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1 Private Detective AI 1
日本の首都が東京から京に移ってはや二十五年が経とうとしている。
京都は旧首都である東京府に勝るとも劣らない発展と進化を遂げている。
純白の新京都タワーは都の名所のひとつに数えられ、数々の神社仏閣が立ち並ぶ界隈と様々な商業施設や高層ビルが立ち並ぶ地区とが共存しておもむきのある都市を形成していた。
京都の中でもここ十年ほどの間に開発された地域は『シンキョウト』と呼ばれている。
景観が美しく整えられた都市で、たくさんの公共施設や娯楽施設、商業施設が集まっている。開発が制限されている古都地区から、首都機能の大半も新都地区であるこのシンキョウトに移転しつつあった。
そんなシンキョウトのオフィス街を、小林満はきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていた。耳に装着したイヤホンが目的地まで音声案内をしてくれているが、どのビルも同じような姿形をしているため誤差一メートルと評価が高い音声案内アプリに従っても目的地に辿り着けないような不安な気持ちに駆られていた。
夏を名残惜しむようにまだ騒々しく鳴いている蝉がいる一方、街路樹を住み処にしていたとおぼしき蝉の死骸が歩道のあちらこちらに落ちている。
それらを踏まないように足下に注意しつつ、満は音声案内の指示どおりに立ち止まった。
「白梅軒……の横の階段を上がって四階、っと」
景観を重視するためか、雑居ビルの各テナントは大きな看板を出すことができない。
目的地の一階にある喫茶店白梅軒も、入り口に『白梅軒』と紺色ののれんを出していなければ、音声アプリがいくら「階段を上がります」と案内したところで見過ごしたところだ。
白梅軒はうどんかラーメンを提供しそうな店構えだが、『喫茶 白梅軒』と白い文字で染め抜かれたのれんがかすかな風に揺れている。軒下にはいまどき珍しい鉄製の風鈴が涼しげな音を響かせていた。
「いまどき階段しかないビルって、ありえへんやろ。バリアフリーとか、どうなってるんや」
人とすれ違うことが難しそうな狭い階段を上がりながら満はぼやいた。
この辺りはレトロな雰囲気でまちづくりを推進しているそうだが、それにしても九月の残暑が厳しい時期に最寄り駅から徒歩十分ですでに汗だくだというのにまだ急な階段を上がらなければならないのは身体に堪えた。
「なんや身体、鈍ったんやろか」
周囲に人がいないせいか、ついつい独り言がぽろぽろと零れる。
イヤホンから「体温、心拍数が上昇しています。熱中症に注意し、水分補給を心がけてください」と音声メッセージが伝えられた。左手首に巻いているバンド型のウェアラブルデバイスは歩数や心拍数、体温、血中酸素などを測定してくれる。AI音声認識機能、GPSも搭載されており、電話やインターネット、電子決済も可能だ。このバンドとイヤホンを装着していれば、あとは手ぶらで外出ができる。
「はいはい。ご親切にどうも」
普段の習慣でAIに向かって返事をしたところ、階段の踊り場に立つ男性が自分を見下ろしていることに気づいた。
(うわ……ひとりでべらべら喋ってる変な奴って思われたんやろか。あ、でも、電話で喋ってるって思ってくれたかも)
踊り場まで満が上がるのを待ってくれていた男性に軽く会釈をして、そのまますれ違おうとした瞬間――。
「もしかして、小林満さん?」
階段を下りかけた男性、よく見ると二十代前半くらいの青年が振り返って満を見上げた。
「えっ? あ、はい。小林です」
どこかでこの青年と会ったことがあっただろうか、と満は記憶を辿ってみたが、思い出せなかった。前職の影響で、一度見た顔はそう簡単には忘れないはずだが、目の前に立つ癖のある茶髪の青年の顔に見覚えはなかった。生成り色の半袖のパーカーに空色のカーゴパンツ、スニーカーという大学生のような軽装だ。
「僕はアイ探偵事務所の者で、小林一哉と言います」
すぐさま下りかけた階段を駆け上がってきた青年は、人懐っこそうな笑みを浮かべて自己紹介した。
「うちの事務所にいらしていたんですよね?」
「あ、そうです」
アイ探偵事務所と聞いて、満は慌てて頷いた。
「なんで俺が訪ねて行くってご存じだったんですか?」
「都警察の平井警部から、小林さんにアイ探偵事務所を紹介したって連絡があったんです。そのうち顔を出すだろうからよろしくって」
「平井警部が……」
妙にお節介な面があるのっぺりとした元上司の顔を思い出しながら、満はため息をついた。
「どうぞ、お入りください」
ぶつぶつとぼやきながら満が階段を上がっているうちに、四階に辿り着いていた。
四階には三つの扉があったが、そのうちのひとつに小さく「Private Detective AI」と書いた表札がかけられている。
その扉を開けながら、一哉は満に入るよう促した。
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