダーは同時に、やっぱり彼の恋愛の射程範囲にあたしの姿はない、ということの裏返しでもあった。  それでいて手を抜くことはせず、あたしは陽平が望む通りの振る舞いをしつつ「デート」を続けた。なお、これから距離感を縮めるのだから……と、今日は互いを普段のような呼び捨てではなく、苗字で呼び合うことに決まった。  一緒にショッピングモールを歩いて、カフェに寄って、カラオケに行ったりして。普段歌わないような甘ったるい歌詞の曲を入れたら、少しだけぎょっとした顔を浮かべていたのは見ものだったけれど、やっぱり胸の内では面白くなかった。  こんなつまんない女のどこを好きになったの? あんた。  でも、そんな本心を躊躇なく口にすることが、今だけは許されない。歯痒さでのたうち回りそうな衝動をぐっと堪えながら、残りの時間を消化した。
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