歌ってみたの秘密

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歌ってみたの秘密

 大学に入ってからの週末は付き合い始めた彼女の家で寛ぐのが楽しみになっている。同棲したくてもお互い忙しくなかなか時間がとれないのだ。 「タイキー、ブラックでいい?」 「おう」  タイキはスマホをいじりながら返事をする。やがて彼女がトレーに紅茶とコーヒーを載せてキッチンから戻ってきた。 「ちょっと、スマホいじりばっかりしないでよ」 「ごめんって」 タイキはスマホを閉じてコーヒーを飲む。 「今ハマってるゲームがあるんだ」 「私よりも?」  きたきた。 この手の質問は難しい、どのくらいかというと運転免許をとるための試験に出るひっかけ問題よりも難しく、間違えると仲が修復不可能になるというレベルだ。 「ゲームとなんか比べられるわけないだろ」 「だよね」 どうにか正解したらしい。彼女の機嫌は上向いた。 「ねえ来週どっか行かない?」 「来週末はバイトなかったからOK」 「やった」  女心は複雑で時々理解できなかったりもするけど、二人で出かけるのうれしい、と笑顔になった彼女はかわいかったのでタイキは振り回されるのが嫌いではない。単純なことでも喜んでくれるのは、いいところだよな。  内心のろけていると紅茶を飲んでいる彼女がそういえば、と話題を変えた。 「私もハマってる動画があるの。歌ってみたって動画なんだ」 歌ってみた、は素人や歌い手と呼ばれるプロが様々な曲を歌って配信する、文字通りの動画だ。 「でも素人だろ」 タイキの偏見を含んだ意見に彼女は抗議する。 「誰でも最初は素人でしょ?タイキが言う通り、音痴もいるけど歌い手さんはすごい人もいるんだから!」  パソコンを出した彼女が動画サイトに繋いで動画を見せてくれた。 「色んな歌い手がいるんだな」 一口に歌い手、といっても技巧重視の正統派、目立ち重視の一発芸派、演奏などの変わり種派がいて面白い。 「ふーん、俺このラップする奴好きかも」 「ボイパさんいいよねー、私も好き」  曲をラップ調にアレンジする歌い手は、面白く二人で聴いてしまう。下手なラップではなく、うまいラップというのがポイントだ。懐かしのアニソンはかなりいい感じのフロウになっている。 「あとは替え歌のとか」 「分かる、電車の中で聴いたら、笑っちゃうからだめなやつ」 「聴いたのかよ」  替え歌は原曲から歌詞を面白く変えたものだ。これも、空耳からあるあるネタまでなかなか種類がある。二人であれこれ話しながら動画を見ていくのは楽しく、ドキドキした。高校生でもないのに、密着した彼女のいい匂いがタイキの思考をあらぬ方向へ持っていく。  まだ昼間だぞ、いやいや、昼間の方がイイこともあるんじゃないか?明日は日曜だ、このまま──……彼女の肩を抱き寄せかけたタイキの手は彼女があげた声によって止まった。 「あっ、この歌い手もいいよ」 「へっ?あ、ああ」  画面を見るとウサギの着ぐるみを着た、歌い手と思われる人物が歌っていた。歌っているのはどこかの部屋だろうか、曲は流行りのポップスだがなかなかうまい。着ぐるみを着ているのに声が妙にクリアなのも人気のポイントなようだ。 「バニーPっていう歌い手なの。上手いよね?」 「お、おう」 タイキは適当な相槌を打つと彼女に聞く。 「なあ、今日泊まりに来ないか」 「え、いいの?」  目を輝かせた彼女は嬉しそうだ。 「なんなら同棲も早めよう」 「どうしたの、突然」 「や、前々から考えてたし。もっと近くにいたくなったんだ」 「ありがとー!嬉しい、大好きだよ、タイキ」 「俺も」  抱きついてきた彼女を抱きしめてやると、幸せを感じた。タイキの部屋にも彼女の荷物があるので心配はない、早くここから離れたい。片づけをし始めた彼女を待っている間、バニーPの動画を思い返してタイキは震える手を握りしめた。バニーPが歌っていたのは彼女の部屋に間違いない。  明らかにここにのだ。彼女は気づいていないが、タイキは彼女にプレゼントしたのと同じ物がバニーPの動画にもあるのに気づいてしまった。彼女の部屋に、いつからか得体の知れない人間がいる。これがどういうことなのか、タイキは深く考えたくない。
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