二、花と棺

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「お悔やみ申し上げます」  薫は深々と頭を下げる。 「もっと怖い方かと思っていたらぜんぜん……それよりどうぞ、白雪の顔を見てやってください」  明蝶伯爵夫人はしらじらしくハンカチで目元を押さえた。 「藤さん、どうしましょう。いただいた支度金」  明蝶伯爵夫人が藤に囁く。 「お返しいただく必要はありませんので。社長もそう仰っております」  藤が愛想よく返すのを背中越しに聞きながら、不謹慎にも失笑しそうになる薫だった。  棺に近づき、薫は鼻を動かす。 「この香り……」  怪しみながら、棺の蓋を外した。  そこには、鮮やかな花々に埋もれて眠る、うら若き乙女。  これが、明蝶白雪――  肌も髪も艷やかで、まだ生きているかのようである。  纏った白装束も相まって、眩しいほど輝いて見えた。  何より、彷徨う魂の澱みのなさといったらない。  藤の眼力も、そう侮れないようである。  ただひとつ気になるのは、独特な香りを漂わせていること。 「これは……毒の香りだ」  薫は、藤にだけ聞こえるように言った。 「へえ。私には花の香りしかしませんが。さすが社長、鼻がいいですね」  藤が感心するように言う。 「きな臭いな。不穏な空気を感じる」 「分かります。陰湿な屋敷ですよね。暗いというか、淀んでいるというか。早く帰りましょう」  しかし、藤が促したところで、薫は白雪に魅入られたように動かなかった。 「本当に惜しいことをしました。まさか、社長がそんなに白雪様を気に入られるとは……」 「ご令嬢に直接、事情を聞いてみるか」  薫がつぶやく。 「え……まさか」 「魂を連れ戻す。今ならまだ間に合う」 「やめてください」  藤は慌てて止めた。 「やめろだと?」 「そんなことをしたら、どうなるか。責任は取れるのですか?」 「今さら、おかしなことを言う奴だ。むしろ、お前の思惑通りじゃないか」  薫は微笑をたたえたあと、唇を噛み締めた。前髪の下では、ぎらりと瞳が紅く光る。熱気のようなものが、足元からぶわりと湧き上がった。  じわりと、薫の唇に血がにじむ。 「社長!」  藤を振り切って、素早く棺に腕を入れると、薫は白雪を抱き起こした。  二人の背後で、参列者の女が「きゃあ!」と腰を抜かす。 「失礼する」  薫は血の滴る唇で、白雪に口づけた。  すると、どくん、どくん、白雪の心臓が脈打ちだす。  さらには、凍りついたように冷えきった肢体が、熱を帯びはじめる。 「……ごほっ、ごほ、ごほ」  あろうことか、亡くなったはずの白雪が咳き込み出した。 「大丈夫か?」  胸に抱いた白雪へと、薫は問いかける。 「わ、わたし……どうして……」  目を開けた白雪は、状況が分からずに声を震わせていた。 「なっ……! 何をなさって……藤さん、これは一体……?」  目を丸くして、明蝶伯爵夫人は藤にすがりつく。 「ええと、これはですね……いわゆる心肺蘇生法で……つまり、仮死状態だったご令嬢が息を吹き返したとでも言いましょうか」  藤は苦し紛れながら、今起こったことを説明した。 「息を吹き返した?」  夜子はあんぐりと口を開ける。 「あ、あなたは……?」  今度は白雪が、薫に訊ねる。 「俺は、不動薫。お前の見合い相手だ」 「えっ……!」  驚いたように大きく息を吸ったあと、薫の腕の中で、白雪はぐったりとしてしまった。 「し、白雪……?」  明蝶伯爵夫人が身を乗り出す。 「心配はいりません。気を失っているだけですから」  薫が、白雪を抱いたまま立ち上がる。 「社長、ご令嬢をどうなさるおつもりですか?」  慌てる藤へと、薫は平然と答えるのだ。 「連れて帰る。すでに明蝶伯爵令嬢は、俺の妻同然だ」  そう言うと、白雪とともに薫は広間を出て行くのだった。
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