二、花と棺

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二、花と棺

 月の見えない寒い夜。  明蝶家の開かれた門から、通夜にやってきた人々の列が伸びていた。男も女もわざと目に付くように、数珠を幾重にも巻き、護符が入った守り袋を首から下げている。  妖魔が潜んでいるとも限らない夜道は、用心するにこしたことはない。とはいえ。  仰々しい――黒いコートを羽織った男が、苦々しげな顔をした。  さらに、瓦斯燈に照らされた屋敷の土塀に視線を移し、呆れたように言うのだ。 「穴だらけの結界だな」  彼の目には、ぬるりとした膜に、ところどころ虫食いのような穴の空いた結界が見える。  男の名は、不動薫(ふどうかおる)。不動商会や不動建設などを経営する実業家だ。見た目は二十代半ばといったところだろう。  長身ですらりとした体躯の、美しい顔立ちをした青年で、忌々しげに眉を顰める表情さえ絵になった。  額にかかる前髪を払いながら、薫はうんざりしたような顔をする。 「こんなもの何の意味も成さない。結界師とはペテン師のことを言うのか?」  結界師とは、悪霊や妖魔を立ち入らせないよう、屋敷の周囲に結界を張り巡らすことを生業とする者を指す。ここ最近は、野良の術者が、日銭稼ぎに結界師を名乗っていることも多いようだ。 「穴がなかったとしても、社長ならぶち破ってしまわれるくせに」  薫の隣に並ぶ、縛った長い髪を背中に垂らし、黒い背広を着た男が言った。薫より少しばかり落ち着いた雰囲気で、三十歳そこそこといった風貌である。 「ああ、そうか、藤。明蝶家を選んだのは、お前が入りやすい屋敷だったからか。よくもまあ、こんな下級の屋敷のご令嬢を俺にあてがおうとしたな」  薫の嫌味に、藤と呼ばれた男は頭を抱える。 「下級って、社長の見合い相手ですよ? しかも故人に対してその言い草……本当に、あなたというお人は」 「どういう意味だ?」  薫は訳が分からないと言った風に、首を傾げた。 「情がないって意味です」  遠慮がない藤に、薫はむすりとする。  顔も見たことのない見合い相手が急逝したところで、何の感情も沸かない。しかも、自分の知らぬところで勝手に進められていた、政略結婚の相手である。愛情のようなものは最初からなかった。  そもそも、愛などという感情は持ち合わせていない。  薫にすれば、思ったままを言っただけ。 「とにかく、行きましょう。さあ、早く」  藤は急かすようにして、薫に明蝶家の門をくぐらせた。 「だいたい、何がどうしてこんな急に、ご令嬢は亡くなられたんだ?」 「どうやら、もともとお体が弱かったそうです。そんな話は一言も聞いていませんでしたが。それどころか、明蝶伯爵夫人はお金の話にしか興味がなく」  藤は肩を竦める。 「それはそうだろう。娘を売るような母親だ」  薫は淡々と言った。 「いや、だから、その言い草」  声を潜めつつも、藤は薫を諌める。 「お前だって、それを見込んで縁談を持ちかけたんだろう? 俺のようにどこの馬の骨か分からない成金が、華族のご令嬢を娶るなんて簡単なことじゃないはずだ」  薫は不満げに答えた。  二人は記帳を済ますと、女中の後をついて屋敷内を進んでいく。 「その通り。いくら社長があちらでは高貴な血筋のお方だとしても、こちらでは通用しませんからね。むしろ、素性が知れれば門前払い」 「お前だって、その言い草……口を慎め」  じろりと薫が睨むと、さすがの藤も口を噤んだ。  門前払いか――己の出生に、薫は複雑な思いになる。  あちらの冥世(めいせ)とこちらの人世(ひとよ)の扉が封じられて九百年。  人世で生まれた薫は、冥世を知らない。  長い年月、薫や薫の父は、人と変わらぬ営みをしながら暮らしてきた。 「こちらでございます」  女中の声にはっとして顔をあげる。  二人は、長い廊下の先にある、広間へと通された。 「あら、まあ、藤さん。じゃあもしかして、こちらが不動さん? 本当に、こんなことになって、私もどうしたらいいのか」  明蝶伯爵夫人は芝居がかった口調で、二人に近づいてきた。
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