7 Invisible Person 1

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7 Invisible Person 1

「じゃあ、さ。まずは小林さんのこと、下の名前で呼んで良い? 僕も小林だし。あ、僕のことは(カズ)()って呼び捨てで良いよ。小林さんのことは――ミッチーとか? それともミッツがいいかな?」  (ミツル)がアイ探偵事務所の臨時助手を引き受けた途端、一哉が嬉々として愛称を考え始めた。 「一哉。いきなりミッチーではちょっと馴れ馴れしくないですか? 満さん、でどうでしょう」  常識人らしい(エイ)()が一般的な提案をする。 「えぇ? なんかよそよそしくない?」  アイ探偵事務所では馴れ馴れしいかよそよそしいかの振り幅が極端だ。 「満、と呼び捨てしてくれてかまわない」  これまでの人生で家族友人知人他人の誰からも『ミッチー』だの『ミッツ』だのと呼ばれたことがない満は、無難に一哉と英知の中間を提案した。 「満? うーん。なんか、フツー」  普通のなにがいけないのか、一哉は不満げだ。 「……好きなように呼んでくれれば」  特に呼称にこだわりがない満は妥協した。 「一哉。今日はまずは満さんと呼びましょう。それでしっくりと来なければ、明日以降呼び方を変えれば良いだけです」 「なるほど。じゃあ、満で!」  知り合ってまだ一時間も経過していない相手から『ミッチー』と呼ばれたらさすがに落ち着かない、と感じていた満は、内心ほっとした。 「では、満さん。早速ですが、四ツ坂マンション殺人事件の調査ですが、最初にお断りしておきますと、アイ探偵事務所では10008(ヨロズヤ)の実行犯を逮捕することはできません」  きっぱりと英知が告げた。 「それは、あなたがたが民間人だから、という意味で?」  ソファに座り直して背筋を伸ばした満は問い返した。 「それもありますが、我々はアイが収集した情報と推理を世間に公表することができません。アイが10008のメンバーだと推理した人間を捕まえたとしても、その相手が間違いなく実行犯であると立証することは様々な事情が絡んでいて、かなり困難なのです」 「困難?」 「捜査情報というのは、世間にすべてをつまびらかにすることができるものではないのです。満さんだって、警察官をしていた当時に入手した情報は民間人となったいまでも人に話すことはできませんよね?」 「守秘義務のことか」 「はい」  英知の指摘に、満は黙り込んだ。  四ツ坂マンション殺人事件について、満は退職するまでの期間に見聞きした情報を頭にたたき込んでいる。記録媒体にメモできない内容が多く含まれているため、とにかく自分で記憶するしかなかったのだ。人間の記憶力には限界があり、最初に記憶した内容と現在の記憶に食い違いがある可能性はあるが、記録媒体に残しておくと情報を持ち出したことになってしまうため、自分の脳に記憶しておくしかなかった。  もちろんその内容を人に喋ることはできない。  喋ったところで、正確性は保証できない。 「もし、私たちがここであなたに事件の知っていることすべてを話して欲しいと言ったらどうしますか?」 「それは……話せることと、話せないことが、ある」 「もちろん、そうでしょう。そして、あなたが私たちに話せることはあなたが知っていることのほんの一部でしかない。アイだってそうです。アイは事件に関する膨大な量の情報を持っています。その一部は私たちに知らされますが、調査に必要な部分のみです」  英知がよどみなく説明している間、一哉は黙ってアイスコーヒーを飲んでいた。 「私たちは、この事件の犯人が10008であり、現在容疑者として逮捕されている(タカ)(ハシ)()(ロウ)さんが実行犯ではないことをアイから知らされています」 「AIが犯人を推理したって言うのか?」 「そうです。アイはそういうシステムです」 「犯人は推理できても逮捕できないって言うなら、意味ないだろ?」  英知の説明はまどろっこしく、満を苛立たせた。 「被疑者として都警察が逮捕した高橋さんが犯人ではないことを警察に説明することはできます」 「……説明?」 「満さんは高橋さんの無実を信じているんですよね」 「もちろんだ」  満は大きく頷いた。 「その根拠は?」 「え? 根拠……?」  英知に問われた途端、満は言葉を詰まらせた。 「高橋は、人を殺したりするような奴じゃないってことを俺は知っている」 「知っているって、あなたは高橋さんの行動の逐一を監視しているんですか? その上で、高橋さんは犯人ではないと言っているんですか?」 「監視しているわけじゃないが、あいつはそんなことをするような奴じゃない」 「高橋さんが人を殺すわけがない、というのは事実ではなく、満さんの願望です。いわば、感情です」 「はぁ?」  思わず満は声を荒らげたが、英知の眼鏡の奥の瞳は冷ややかだった。 「人間の感情を排除し、記録された情報だけを元に事件を推理するのがアイです。先入観や偏った私情は一切挟みません。警察はAIによる事件の捜査にいまだ懐疑的ですが、人間は完全にフラットな視点で物事を判断することはできません。常になんらかのバイアスがかかった考察をします。それで結果として支障がなければ問題にはなりませんが、今回のように誤認逮捕が発生するケースも多々あります。誤認逮捕に繋がる原因の多くは、事件を捜査する警察官たちの思い込みです」  英知の指摘に、満は黙るしかなかった。  確かに、都警察では高橋吾郎が事件の犯人であると思い込んでおり、捜査は高橋が犯人であることを立証するための証拠集めとなっている。  いくら満が『高橋吾郎は犯人ではない』と訴えても、誰も耳を貸さなかった。  他に犯人らしき存在が見当たらない、というのが捜査をしている警察官たちの説明だったが、いまや高橋以外の犯人を捜すそぶりはみられない。
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