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私は迷っていた。引っ越しをするべきか、しないべきかを…。
今日の午前のことだ。私は内見に行って来た。その物件は、とてもいい部屋だった。築三年の1LDK、家賃33,000円。駅まで徒歩5分、近くには商業施設や病院、その他諸々も充実していた。
根暗でオタクな社畜OLの私には、この上無い好条件だ。これほどの好条件なんて、滅多にお目にかかれない。そんな物件が、たったの33,000円…。
そう。皆さんお気付きだと思うが、その部屋には、先住人が居たのだ。
歳の頃は30前後と言ったところか?スラリとした長身の、ややロン毛の男性。顔は良く見えないが、全身ずぶ濡れ…。『触る者は皆、傷付けてやる…』と言う強い思念が、ヒシヒシとこちらに伝わって来た。
「あの…、この部屋って以前は、どんな方が住んでおられたんですか…?」
「えっ…、えーっと、若い男性だね。大学生」
「へぇー。どれくらいの間ですか?」
「えっと…、一か月…くらいかな…」
「へぇー。どうして、こんなに良い部屋を一か月で退去されたんですか?」
不動産屋さんは、怪訝な顔を更にしかめて言った。
「何か…一人じゃ無いみたいとか…、色んな事があたって言ってましたよ…」
まぁ、そりゃそうだろう。あんなのがいて、普通の生活は送れるはずがない。
「その前は?」
「若い女性だよ」
「その方はどれくらいで退去されたんですか…?」
「二か月くらいかな…。まぁ、その人は音信不通になっちゃったんだけどね…」
「へぇー」
まぁ、無理も無い。この部屋の先住人は、女性に裏切られた様子だし、同性にも強い怨みを持っている様子なのだから…。
「どうします…?やっぱりこんな部屋、嫌でしょ…?」
不動産屋さんは、やれやれと言った感じで、矢継ぎ早に聞いてきた。
「んー…、そうですね…、とりあえず保留で…」
「えっ…。ああ…、そうですか…」
不動産屋さんは、少し驚きながらそう言った。
「じゃあ、もう行きましょう。正直、私もこの部屋は苦手なんだ…。何か空気が重い…。それに背中がゾワゾワしちゃってね…」
そりゃそうだ。だって先ほどから先住人の方が、不動産屋さんの背後から尋常では無い殺気を放っているのだから…。
流石に、このような引越しの案件を私一人では決められない。私は迷わずユウ君に相談した。
「今日、内見に行ってきたの…」
私が、そう切り出すとユウ君は少し驚いた様子だった。
「へぇ。良い部屋だったの?」
「うん…。築3年の1LDKで、33,000円…」
「うゎ、ここより20,000も安いじゃん」
「うん…」
少しの沈黙が流れた。
「どんなヤツだったの?」
「30歳前後のややロン毛のずぶ濡れ男…。すごい殺気だった…」
「そいつはヤバいね」
「うん…」
「でも、ほっとけないんでしょ?」
やはりユウ君は、核心をついてきた。ユウ君はもう、私の事を深く的確に理解してくれているから…。
「うん…」
またしばらくの沈黙が流れた。そしてユウ君は、唐突に言った。
「今までありがとう。俺、今まで楽しかったし、君には感謝してもしきれないよ」
「でも…!私、ユウ君の事好きだよ…!ずっと一緒にいたいと思ってるんだよ…⁉︎」
「知ってる。でも、俺は、そうはいかない。その事は、君が一番良く知ってるし、君が教えてくれた事だ」
「でも、でも…!」
「あんり長引いちゃうと、俺も辛くなっちゃうから。潔くお別れするよ」
「そんな…」
「本当に今までありがとう。俺、本当に君と出会えて良かった。救われた。
もし君が俺を助けてくれなかったら、俺は今頃、悪霊になってたと思う」
「ユウ君…」
「ありがとう。さよなら。次のヤツも助けてやってね」
そう言い残すとユウ君は、フッ…、と消えてしまった。成仏したのだ。
私は彼の事が本気で好きになっていた。血みどろで、結構グチャグチャになってたけど、普通にイケメンだったし…。
私は、しばらく泣き続けた。そして、決心した。
『よし、引っ越そう…!』と。終
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