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「だから言葉を操れば自分を偽ることだってできる。多くの語彙を獲得することで、皮肉にもわたしたち人類は言葉によって支配されてしまっている。知らず知らずのうちに。だからつまり、要するに! 心は言葉からできている」
「詭弁だ」
彼女の伝えたいことがまったく理解できないというほどでもない。それでも俺みたいな普通の頭脳では到底処理できるものでもないことに変わりはない。
「詭弁じゃない。これが真実」
「そうだとして、じゃあイチノノーカはその言葉によって自分を偽っているということ?」
「そう、わたしは画倉井くんのような『普通』を言葉によって理解して、心にインプットさせている」
「俺は気づいていたよ。はじめから君が普通じゃないってこと。覚えてる? 避難訓練の日のこと」
「……覚えてる」
「あの時言ったよね『火事だなんて嘘じゃん』って。そのときの君の表情はどこかさみし気で本物を宿していた」
「それは否定しない。わたしだって本当はこんな感じでいつも自然体でいたいから。だから画倉井くんが心底羨ましい、学校でも自然体でいられたはずの画倉井くんが」
「だったらその言葉で自分の心を騙すのをやめたら?」
「できない。そんなことしたら中学のときみたいに嫌われる」
「嫌われる? それって言葉だよね」
ごにょごにょと「そうだけど」みたいな感じのことを彼女は言った。
「ただ言葉に振り回されているようにしか思えないけど」
「いいの!」
「例えばその『嫌われる』って言葉に対して何かカウンター的な魔術があればいいってことだよね」
「言葉に魔法をかけるってこと?」
彼女は目が輝いていた。
「そうだね。例えば『わたしのこと嫌いなやつは全員アホ』みたいに見下してやるとか」
「ほかには?」
「んー、そうだなじゃあ全部気のせいで、そもそも『嫌われる』という概念自体が嘘だとか」
「なるほど、それはたしかに魔法だ、魔法。今の画倉井くんが言うと本当に魔法を使えそう」
彼女はうんうんと、「魔法」という言葉をえらく気に入っている様子だったので、俺は彼女の好みに合わして手を広げ、名言風に告げてみせる。
「言葉は魔法さ」
いっそうイチノノーカの目は大きく輝いた。
その目が物語っていた。まるでこの世の真理を発見したかのような光を目に宿して、しかし俺はそんな真理をつくようなことを語った覚えはない。自分で言っておきながらこれもまた詭弁だとすら感じている。彼女はどこか、やはりまだ、嘘の中を生きている。
「イチノノーカの言い分を整理すると、この世はすべて言葉によって形成されているということになるよ」
「そこまでは言ってない。少なくとも言葉で心はできてる。それだけは譲れない!」
「別に譲るよ。ただ嘘という言葉で心を偽れば、俺みたいに純粋な恋心を見失わないかな」
「違う、言葉を多く獲得すれば同時にその言語化に成功していない恋心だって心に記すことができるし、偽りの心ですら偽りだとしっかり認識していれば、暗黒面に落ちきることはない」
「ちょっと何言ってるかわからないよ」
「画倉井くんはこれだからいつまでたっても普通のまま――」
と、説教じみた彼女の論が続いても俺にはさほど響かない。しかし凡人と天才の違いはこういう思慮深さにあるのだ。
「――わかったわかったからさ」
彼女の口説を制し、俺は言い放つ。
「そんなんつまんねーよ」
「そうやって思考停止するからいつまでたっても凡人。もうちょっと頭を使って考えたら?」
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